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六章 兄の恋人 八
「返していただくっ」
「白狼」
蘇芳を肩に担いだまま、車内にいるイアフの胸倉を掴み一触即発。引きずり降ろそうとするとアカツキが手を掴んだ。
「近づくな、白狼。声で操られるぞ」
一見、白狼に助言を告げているようにも思えるが、違う。暁はイアフを守っている。
それを告げるのを躊躇った蘇芳は大人しく抱えられたまま、口を噤んだ。
「すみませんね。兄弟で積もる話があったんです」
「……信じられない。蘇芳さんが怯えるから、二度と会わないでいただけるか」
抱きかかえられた蘇芳からは白狼の顔は見えないが、逆立った尻尾を見て微笑んでしまう。
こんな場面で不謹慎だが、嬉しくてつい笑ってしまった口を両手で覆った。
「俺ももう貴方に騙されない。降りて、一人でリムジンに戻って。頼まれてももうあんたを案内しねえから」
暁がイアフの腕を掴み、リムジンの方へ歩かせていく。イアフ一人だけ、優雅で何も起きていないかのような振舞いのまま戻っていく。
二人が去ったあと、白狼は助手席に蘇芳を乗せ車を発進させた。
「あの、暁って人が残っているけどいいの?」
「あいつは今、信用できない」
短く言い切ると、Uターンして車を飛ばして、走っていく。
白狼が懸命に取り返そうと追ってきてくれたことは素直に嬉しい。
イアフに自分の嫁だと豪語してくれたのも、両手を腫らすまで車のドアを叩いてくれたことも。
白狼のように穢れもなく真っ直ぐな青年と恋に落ちて子種を残すことだけが蘇芳の幸せで使命だった。その使命が本能的に身体に流れているから、無茶をしても白狼に嫌がられてもなんとかできていた。
けれど脳裏に過るのは、幼き頃から育ててくれた白翁のことだった。
「困ったな。白狼って運転してても格好いい」
ポタリと零れた涙を打ち消そうとして言葉を放ったのに、車は止まった。
まだ屋敷までは坂を上らなければいけないのに、山のふもとで車を止めると白狼が蘇芳の方へ向く。
「何か、イアフさんに言われたんですね」
あまりに辛そうに眉をしかめるので、目をそらして目元を指先で拭いながら気丈に笑う。正確には笑おうとした。
「蘇芳さん」
「……お願い。今は僕に優しくしないで」
何が正解なのか分からない。白狼の子を産むことだけが自分がすべきことだと思っていた。
けれど血を繋ぐには珊瑚がもういる。自分の『絶対』が揺らいでしまった今、何が正解か分からない。白翁を助けたいが、自分の価値が消えてしまいそうな心細さがある。
そしてはやり自分を助けに来てくれた白狼に、甘く胸を締め付けられる。
親のように慕う白翁を助けるべきか。胸を締め付けてくる優しい白狼との子を願うべきか。
これを白狼に相談なんてしてしまえば、答えは簡単だ。白翁を助けろと言うに決まっている。
そうすれば、白狼は自分の血を残す違う相手と番う道を選ぶ。蘇芳が傍にいる必要もない。
「僕は、君の隣にふさわしくないんだろうな」
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