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三章 白翁⑥
長襦袢は本来下着のようなもので、あの姿は寒いだけではなく品もないのではないだろうか。
「す――」
蘇芳さん、と呼ぼうとして固まった。
蘇芳は片手を伸ばし、浮かび始めた月を掴むふりをして遊んでいた。
ひとしきり遊んだ後、月を壊すように握ってみせた。
そして手を振り落とすと、小さな声で囁く。
――ぼくが月を壊すから。
――白翁はどうかご無事で。
震えている声で、何度も何度も言う。視線を自分の足へ落した蘇芳の肩は頼りなく儚げだった。
誰一人知っている者がいない、知らない土地。
そこで自分らしさを忘れず、懸命に自分の運命を受け入れて、そして大切な相手を気遣う。
心細いだろうに、笑う。心配なのに気丈に突き放す。
アンバランスで、足元から崩れて消えていきそうな儚さ。
必死に誰にも弱さを見せず、一人で運命に立ち向かっている。
「蘇芳さん」
白狼は、自分を少しだけ恥じた。蘇芳を弱いだけの守ってあげないといけない存在だと思い込んでしまっていた。
こんなに長として冷静を務めて前を向いている相手に対して、不誠実だった。
「おかえり、白狼。どこに行っていたの?」
微笑みつつも不思議そうに聞いてきたので、肩にコートをかけながら目を見て言う。
「白翁さんが見つかった」
ただ一言だけだ。それなのに蘇芳の大きな瞳が、石を放り込まれた池の水面のように大きく揺れた。揺れた瞳から涙が浮かぶが、蘇芳は必死で隠そうと笑う。
「探してくれたんですね。ありがとうございます。では会いに……」
「今、意識混濁、君と同じく衰弱が激しい。もしかしたら意識が戻らぬまま、命の灯が消えてしまうことがあるかもしれない」
「……なに、それ」
「とても危険な状態ということ、だ」
蘇芳の唇が震えた。肩に乗せたコートが落ちそうになったので、肩を掴んだ。
「会いたいか? 俺は君が傷つくのであれば、見ないでほしいと思ってしまった。許してほしい。どれほど君が、白翁さんを大切かなんて理解できないくせに。ボロボロの彼を見て、君が追い詰められるのが怖いと思ったんだ」
嘘偽りなく、蘇芳に告げた。
そして会うことは賢明な判断ではないが、それは蘇芳が選ぶことだと伝えた。
「君は長として、心を強くしようと努力しているんだ。君が決めてほしい。後悔がないように」
いくら気丈に振舞っていても大切な人の無残な姿は心を打ち砕くかもしれない。その場合は白狼が手を差し出そうと決めていた。
蘇芳は一度だけ視線を床へ落したが、肩にかけたコートを振り払うと、大きく息を吸い込んだ。
「白翁は、僕の大切な家族です。どんな形でも、僕は彼と再会したいです」
会わせてくださいと、小さな口が伝えた。
さきほど淫らに口を吸っていた唇が、今は果敢にも長として務めを果たそうとしている。
健気な姿に、心を打たれた。いや、射抜かれるような衝動だった。そうだ、彼はこれぐらいの強かさは持っているんだ。
「わかった。珊瑚くんを母たちに頼んでくる」
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