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六章 兄の恋人 七
白翁が身体をボロボロになってまで、寿命が僅かと分かっていながら体に鞭を打ってここまで来たのは、自分のためだった。
兄を亡くして心壊れたイアフから珊瑚と自分を守るために、大和家に助けを呼びに行った白翁。
その白翁が今は意識も回復せずに入院している。苦痛を和らげられるのかもしれない。痛みを取り払ってあげられるのかもしれない。また普通に生活できるぐらい回復できるのかもしれない。
それなのに自分の運命は、手放したくない。
「スオウはソヒと違って聡明じゃない。無垢で、私は心配しているのですよ」
優しい声。まるで心を見透かしているように、操っているような声。すべて包み込んでくれそうな優しい声。
「紅妖狐なら珊瑚がいる。子孫繁栄は貴方の使命じゃない。貴方の使命はソヒの分までしあわせになることだよ」
尻尾を撫でられた。白翁や白狼、兄以外に触られるのは嫌だったはずが、優しい手つきに喉が鳴りそうな勢いだ。
イアフの言う通りなのかもしれない。珊瑚がいる。自分は子どもを残すことではなく、白狼のそばにいるだけ。そうすれば白翁も助かる。イアフも兄への思いを自分にぶつけて昇華できるのかもしれない。
「うわ、イアフさん、伏せて」
イアフの声に魅了されて車の外を見ていなかった。現実に急激に引っ張られるようなブレーキに、イアフに抱きしめられ守られながら車の中で二度バウンドした。
「あら、ヒーローが来てしまいましたか。スオウ、お怪我は?」
イアフの腕の中で頭を振る。顔を上げると、自分たちの乗っている車を通せんぼするように車が斜めに止まっている。
あたりを見渡すと、人通りのない川の上の橋。先ほどイアフたちが乗っていたリムジンが、橋を塞ぐように止めっている。
そのリムジンから降り立ったのは白狼だ。耳も尻尾も隠すこともなく、怒りを露わにこちらにやってくる。
「スオウ、今日は此処までですね。アカツキと降りてください」
「え、なんでこの人と」
「アカツキはカラスのくせに蝙蝠です。私の情報を探るように言われてきただろうが、今度は私と貴方を繋ぐ間者になってもらいます」
首を傾げるが、イアフはやはり優しく微笑むだけだ。
「もし私の血が欲しくなったらアカツキに案内して会いに来てくださいってことです。私と貴方の橋渡しです」
「そお。俺はイアフさんにお金で雇われてる。もちろん大和家にも恩があるから、情報はイアフさんの情報は伝えるよ」
「構いません。私に秘密なんて――スオウとの取引以外は。それ以外は何を伝えられても構いませんからね」
私の可愛いスオウ。
耳元でささやかれ、思わず突き飛ばす。
それと同時にドアが開かれ、外から腕を掴まれた。
「蘇芳さんっ」
ふわっと香る白狼の匂いは、屋敷の中の縁側で浴びる日向の匂い。片手一本ですっぽりと後ろから包み込まれると、すぐに肩に抱えられた。
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