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二、明晰夢(めいせきむ)⑩

 ***  Side:末摘 蘇芳  蘇芳と兄、そして亀の人外である白翁は、九州の海辺の小さな社で生活していた。その昔、豪族が九州に流れ落ちた際に台風が起き、雷が降り注ぐ中、水害から守ってくれた神として白翁が生き神として祭られていた。小さな村であったが、白翁の知識と経験は村人から信頼も深く、その白翁が育てている蘇芳たちにも皆は優しかった。  白翁は長髪の白髪と慈悲深い新緑の瞳を持つ優しい男だった。  皺だらけの温かい手。その手で蘇芳は膝に抱き着いて撫でられるのが小さな頃より好きだった。 「兄の纁(そひ)は聡いけど、臆病なのが心配だ」 「お兄ちゃんが臆病?」  今も村の畑の収穫を手伝いに行っている。蘇芳と一緒に産み落とされたのに、身体も一回り大きく成長し、美丈夫で蘇芳は物心ついた時から尊敬していた。 「蘇芳は、無垢だが無知なのが心配だ」  白翁は頭、そのまま背中、尻尾と優しく撫で、きょとんとしている蘇芳を寂しげに見つめた。 「私はもう長くないだろう。二人が運命に負けないように願うばかりだ」  ほぼ見えなくなった瞳は、人に貰った眼鏡のおかげでかろうじて二人の顔を認識する程度。  日に日に歩く時間が減り、社に籠る日も増えた。それでも訪れてくる最後の人間にまで自分の持っている知識で知恵を授け続けた。 「白翁、白翁」  そんなある日、いつも通り蘇芳は白翁の膝に頭を乗せて縁側で日向ぼっこをしていた。  纁は、海に飛び込んだのか濡れた着物のまま社に飛び込んできて、白翁の腕を掴む。 「海岸に人が倒れていました。けれど、人ではないようです。ですが、怪我をしていました」 「落ち着きなさい。私や君たち以外にも、外には人外や獣人はいるのですよ」 「でも、僕たちとは違います。美しい。まるで月のようで、僕は」  僕は一瞬、息の仕方を忘れて見惚れてしまいました、と頬を染めて兄は言う。  興奮する纁を見たのは、きっとこれが最初で最後だろう。  臆病だが聡明で、美丈夫で蘇芳をいつも守ってくれていた兄が、その日、運命にあった。  恋に落ちるのは、白翁の膝に転がり飛び込むように簡単に見えた。

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