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第74話 近親相姦
走って走って、二人で逃げ出した。
駅へと向かった。行くあてなんてなかったけど、でも俺もカズも家に帰ろうとはぜずに、駅の繁華街をウロウロしていた。
「……すごい、初めて入った」
「俺も」
「え? 嘘だろ? だって、カズ……」
今まで女子とさ……。
「だって、なんだよ」
入ったのは、ラブホテル。駅から少しだけ離れたところにひとつだけあるんだけど。もちろん入ったことなんてない。でもただの普通の部屋だった。天井が鏡になってるわけでもなくベッドが丸く回るわけでもない。ただ回らないそのベッドが思い切りど真ん中にあるなぁってくらい。あと、窓がないのもなんか変、かなとは思う。
カズがじろりとこちらを見た。
「っていうか、ナオは? こういうとこ連れ込まれたりしたことないわけ?」
「はぁ? あるわけないじゃん」
「ありそ~、ナオって隙だらけなんだよ。女に酒飲まされて連れ込まれたり、男に押し倒されて快楽堕ちとか」
「おまっ、な、何をっ」
その歳ですごい過激発言だって慌てると手首をカズの手が掴んで引き寄せた。そして、肩にポスンと頭を預けるように抱き締められて、じんわりと沁み込むカズの体温に気持ちが和らぐ。
優しくて落ち着く。
「っぷ」
「は? ナオ? 何んでこの展開で笑うわけ?」
「だって」
なんだかあまりに普通に二人でいるから。ここラブホテルなのに。
「バレたら終わりにしようと思ってたんだ」
勝手だけれど、それは最初に決めていた。見つかったらお終い。
俺がけしかけたんです。カズは何も悪くない。俺が頭のおかしい異常者で、カズはそんな兄に騙されているだけ。そうやって全部の非を受け止めようと思っていた。それでいいと思ってた。いつか罰せられるだろうと。いつか罰せられて構わないと。
「……誰かにバレたの?」
「たぶん。司と、それと明弘さんにも、もしかしたら。寝惚けてて、大学でさ、カズと間違えたんだ、司を」
「はぁ? なにそれ、もしかして」
「な、名前、呼んだだけっでも、きっと……さ」
カズ……って呼ぶ時に沁み込んでるでしょ。その、そういうのがさ。恋っていうか。
カズもそれを自覚してるのか「あぁ」と呟いて、耳まで真っ赤にしながら、口元を手で覆い隠した。
「けど、終わりに、しないんでしょ?」
したほうがいいんだ。
してはいけないことをしているのだから。
「しようと思ってたんだ。本当に。兄弟でさ、ずっと一緒にいるから忘れられないだけで、離れたらきっと忘れられる。そう思ってた。バイト始めたのは旅行とかもあるけど、いつかバレたら家を出ようと思ってたんだ。それで離れれば……」
「……」
本当にバレたら、見つかったら、お終いにしようと思ってた。
今だけ、長いこと夢でしか味わえなかったものをたくさん堪能して、そしていつか思い存分に罰せられようと思っていた。
「……」
思っていたのに。
「……離れたくない」
「……」
気持ちが指先にも滲み出てしまうほど。
力を込めて、カズの服を掴んでしまうほど、離れたくない。
「好きだよ、ナオ」
「っ」
それは、ありふれた恋人たちのワンシーンにそっくりだった。好きと伝えて、そっとキスをする。普通に恋人たちがしていそうな、映画でもよくあるありきたりなシーン。
「つか、バカだろ? ナオ」
カズがクスッと笑って、額を俺の額にコツンと当てた。
「好きって言っちゃダメって、言ってたじゃん? 最初にナオとセックスした時。自分がして欲しかったからしてもらっただけなんだって、俺は言っちゃダメってさ」
「……」
「ナオはさ、その言葉を言われなかったら、今までのことお終いにして忘れられるとか思ってたんだろ?」
思っていた。その言葉さえ聞かなければ、自分を納得させられるって思ってた。
「ナオ」
「……」
「ねぇ、ナオ?」
俺のことを呼ぶその声にさ、蕩けるんだ。
「ナオ」
「っ」
それは俺がカズを呼ぶのと同じ。沁み込んでる。
「好きだよ」
好きと同じ恋色が俺を呼ぶ声に沁み込んでいる。
「っ、ずっと、ずっと」
「そう、ずっと、ナオのことが好きだった」
この気持ちは汚い色をしていると思った。色んな欲も熱も混ざり合って、汚い泥色をしていると。
こんな汚いものを胸に抱えてると知られたら、絶対にダメだと思ってた。バイキンだって、モンスターだって、言われると。
「やっと、捕まえられた」
触れたら、その泥色に愛しい弟も染めてしまうと思ってたんだ。捕まえてはいけないって。
「捕まえようと虎視眈々と狙ってたんだよ」
「……」
綺麗なんかじゃない。キラキラもしていない。色んな色が混ざりすぎて泥色をしてる。
「っつうかさ、俺が、家を出るってナオが言ったとして頷くと思った? 素直に。それで諦める、忘れると思った? ねぇ、俺が最初に貴方を追いかけたんだよ?」
「……」
「俺とセックスしてよって。じゃないと親にバラすって、俺がナオを脅したんだけど?」
「……」
「知らなかった? 弟ってさ、けっこうしたたかなんだよ」
初めてのデートで買った記念のキーホルダーにはしゃいで、二人っきりで過ごした、たった数日の旅行をかけがえのない思い出にして、抱いた身体を労わって気遣って、抱かれたことに胸をときめかせて、ただ好きな人が名前を呼んでくれたことに嬉しくなる。この気持ちは、この恋はそんな泥色をした近親相姦っていう名前のついた、ただの恋だ。
「ナオを捕まえるためなら、なんだってするよ」
「……」
「ずっと、好きだったんだから」
キスに蕩ける、ただの恋なんだ。
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