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後悔しない恋。
次の日からも遥さんは何も変わらずこれまで通り接してくれた。
見ないようにしよう、声を聞かないようにしよう。
そう思えば思うほど、姿は目に入り、必要以上にあの声が聞こえてくる。
いっそのこと辞めてしまおうか。
事務所の引っ越しが終わったら諏訪に告げよう。
いつしかそう思っていた。
引っ越し当日。
俺は響子さん、真由さん、泰生さんと一緒に新しい事務所でこれまでと逆の作業に追われていた。
段ボールからファイルを出してくれる響子さんからファイルを受け取り、それを片っ端から棚に入れていく。
黙々と続く作業。
昼近くになるまで無我夢中で同じ作業を繰り返した。
「それにしても帰ってこないわね、あの二人」
響子さんが捲っていた袖を下ろしながら呟いた。
「遅いですね。何かトラブルでもあったんでしょうか…」
心配そうに発した真由さんの言葉を、響子さんが鼻で笑う。
「柏木くん、皆の飲み物買ってくるついでに二人を呼んできてくれない?お昼は社長の奢りで鰻らしいから」
後半、声が格段に上がった。
「鰻!?響子さん、それ本当!?」
泰生さんが途端に喰い付く。
「手伝えないお詫びにって、朝言ってたから」
「脅したんじゃなくて?」
失礼ね!と膝の裏にキツイ蹴りを入れられ泰生さんが膝をつくのを全く放置した真由さんが俺を仰ぐ。
「私が行きましょうか」
「飲み物人数分だと重いから俺が行ってきます」
響子さんからお金を預かり新しい事務所を後にする。
あと少しでこの妙に居心地の良い職場ともお別れ。
そう思うと何故か変な気合いが入り、心配されるほどがむしゃらに片付けをしていた。
叶わない恋らしきものに縋るなんて馬鹿らしい。
これまで通り俺は生きていく。
永遠なんてない。
縛られる思いなんてまっぴらだ。
そう思うのに。
胸の奥のもやもやは晴れないまま。
それも……ここを辞めるまでのあと僅かの間だ。
軽く頭を振って腹立たしいほどの青空を睨んだ。
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