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二、明晰夢(めいせきむ)④
***
「じゃなかった」
勢いよく起き上がると、頭を掻きながら上司に電話をかける。一瞬、自分まで寝ようとしてしまった。恥じて頬をつねる。
白狼の上司、猫井は、漫然と生きてきた虎猫だ。尾も三つに割れている。普段は人間に変身し、残業など面倒なことを楽しんでする。
猫井家は、少し我儘で気ままな気質はあるものの優秀な一族で、その祖である猫井は綿菓子みたいに芯のなさそうな緩い性格に見えるが、人外からは一目置かれている。
「すいません。今日は出勤できそうにないです」
耳も尻尾も自分で制御できない以上、電車に乗って環境庁へ行くのは難しい。それと、珊瑚の面倒も見なければ蘇芳が休めない。
電話越しにも関わらず深々とお辞儀すると、猫井はけらけら笑っている。
『いいよいいよ。大和くんにも発情期なんてあったんだね』
「発情期では……。いや、でも可愛くて触ったら壊しそうで、どうすればいいやら頭が痛いです」
体格も違う。そのうえ、壊してしまいそうな繊細な人だった。
『ははは。それは確かに発情ではないね。誰? 誰に患ってるの』
「……そうでした。部長は紅妖狐を知ってますか?」
『ははは……は?』
なんとも間抜けな声から、笑い声が消える。
「部長?」
『その一族の名前はあまり出さないほうがいい。もし銀山で匿ってるなら言ったらだめだよ』
「何でですか?」
『だって有名だよ。あまりに存在が美しいので神が人型にして愛でようとした、神の使役っていわれてるもの。ボクだって伝説上の話としか聞いていなかった』
「で、なんで言ったらだめなんですか?」
『逃げ出したからだよ。神の元から。捕まえて神に返還したら、それは素晴らしい褒美がもらえるって噂。あくまで噂だよ』
神をも魅了する存在。確かに初めて会った瞬間から、脳に電を打たれたような衝動が走ったが、本人は無邪気で、世間を知らない箱入り息子のように無垢で、ただただ本能のみで生きているような危なっかしい人物だ。
「分かりました。部長もどうかくれぐれも内密に」
『勿論だよー。あ、でも今度、一目お会いさせてほしいな』
「落ち着いてから、本人に確認を取ります」
緊張感のない喋り方のせいでいまいち信ぴょう性に欠ける噂だが、用心に越したことはない。
たまに、人間になりたい動物が神や妖に騙されて傷ついて山に逃れてくる場合もある。
逆に良い行いをした獣が神様に助けてもらう話も数多くある。八百万の神々が存在するに日本で、信じられない話が起こるのはありえないはずがない。
電話を切ったあと、この耳と尻尾が戻らない場合の対策を考えた。耳は帽子で隠れるとは思うが、問題は尻尾だ。
そしてここで人間に変化しようと訓練している様々な種族の前で、統一している狼一族の白狼が不安定な変化では面目が立たない。
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