5 / 32

浮かんだのは。

今更だが、保科壱人(ホシナ カズト) これが俺の名前である。 黙って母を見つめると静かに口を開いた。 「壱人、あんた他人事のように言うけど、何も思わないの?」 いつものようにあまり表情の変わらない顔で というと誤解を生むが 眉間にシワを寄せ、先程まで取り乱していたとは思えない冷静さで聞いてきた。 俺は「何が?」とだけ答える。 何も思わない、というより 病気のことは、なってしまったものは仕方ないと受け入れたとも、実感がないとも言えた。 「何がって…! ……はぁ、後悔とかやりたい事とかないの? あんたまだ20代よ?」 俺の返答にまた怒りそうになったが俺を見て呆れたようだ。 その質問に少し考える。 後悔らしい後悔はない。 人間はいつか死ぬものだと思っているから 日頃から後悔をしないように生きている。 (例えば食べ物どちらを食べるとか小さいことは別だが) けれど改めて人から聞かれると考えてしまう。 「……あるなら、整理しておきな」 母はそういって荷物を片付け、キッチンへと消えた。 後悔はない、と答えられたはずなのに 浮かんだのは、友人である男の顔だった。

ともだちにシェアしよう!