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十二章 五

*** 身体に厄災や災害を受け止めて、崇められる。崇拝される。けれど痛みは残る。 祭囃子が聴こえる。遠くで、遠くから聴こえてきて体中に絡みついている。 神々の楽しそうな声、囃し立てる手拍子、走りまわる足音。手にはお酌。いろんな場所から酒の匂いが漂ってくる。 山の頂上は風光明媚の明媚。春容は花天月地と謳われ、神々が好む酒が沸き、季節が変わる度に宴会が行われ、三日三晩騒いだ後、人々にも恩恵が与えられると言われている。 三味線、琴、笛の音、笑い声、足音、煌びやかな着物、淡い炎、この世のどこにも存在していないような言葉で表せない美しい世界。時間が止まっているように思えた。 痛みが燻った体で楽しもうにも億劫で、少し離れた場所でただただ座っていた。その漫然とした日々、退屈で満たされない日々。 神々の宴会を覗く美しい一匹の獣に心を奪われた。風にそよめく金色の毛、輝き燃えるような赤い瞳。獣の分際で、動きがしなやかで美しく孤高の中、真っすぐに背筋を伸ばしてそこに立っていた。  その狐は『私』と目が合うと逸らすこともなく、迷うこともなくやってきた。 『人間になりたくて、神様にお願いにきた。けれど眩い方々に話しかけるのが躊躇われた』 彼はそう言って、宴会の少し離れえた場所から見ている。美しいと思った。欲しいと思った。この美しい狐をそばに置こうと。彼がともにいてくれたら、心に空いた満たされない隙間が埋まっていく。そう感じていた。けれど、彼はどうしても私を選ばなかった。 『私のそばにいてくれるなら人間にしてやる』 狐は首を振る。 『どうしても傍に居たい人がいる。だから人間になりたいけれどあなたのそばにはいられない』 その狐が欲しかった。そばに置きたかった。誰を好きでも構わない。傍に置きたい。離したくない。一度知ってしまった心の空洞部分を、満たせると過信してしまった。彼がいれば、満たされると、そう勘違いした。 狐に執着し、狐がそばにいたいという人間を見に行ったこともある。 その狐は、ある人間の前で心を許し目を閉じて喉を撫でさせていた。普通の人。そこらにいるありふれた人。神である私ではだめなのか。人にしてやるというのに。私ではその顔はしないのか。 『お前は種を残したくないのか、自分の遺伝子を、種族を残したくないのか』 『いらない。あの人と同じ人間になれるなら、本能は捨てる。どうせ、もう他に紅妖狐はいない』

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