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六章 兄の恋人 一

「どこに逃げたのかなって心配だったんだよ」  イアフの手が伸びてきて、蘇芳は白狼の身体を盾に身を隠す。  おかげで白狼は一歩前に出る形になる。太陽の下でキラキラと輝く銀色の髪が、大きく揺れる。  一瞬女性なのかと思わせるその美しい髪は、腰まで伸びている。  優しそうな少しタレ目がちな細い目、上品な佇まいに高給そうな白いスーツ。  白狼の雄臭い雰囲気とは違い、優雅で煌びやか、そして太陽のように輝く神秘的な雰囲気だった。 「なんで逃げるの? スオウ?」 翡翠色の目が、白狼の後ろを覗き込むとするので今度は白狼が背に庇う。 「俺の嫁が怖がっています」 無表情の白狼が静かにそういう。普通の人間ならば怖がり逃げ出すような冷たい表情に、彼は面食らう。 「なんで? 私はスオウの兄の旦那だよ。家族です。家族だから珊瑚を連れて行っても許してるのに?」 首を傾げた後、白狼をじろじろと見る。 「スオウも性欲が強いでしょ? ソヒも可愛かったよ。私の上に乗って自ら腰を振る。彼の汗は、――甘くて私の理性を蕩けさせる」 「他人に恋人とのプライベートを話すのは良くない。失礼する」 「ああ、待って。なんで行っちゃうの? 私は可愛い義弟を見たいだけだよ」  なおも食い下がる彼だが、蘇芳も頑なに背から顔を出そうとしない。 「すいません。蘇芳さんを中へ」 「スオウ、私が今度こそ幸せにしてあげますよ」  言い方もそぶりも丁寧なのだが、感情と一致していない不気味さがあった。白狼は車の中に蘇芳を逃がすと、大きな音を立ててドアを閉じた。そして目の前の男を睨みつける。 「初めまして。どなたか存じませんが、俺の嫁を気安く口説かないでいただきますか」  強い口調で言うと、目の前の人物は大げさに肩をすくめた。 「からかって悪かったね。私は英国から来た外交官で、日本の英国大使館で働いてるってことになってる。イアフ・アルベス。イアフって呼んでくれていいよ」  営業スマイルだと分かったので、警戒を怠らないでいたがイアフの方は違う。ふわふわと漂う雲のようにつかめない性格で白狼に攻めてくる。 「嫁、ねえ。簡単に口に出して君に愛する人を自分のせいで殺す覚悟はあるのかな」  銀色の髪を撫でながら、イアフは苦笑する。白狼が睨みつけるとSPであろう黒スーツの男が二人がイアフの前に出てきた。白狼とにらみ合いが続くがイアフが片手で制止する。  環境省前のロータリーだ。会社の警備員や受付嬢がカウンターから心配そうにこちらを伺っているのも見える。  人外交流課の存在を知らない一般人の前で騒ぐわけにもいかない。白狼も殺気を押さえるとイアフは満足げにまた微笑む。

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