30 / 168

三章 白翁⑤

***  白翁は、やはり回復してから会わせるのが正解ではないかと結論を出す。  ようやく身体の回復ができた今、意識混濁で酷い怪我の白翁を蘇芳に会せても、心の負担が大きいだろうと考えてだ。  屋敷に戻ると、母とマリが眠った珊瑚を、寝転んで覗き込んでいた。 「母さん、マリ、ありがとう。助かった」 「いいのよ。蘇芳ちゃんも綺麗だけど、珊瑚ちゃんはまた違う可愛さがあるわねえ」  毛並みの輝きが、月の輝きのように艶があり、けれど日の光を浴びると、宝石のように輝いている。珊瑚の父親の種族を、蘇芳もとても高貴だと言っていた。 「そうだ。蘇芳さんは」 「さっき起きて、縁側で日向ぼっこ。なんだか話しかけたらいけない雰囲気だったから、一人にしておいたわ」  起きたばかりで頭が回転していないだけならいいのだが。  白狼は、母親に白翁のことを伝えた。 「白い亀……白い亀……」  何か気づいたのか、口元に拳を持って来て考え込む。が、首を傾げて「なんだったっけな」と両手を上げた。 「なあんか、知ってるんだけど忘れちゃった。過去の記録にはなかった?」 「あ……遭難者リストは蘇芳さんのことと、過去二か月ぐらいしか調べていなかった」  亀だけならば数件あったかもしれないが、白い亀の記録はなかった。 「尻尾や耳が狼化しちゃうぐらいだもんねえ。分かりやすいやつ」 「どういう意味だ」 「浮気はしないけど、その人しか見ないから真っすぐすぎて、見ている方が恥ずかしくなるってことよ」  白狼は首を傾げ、母親の言っている言葉の意味を探す。  浮気をしないのは当たり前で、好きな人以外見るわけはない。そんな生半可な気持ちで父が母を選んだわけでもなさそうだ。恋人には誠実であるべきだ。 「はいはい。まだ未熟な白狼にはわからないんだよ。我が息子ながら、その純粋すぎる心は時として相手に負担になるんじゃないかってね」 「ふむ。俺は相手の気持ちを汲むのが苦手だから、分かるような気もする」  が、今はその話ではない。母に蘇芳のもとへ向かうと告げると、走り出した。  真っすぐで、周りが見えなくなるのだとしたら、今の状況はそれに当てはまるかもしれない。  今日はずっと蘇芳のことばかり考えている。  縁側にいると言っていたが、日はもう落ちて空はオレンジ色に染まりつつあった。  山の気温は夜になると急激に冷える場合がある。  山で遭難する人外たちの多くは朝夜の急激な気温に変化による低体温症だ。蘇芳は着物を濡らしていたのであのまま夜まで逃げ回っていたら低体温症で命の危機もあったかもしれない。  そんな山で、日が沈もうとしている今、白狼は自分のコートを持って縁側の蘇芳のもとへ向かった。赤い長襦袢だけを身に纏い、縁側で頼りない背中をこちらに向けているのが見えた。

書籍の購入

ともだちにシェアしよう!