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月が綺麗な夜に。

きっと仕事は誠一さんの次くらい頑張ってるのに、どうにも影の薄さを感じる僕、泰生です。 嫁と、思春期になってあまり喋ってくれなくなった娘をこよなく愛す僕、泰生です。 仕事はほとんどが新規開拓にお馴染み企業様への御用聞き。 事務所にいることはほとんどない。 ないのに、たまにいると「あれ、いたの?」 と必ず言われる僕、泰生です。 遥くんと侑司くんが付き合い始めるまでは嬉しそうに僕のお腹を触りにきていた遥くん、 侑司くんのヤキモチを気にしてか最近は全然触りにきてくれなくなったことが少し寂しい僕、泰生です。 たまに一日もしくは半日、会社で事務仕事をすることがある。 それは誠一さんが僕が皆と交流できるようにとわざとそうしてくれていると僕は勝手に思っている。 「泰生さん、何読んでんの」 愛妻弁当を食べ、残りの時間を本を読んで過ごそうとする僕のところに遥くんがやってきた。 「愛を…伝える言葉、全集??」 「直接じゃなくロマンチックに気持ちを伝えようって本、かな」 隣の響子さんの椅子を引いて遥くんが僕の隣に座る。 「愛してるとか好きって言えばいいんじゃないの」 不思議そうな顔でそういう遥くん。 遥くんははっきりとそう言えるんだね。 「ん、まぁ、そうなんだけど、言えない人もいるし、はっきり言うより胸に染みる言葉というのもあるんだよ」 例えば。 本を捲り有名な言葉のページを見せる。 「ほら、これ。月が綺麗ですね」 「……これが?」 「I LOVE YOU」 「俺が言われたら、うん、そうだなって言っちゃうけど」 ちょっと見せて。 遥くんが僕の表情を伺いながら手を伸ばす。 どうぞ、と本を渡すとありがとう、と笑顔を見せた。 この子がこんな風に笑えるようになるなんて。 もう何年も経つのに未だに思う。 人形のようだった一番辛い時でもなく、漸く落ち着いてきたあの時、侑司くんがこの会社にやってきたのは運命だったんじゃないかと。 人の気持ちを、それも愛するという熱く尊い思いを受け止め、思いを返すように同じように愛する。 それを息をするのと同じように極自然に侑司くんと思い合うようになっていった遥くん。 ただ見守ることしか出来なかった僕でもそう思うんだ。 ずっと母親のように姉のように、恋人のように親友のように、ずっとつかず離れず遥くんの側にいた響子さんは尚更だろう。

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