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一、吉夢⑩
「そうか」
自分を世話してくれていた白翁の安否が分からないのに微笑み、懸命に身体の震えを隠している蘇芳に何を言うのが正解なのか戸惑い、言葉を止める。
「では一般の企業へ就職、またはバイトからスタートだな。血族縁がない就職はキャリアアップが難しいぞ。戸籍は所得してあるか?」
「なんでそんな事務的なの?」
綺麗な顔を不思議そうに傾げて、蘇芳は少し考える。
「僕、白狼のお嫁さんに就職したい。駄目なの?」
話を振り出しに戻してしまう。白狼は、首を横に振る。
「一人で生きる術を持たない人外は嫁にもらえない。俺に何かあったとき、路上でさ迷うなんて悲しすぎる」
「なんで? 白狼に何かあったら、次の運命の相手を探せばいいだけだよ」
こちらの気持ちが全く伝わっていない。何が悪いのかもわかっていない。
根本的な考え方の相違。そして恐ろしいまでの生活力のなさ。無知は純粋なうえに質が悪い。
「君は、心を奪われるほど綺麗だけど、容姿以外の武器を持てと俺は言っている」
「だから、僕、床上手だからそっちの武器は――」
言い終わらないうちに、甲高い声で珊瑚が泣き出した。
白狼は自分が行こうと立ち上がろうとしたが、それよりも早く蘇芳が駆け寄り、抱きかかえる。
「あー、満腹で眠たかったから寝ぐちだね。よしよし」
意外にも生活力がないと思っていた蘇芳の一面に面食らう。抱きかかえて背中をとんとん叩きながら、珊瑚を落ち着かせていく。
「あ、そうか。僕、産んだらおしまいだから、今更働いても無駄だって思ってるんだ」
自分の布団に珊瑚を寝かせると、尻尾を優しくなでながら、自分で頷いて納得し出した。
「あのな、蘇芳さん」
「珊瑚には訓練がいると思う。珊瑚はね、父親がとても優秀で高級な種族なの。それでこの前まで、父親の種族の元に浚われていたからやっと奪還して、珊瑚を抱えて貴方に会いに来た」
綺麗な琥珀色の瞳。毛皮の同じ気高い輝きで、白狼を見上げている。
「ここなら珊瑚はさらわれることもないし、貴方に僕をもっと知ってもらえるし。うん。じゃあ珊瑚の訓練だけ頼むよ。僕は珊瑚にゆくゆくは種の残し方を教えないといけないし」
「君は何を言ってるんだ」
「貴方こそ、何をさっきからごちゃごちゃ言ってるの?」
慈愛を込めた瞳で、愛らしく珊瑚に口づける。けれど、種に刻まれた本能はあまりにも無慈悲だ。
「僕は、子孫を残すために命が散ることは悪いと思わない。それがうちの紅妖狐の運命なんだもの。僕は運命に忠実だよ。――でも珊瑚は特別」
ふわふわと撫でながらも、その眼差しは重い。
「珊瑚には、きっと違う運命がある。僕には無理だけど珊瑚には」
「馬鹿を言うな!」
畳を叩くと、お盆の上の空になった茶碗が大きく揺れ、音を立てて倒れる。白湯が入っていた湯飲みが、白湯をまき散らしながら弧を描きながら転がっている。
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