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十二章 一
目の前で微笑んでいる。夢なら覚めないでほしいと蘇芳は何度も何度も願った。
「階段で貴方たちが争っているのは分かっていたのですが、私は老体で無理な旅をしたせいで足がもう動かないようで」
座っていた白翁は苦笑しつつ足をさする。
「そして大和さまは、子どもたちを信じようって助けに行かないんですよ」
「うちの白狼に心配は無用。私は白狼の性格を熟知しています」
豪快に笑うと、白翁は蘇芳と大和の父親に深々と頭を下げる。
「二人に。いえ、大和家と紅妖狐に私は謝らなければいけない大罪を犯しました。その罪を許されないならば、私は自分の存在を神とは認められない」
微笑んでいた白翁は、顔を上げると悲痛な顔で眉を下げ今にも泣き崩れそうな表情をする。
「私が、紅妖狐に提案したのです。人間に恋をした紅妖狐が変化ではなく人として、愛する人のそばに居たいというので、『神に仕えれば人に変身できる神力を分けていただける』と。私が紅妖狐の運命の始まりでした。貴方と纁、そして珊瑚を苦しめるきっかけ」
驚いた蘇芳の横に、烏丸の父が近づいてきて、肩を叩く。
「白翁さまはその助言をした愚かさに責任を感じ、献身的に数百年も紅妖狐の世話をし続けてくださったようです。その間にも、自分の知識を惜しみなく人々に授けていた」
「そうです。僕は白翁に感謝しかない。恨んでいないよ。僕は生きてきて、辛かったことはないんだだから」
「私もですな」
白狼の父親は項垂れていた白翁の顔を覗き込もうと、膝をついた。
「二百年前、絶滅しかけた狼に、人間との共存を薫陶してくださったおかげで今の大和家がある。感謝こそすれ罪はない」
「……狼が共存していつか、紅妖狐を助けてくれる一族になるではないかと私情からでの提案だったとしてでも、ですか」
計算された白翁の提案に、それでも白狼の父親は豪快に頷く。
「当たり前です。大和家の長男は代々貴方から『白』をいただくぐらい尊敬しています。どんな事情であっても貴方なら最善の薫陶だったに違いないですからね」
白狼は大粒の涙をため、両手で白狼の父の手を握る。
ぽつりぽつりと話してくれると、厄災の神を見かけ追いかける途中で、山の中枢から転げ落ち、怪我をしたこと。意識はあったが体が動かず、困り果てていた時、蘇芳がススキを飾ってくれたおかげで魂をススキに宿らせたと。
「おや、蘇芳くんが持っているお酒は。ややや」
話の途中でわざとらしく暁の父親が、天真酒造のお酒を指さした。珊瑚に隠れて持っていたので気づくが遅れたらしい。
「そのお酒、神社に奉納されるために作られた特別なお酒ですね。貴方も私は飲まない方がいい。神専用のお酒です」
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