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第66話 キャンバス

 カズのクラスは参加型の展示だった。どう参加するんだろうって思ったんだ。三年一組の教室には大きな大きなキャバスがあった。教室の壁一面と同じ大きさ。そこに美術部員のクラスメイトが下地になる絵を鉛筆描きしておく。来た人がその上に好きなように色を重ねて一枚の絵を仕上げていくというもの。  俺がカズに遭遇した時、バケツを持ってた。水を取替えに行こうとしてたんだけど、それは絵の具の水を取り替えるためのものだった。  カズと一緒にバケツの水を取り替えて、それを三年一組の教室へと届けた。  教室の前で待ってろって言われてさ、待ってたんだ。中にはカズだけ入っていって、と思ったら、女子が一人教室から飛び出して、なんか、ちょっとびっくりするくらい騒がれて、そこから人が集まるし、「和久井兄!」とか言われて、くすぐったかった。 「俺、和久井兄って呼ばれてたんだけど」 「女子がすげぇうるさかったな」 「カズにだろ」 「ナオにでしょ」  なんかちょっと騒がしくなった教室から二人して抜け出した。参加型って言ってもお化け屋敷みたいな役回りがあるわけでもなく、定期的なバケツの水替えと、悪戯防止の監視役がいればいいだけ。  カズは俺の登場により、バケツの水替え係りも、監視役も、そこでお役御免にしてもらえた。  二人で初めて校舎を並んで歩いた。  二年間、同じ学校に通っていたけれど、学年が一つ違うだけで全く出会うことはなかったんだ。一回もすれ違うことすらなかった。  あっちこっちにある風変わりなカフェを眺めて笑って、カズはたまに声をかけられてた。俺と一緒にいることをからかわれたり、こっちの店に寄ってくれよと勧誘されたり。  ライブとかダンスパフォーマンスを観に行ってみたりもした。  途中、変身屋をやっている二年二組に寄りたいというから、カズも変身するのかと思って少し期待したけれど、全然そうじゃなくて、制服、後日返すから今日一日借りてもいいか、だなんて先輩風を吹かせただけだった。 「ナオはマジで無自覚だから。さっきの女子、絶対にナオのこと狙ってたから」 「違うね。カズだね」 「ナオだって。ナオ、マジで自覚しろよ」 「違いまーす。っていうか、自分のことわかってないの、カズだから」 「は? なんでだよ」  やっぱり有名人なのはカズだし、女子からだってモテてたよ。すごい視線集めてたもん。それこそ、俺のだって言いたくなるくらいに。 「さっき、制服のことを訊きに言った時、二年生、ずっと緊張しまくってた。憧れの、カズ先輩って感じ?」  顔を真っ赤にして、「ヤバ!」って小さく連呼してたしさ。まぁ、そうだろ。突然、地方の新聞にも載る学校の有名人が出現して、優しい笑顔で制服、今日は返さなくてもいいか? なんて我儘言うんだから。 「ちげぇっつうの。あの、和久井直紀先輩がいるーっつって緊張してたんだろ」 「違うってば」  今日は、一日、このままデートしたいって我儘を爽やかで優しい笑顔で隠してた。 「そうだって」 「違うって」 「……頑固」 「……カズが、だろ」  さっきのさ、カズのクラスの展示、いいなぁって思ったんだ。たくさんの、たくさんの色が重なって。 「だって、俺はカズといたら、ドキドキする」  一枚の絵になる。  素敵だなぁって思った。一枚の絵になったらさ、いくつも何種類も重なり合う色が素敵に見える。  弟で、年下で、家族で、男で、でも……好きで仕方ない。  欲しいけれど、汚してしまう。大事なのに、この感情はその大事な弟を汚して、貶めてしまう。  でも……好き。  色んな気持ちが重なり合う。  いろんな色が重なり合って、混ざり合うように。  俺は、それを汚いと思った。絵の具でたくさんの色が混ざり合うとさ、泥みたいな色になるだろ? そういうふうに思ってた。 「あ! カズ、キャンプファイヤーが始まった!」  文化祭のラストは校庭での大きなキャンプファイヤーが待っている。皆、そこに集まって、最後はなんか青春っぽい感じに騒いで、そのまま解散。  三階だと炎は見えないけれど、校庭のほうがぼんやりと明るくなったのはわかった。赤とオレンジが夕闇色の空に、じわりと広がっていく。窓の外を指差して、カズに教えてあげようと振り返った。 「ほら、カズ、見……」  そして捕まった。  薄暗い教室にもその炎の光が夕陽の色と混ざりながら、出来上がった大きな絵を薄っすらと照らし出した。  絵、素敵だった。  それが嬉しかったんだ。  ぐちゃぐちゃでどうにもならないほどこんがらがって、ほどけなくて、綺麗になんて絶対にならないって思っていた、この胸のうちにある気持ちもさ。 「……ン」  こんなふうに綺麗になれるのかなって、思ったんだ。 「……ナオ」 「……び、びっくりすんじゃん。学校で、キス、したり、とか」 「……ナオ」  色んな感情が重なり合ったこの気持ちも、この絵みたいに、なれたらいいなぁ、なんて、思ったんだ。 「そ、だ。去年はどこで見てたんだよ。キャンプファイヤー」  俺は去年、司たちと眺めてた。これで高校最後だなぁなんてちょっと浸ったりする皆の中で、少しだけ、こっそりとカズのことを探してたんだ。どこにいるんだろう。誰といるんだろうって。 「気になる?」 「そ……りゃ」  女子と一緒にいるのかなって、さ。 「教室のベランダから見てたよ」 「ふ、うーん」  誰と? 「あの時は二年だったから二階んとこ」 「へぇ」  一人で? 「一人で見てた」 「……」 「ナオのこと。司たちといたでしょ? 見てた」  胸がときめく。色んな気持ちが混ざり合ってぐちゃぐちゃに重なった気持ちがふわりと踊り出す。 「ずっと見てた」 「……」  カズの顔をほんのりと炎の色をした光が照らした。 「い、いいの? こんなとこにいて、キャンプファイヤー行かないと、今年が最後じゃん」 「行くと思う? ナオがここにいるのに」 「……」 「行って欲しい?」 「……」 「去年、一緒にいたいと思った人と、今一緒にいるから、やだよ」 「……」 「あの時の、ナオが過ごしたのと同じ三階で、こうして一緒にいるのに、行くわけないじゃん」  抱き締められたら、蕩けてしまえるほど、ドキドキしてる。 「よか……た。俺も、行って、欲しくない、から」 「……」 「だって、去年、キャンプファイヤーん時、一緒の場所ってだけでかまわないから、それだけで充分だから、高校最後の思い出にしたくて探したんだ」 「……」 「一言、お疲れ、とか、なんでもいいから話しかけたくて、すごい探してた。だから」  カズの制服のシャツを握り締めた。離さないようにって。 「だから、一緒にいたい」  これが夢じゃないって確かめたくて、シャツを掴んで、口付けた。胸のうちで重なり合ってる色んな気持ちを口移しでカズにも伝えたくて、そっと、そーっと、キスをした。

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