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十章 九

 蘇芳が覚悟を決め頷くと、その晩、真っ暗な夜に紛れて白翁は大和家へ向かった。  蘇芳は、イアフと兄が住む予定だった、丘の上の海が一望できる屋敷を目指した。  蘇芳が忍び込んだ屋敷の中で、棺にいれられた兄を抱きしめるイアフの啼き声が響く中。 その奥で、まだ小さく片手に乗るぐらいの小さな紅妖狐がタオルの上に無造作に置かれていただけだった。  珊瑚も泣いていたが、イアフの声にかき消されている。  まだ目も開いてない。毛がまだ生え揃ってないせいで銀色の毛で淡く光る珊瑚は、夜空に浮かぶ月に見えた。  蘇芳は、イアフより無慈悲なのかもしれない。棺にいれられた兄よりも、兄が残してくれた珊瑚を優先してあげたいと願った。だからイアフに共感してあげることもできず、珊瑚を抱き上げると、逃げたのだ。珊瑚に自分や兄と同じ運命と辿らせることに痛みは感じない。  イアフが追いかけてくる気配はないが、がむしゃらに走った。  どれぐらい走っただろうか。道はこっちで合ってるんのだろうか。  珊瑚を、一人で育てられるのか。迷いながら走った。出口もわからずだた走った。  何度も夜を迎え、ゴールの分からない道を歩き、獣の姿になりトラックに忍び込む。いつ明けるか分からない夜の中、珊瑚を連れて歩き続けるしかなかった。 『大丈夫ですか?』  だから白狼に見つけてもらった時、張り詰めていた緊張の糸が切れていくのが感じられた。  駆け寄ってくるその姿に、途切れていく意識の中手を伸ばす。  伸ばした手を掴んだ男の手は、温かい。その温もりを探していた。その温もりに包まれたかった。何度運命を呪ったか分からない。  けれど、これだけは本当だ。こんなに自分に注がれる愛が、温かいものだと知らなかった。白狼の腕、言葉、そして体温は、蘇芳を心の内側から温めていった。 縋っていいのか、愛せば愛すほど、戸惑う。けれど、もう知ってしまった。離れられない。  *** 「ぼーっとしてどうしたんだ? 帰ったよ」  現実に引き戻され顔を上げると、ネクタイを緩めながら白狼が蘇芳の元へ歩いてきている。 「……え?」 「珊瑚もただいま。良い子にしていたか?」  珊瑚を撫でる白狼の耳や尻尾はない。まるで人間のように、狼の姿を消しさっている。 「――蘇芳さん、ただいま」  唇にかるく触れるだけの口づけをすると、白狼が微笑んだ。  微笑む白狼からは、愛情が強く感じられ、甘ったるい雰囲気が二人の間に流れている。 「えっと、白狼?」 「あ、駄目だ。動いたら、お腹の子に悪い。俺が食事を作ろう。栄養をいっぱい取って、四人で寝ような」  スーツのジャケットを脱ぎ、シャツをめくりながら白狼は幸せな顔で目尻を滲ませている。  蘇芳は視線を自分のお腹へ向けると、ぽっこりと大きくなっていた。 「今日は食事の後に名前を考えよう。お腹の子が、紅妖狐か狼かもわからないから、二つ考えよう」  お腹を撫でる白狼が、呆然としている蘇芳の額に口づける。 「女の子か男の子かもまだ分からないから、最低四つ考えよう。楽しみだね」 (ああ――……)

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