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八章 四
「怖かったでしょう。あの暁の野郎」
「違うよ。暁さんは、操られてたけど名前を叫んだら抗ってくれたんだよ」
ただそれは『白狼』と呼んだ瞬間からだったかもしれない。白狼の名を呼んだ後に暁の名前を呼ぶと返事があったように思えた。幼馴染みの名前を呼んで意識がはっきりするのだろうか。
ヒナが呼んでくれた看護師が数人やってきて蘇芳を運んでくれることになったので、うっすらと浮かんだ疑問を考える暇はなかった。
***
Side:大和 白狼
「……いない」
飛び込んだ病室には、無数の黒い羽根が飛び散っていた。暁も烏の血を引いている。理性が途切れて羽が飛び出たのだろうか。床に数滴の血が落ちていた。蘇芳のものか暁のものか判別できず、心がざわりと騒ぐ。
乱れたベットはシーツもはがれ、枕も床に飛び散っている。その床には、破られたコンドームのゴミ。
窓が開いてカーテンが大きく揺れている。ここから飛び出したのだとすると追いかけるのは無理だろう。
屋敷に来た時から異変はあったが、なぜ気づかなかったのだろうか。
暁の中に侵入した下卑た神がいるのを、どうして気づいて助けてやることができなかったのだろうか。
「いたっ」
ドアを開けて顔をのぞかせたのは、先ほど乱れた服で逃げてきた蘇芳だった。
「蘇芳さん、身体は? 暁に何をされたんですか」
「大丈夫だよ。僕が運命の相手と早く交わらないから、押し倒されてセックスの疑似体験をさせようとしたみたい」
「大丈夫ではないっ」
あっけらかんと言う蘇芳に頭が痛かったが、蘇芳は病室内を歩き回る。何かを探しているようだったが、ベットの下を見て「あった」と顔をあげた。
「避妊具っ。沢山スーツのポケットに入れてたんだ。これでね」
「蘇芳さん」
言い終わらないうちに抱きしめられた。逆立った尻尾が大きく振れている。蘇芳は拾った避妊具を胸に居れて抱きしめ返した。
「どうして白狼はここにいるの?」
「酒造に行ったら留守だったから、用事が早く済んだ。ここは大和家所縁の病院だから油断していた。君にこんな」
(僕ね、好きでもない相手の指一本で濡れちゃうような身体なんだよ)
蘇芳はそう言おうとしたが、これ以上幻滅されたくなくて抱きしめ返した手で白狼の尻尾を撫でてやることしかできなかった。
「今日は甘えても白狼は抵抗しないね」
「沢山甘えてくれ。まずは風呂だな」
簡単に抱きかかえると、感動して目を輝かせる蘇芳に微笑み、病室を後にした。
暁の件は、すぐに父親に知らせ、三つの山の警備にも伝えたが行方は分からないままだった。
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