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十二章 四
「……でも白狼は優しいよ」
信じてはいるが、相手が卑怯でも白狼は真っ向から挑む。嘘偽りなく、小細工などしない。
「私も、あの狼は大丈夫と思いますよ。まあ、私を選んだ方が安心感はある。あの狼は、自分を犠牲にしてでも君を守りそう」
「イアフさん」
怖いと思った。狂気という意味をもつイアフを。優しいからこそ、大切な人を奪われたイアフが、壊れてしまって怖いと思っていた。
「貴方は紅妖狐の種を残すことに専念していたら、白狼を巻き込まないで済んだのに」
気遣う素振りをするくせに、わざと蘇芳を挑発する。暁はやはり元がこんな性格のようだ。彼は綺麗に笑っている。
「無理だな。うちの息子が彼に夢中のようだし」
「その通りですね」
「彼のためなら、神をも跳ねのける」
白狼の父と暁の神は、緊張感のかけらもないどっしりした面持ちで笑っていた。
「……白狼に会いに行きたい」
もう一度イアフに告げると、抱きしめていた手が緩まり、代わりに白翁のもとへ歩いていく。
白翁は頷き、階段の下を指さした。
「安全を確認して最後の挨拶をして来た方がいいでしょう」
白翁がイアフに支えられ立ち上がる。
今なら分かる。イアフの狂気と優しさが、まるで慈悲と無慈悲のように月が照らしているのを。太陽にはなれなくても、銀色に輝くその髪のように穏やかな愛情を感じられる。イアフなりに蘇芳を守ろうとしてくれていた。
そして白狼を信じて笑っている家族や幼馴染み。それだけで白狼の潔癖なまでの真面目な性格が伺える白狼の父親も不安な様子は一度も見せないで信じ切っていた。
様々な愛情が交差するなか、蘇芳も早く白狼に会いたくて胸が張り裂けそうだった。狐に戻っても大丈夫。白狼の隣に居たい。同じ人として傍に居たい。そう強く願えば、自分の力で人になれると過信していた。
「……どんな神様にも、白狼は負けない」
一歩一歩歩きながら、蘇芳は白狼を信じて前を向いた。
運命から解放され一匹の狐に戻る。
この別れは、最期ではない。始まりのための終わり。振り返りまだ白翁の腕の中で眠っている珊瑚の額にキスをすると、イアフに渡した。
イアフも、ぎこちなく視線を送りながら、ゆっくりと抱きしめている。彼も遠回りしたが愛情は残っている。時間はかかるがきっと家族に戻れる。
自分の気を奮い立たせると、踵を返し歩いてきた道を戻る。
鼻緒が切れたのは、縁起がわるいからではない。鼻緒が切れるのは、予兆。新たな出会い。これは、今から踏み出す運命からの逸脱を示している。
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