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第80話 鬼ごっこ

「最近、和紀と何かあったのか? 直紀……」  父は鬼を捕まえるお仕事なんだと、幼心に大変そうだなぁと思ったんだ。  もちろん父は本当に鬼を捕まえるわけじゃない。まだ幼かった俺にもわかるように犯罪者のことを「鬼」と呼んで話してくれていたんだと思う。  けれど、普通じゃない想いを抱えていた俺にとってその言葉はじわりじわりと沁み込んだ。そして恐怖させるには充分だった。 「え? ……なんで?」 「いや……一時、顔もろくすっぽ合わせなかったのに、最近はずいぶんと仲がいいと母さんが言ってたからな」 「……」  普通の人は抱かない恋心を抱えた俺は、普通の人ではないって、気がしてきてさ。  普通の恋ではないから。  犯罪のように思えてきていたんだ。  だから、いつかこの片想いは抉じ開けられて、胸のところから引きずり出されてしまうのかもしれない。そして、粉々に形なんてもうわからないほどに潰されてしまうのかもしれないと。  ――ねぇねぇ、お父さん、犯人捕まえるの大変?  ――そうだなぁ、大変だが、少しコツがあるんだ。  ――コツ?  そう、コツがある。悪いことをしている人は、嘘を付いている人は簡単に見破れると教えてくれた。  よく観察していると見えてくるんだって。  嘘を付いている人は、悪いことをして誤魔化している人は、その嘘を付く時の声が変わる。ほんの僅かだけれど、たしかに声が変わるんだと教えてくれた。  話す時の視線、一つのことを話す時の文章の長さ、仕草、その嘘の前後の表情、嘘を吐き出した時の表情。本当に僅かだけれど、たしかに違うのだと教わった。  教わって、そして恐怖したんだ。  嘘をついたら父にはバレてしまう。見破られて怒られてしまうんだ。  そう思って、近寄らなくなった。  近寄ったら、見つかってしまうかもしれないと――。 「そう、だね……」  人ならざる、異形な想いを抱えているからと。 「仲、良いよ」 「……」 「最近、けっこうよく話すかも」 「……」 「一時、距離取ってたけどね」  見つけられてしまわないように。  捕まってしまわないように。必死に逃げ回っていた。 「でも、家族だし、距離とってもさ……」 「……」 「それに大事な弟だからね」 「……」 「血の繋がった、大事な弟だから」  異形の鬼は怖くて怖くて、逃げていた。 「……なぁ、直紀、覚えてるか?」 「?」 「大昔、お前にどんな仕事をしているんだと問われたことがあるんだ」 「……」 「私は鬼を捕まえる仕事だと答えた」  父はそこでグラスを持っていた手首をグラリと回した。グラスの中に僅かに残っていた水はその揺れに、透明なガラスの中で水面を慌しくさせながら零れるギリギリに大きく揺れる。 「今、年末で忙しくてな」 「? うん」  昔話をするのかと思ったら、今度は急に今のことを話し始める。カズとのことは訊いてみただけ? なのか? 「今日も忙しかった……」 「うん」 「なぜか犯罪は年末に増える」 「……うん」 「だが、悪いことをしたら捕まるんだ」 「……」 「けどなぁ」  父は、そこで目を細め、少し隈らしきものが薄っすらと染み付いた目元をぎゅっと指で揉んだ。 「子どものお前にわかり易いのように、鬼を捕まえる仕事だと話したが」 「……」 「あれは、鬼のように悪いことをする人間を捕まえる仕事だ」 「……」 「本物の鬼は、どうしたらいいんだろうな」  怖かった。捕まえられてしまうかもしれないのも怖かったけれど、それ以上に、怖いことがあった。  せっかく一生懸命に蓋をして閉じ込めているこの気持ちを、父がその鋭い眼差しで見破り、穿り出してしまうんじゃないだろうかと。  せっかく、こんなに頑張って閉じ込めているのに、父には見つけられないものなどなくて、いつか見つけて、蓋を開けて暴かれてしまうんじゃないだろうかと、恐ろしかった。 「本物の鬼にしてみたら、人を喰らうのも人を貶めるのも、別に純粋な行為なんだろうにな」 「……」 「ただ……なだけなのにな」 「え? 何? 今、聞こえなかった」  疲れが溜まってるんだろう。こんなに静かなのに、それでも聞き取れなくて、耳を傾けた。 「いや、いい。明日も学校だろう? 早く寝なさい」 「……うん」  父は口元でだけ笑った。  俺は慌しくグラスの中の水を飲み干すと、それをシンクの中に置いた。 「……おやすみ」 「おやすみなさい」  挨拶をして、一度振り返ると、父はずっときっちりと結んだままにしていたネクタイをようやく緩め、一つ、小さく溜め息を落っことした。 『お兄ちゃん! ナオ兄ちゃん! 鬼ごっこしようよ!』 『いいよ。じゃあ、僕が最初に鬼ね』  そうしたら、カズは追いかけられるのを面白がっていつまででも、俺と鬼ごっこを続けたがるから。 『はーい! じゃあ、お兄ちゃんが鬼―! 十数えてねっ!』  だから、俺は、ずっと鬼をしていた。 『いーち、にーい、さーん、し――』  カズは一つ年下だけれど運動神経が良くて、女の子に人気があるんだそうだ。けれど、そんなの嘘っぱちだと思えるくらいに、俺と鬼ごっこをする時は、脚が遅くて、ドンクサイ。ほら、そんなんじゃ、すぐに捕まえてしまう。 『ごーお、ろーく、なーな』  だからゆっくり走っていた。 『はーち、きゅー、う……』  逃げる時、とても楽しそうに笑ってるのをゆっくり追いかけて、捕まえてしまわないように手はちょっとだけ伸ばして。 『じゅう!』  いつまでも捕まえずに、鬼のままでいた。 『わー! 捕まっちゃうよー!』  ずっと鬼のままで。

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