33 / 168

三章 白翁⑧

***  Side:末摘 蘇芳  あの日は、満月の美しい日であった。  落ちてきそうな満月が、おぼろ雲で覆い隠された。海に映える月も隠れ、夜は真っ暗になり闇に支配されたような不気味な日だった。 「おや、纁が見当たらないな」 「お兄ちゃんなら、漁の網を船に返しに行ってたよ」  明日も使うので、漁師たちが起きる前に返してくると飛び出していた。 「そうですか。朧月夜では帰り道が心細いかもしれません。迎えに行ってきますね」  視力がほぼなくなっている白翁が立ち上がって、囲炉裏の火を薪に移して出ていこうとするので、蘇芳は慌てて止めた。 「僕が行くよ」  薪を持って立ち上がる。坂を下り、海辺までは走れば十分も掛からない。なので、一瞬だけ月が顔を出したときに、走って海へ向かった。 「あっ だ、だめだ。イアフ」  絞り出すような甘い声に、浜に並べられた船の一つに隠れる。  すると、淡い月の光で照らされ、船の上で押し倒されている兄の姿が見えた。  兄の足を大きく開き、さらに近づくのは――兄が海で見つけた遭難者、イアフだ。銀色の美しい長髪で、一瞬女性かと錯覚したが、体つきは蘇芳たちよりしっかり筋肉がついていて、『男』の体をしていた。  そのイアフが、口角を上げうっとりと兄を見下ろしている。 「君は綺麗だね、ソヒ」  手首を掴んでいた右手が離され、首元から指が侵入する。兄は身体を大きくしならせ、甘く啼いた。 「さわ、るな。駄目だ」 「なぜ? 海でおぼれた私を助けてくれた君は、まるで本物の人魚かと思いました。でもよく見れば、こんな可愛らしい耳があり」 「やっ それ、いやっだ」  耳を撫でられ、首を撫でられ、抵抗していた兄は、避ける隙もないまま覆いかぶさったイアフに唇を奪われていた。  荒々しい息が聞こえ、暴れて足を船の床に叩きつける兄。だが深い口づけを繰り返すうちに、抵抗していた足の叩きつけが止んだ。  そして小さく抵抗する兄の声と、だんだんとすすり泣く声が夜の闇に響く。  朧雲が再び月を覆い隠すと、あたりに兄のすすり泣く声で埋め尽くされた。 「泣かないで、私の可愛いソヒ。私は君と愛し合いたいだけ。だって君も私を愛してるでしょ」

書籍の購入

ともだちにシェアしよう!