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3rd hard times

何より、自分が大事。 そんなの当たり前でしょ? 毎朝同じ時間に起きて1番にすることは、消毒したセーフカラーをつけること。 そして、手を洗って決まった量の抑制剤を飲む。 僕はオメガだし、自分を守るためには絶対に必要で、当たり前のこと。 オメガだって、バレたら大変なんじゃないかって? 黙って、隠して。 急にヒートになったりとかしてさ、後々大変なことになるよりずっといい。 誰だかよくわからないアルファに触られまくって抱かれるとか、想像するだけでおぞましい。 そもそも、僕は誰にも触られたくない。 気持ち悪いし。 セーフカラーをつけているってだけで、みんな僕をオメガだって認識してくれて、それ以上は触れないし、近づかない。 そう、アルファでさえ。 うっすら自覚はしてるんだ。 僕は、潔癖症かもって。 だから、この仕事、僕にはあってるかもしれない。 超音波検査技師。 超音波検査画像診断装置をつかって体の中の異常を発見したりする、アレ。 健康診断の腹部エコーとかの画像診断に役立ってるんだ。 超音波検査自体、薄暗い部屋で行うんだけど。 特に、出張健診とかさ。 超音波検診車ってバスみたいな、めちゃめちゃ狭くて、かなり薄暗いところで検診をするから。 誰も僕を見ないし、セーフカラーも気にしない。 ラテックスのグローブをはめて、プローブを握るから人に直接触ることもない。 だから、僕はこの仕事が好きだし、向いてるんだ。 仮にも医療従事者だから、抑制剤だって割とスムーズに手に入るし、本当、僕にとってこの上ない仕事なんだ。 「晶紀、車出して!行くよ!」 主任の声が、ようやく登り出した太陽の薄い光に照らされた朝の空に響く。 「今日は、警察でよかったんですよね?」 「そう、本部の方ね」 主任はスッと助手席に体を滑り込ませて、スムーズにシートベルトをしめる。 それが、合図みたいに。 僕はギアを切り替えて、アクセルを踏みしめるんだ。 正直、苦手なんだ。 警察、消防、そんなとこ。 検診室に入ってきた瞬間、その人達の熱気で狭い個室の空気がこもる。 だから、僕の個室関係なく、冷房をガンガン効かせて気を紛らせる。 寒い、とか関係ない。 僕が気持ち悪くなければ、僕がそれで良ければいいから。 その肌とかに少しでも近づきたくないから、ありえないくらい高い位置からプロゼリーをたらてしまう。 「晶紀、あと一名ね」 「はい」 「ほかの検診は終わってるから、晶紀悪いんだけど1人で帰ってきてくれない? 私、会議があるから、X線検診車で帰るわ」 「了解です」 ………あと、1人か。 長かったな、マジで。 でも、もう終わりだし。 「次の方、どうぞ」 いつものように、僕は目を合わさない。 小さくて狭いベッドに横になった人に対して、プロゼリーをたらしてプローブで体をなぞる。 たまに「左側に体を倒してください」って、一言二言声をかけて、あとは画面に集中するから。 その人がどんな顔で、どんな声で、なんて。 全く気にもならないのに、今日は違ったんだ。 「あんた、オメガだろ?」 その言葉に、ハッとして。 思わず振り返ってその声の方向を見てしまった。 薄暗いからセーフカラーなんて、見えないと思っていたから、予想外すぎてビックリしたんだ。 薄暗くて……薄暗い個室のはずなのに。 その人の顔がはっきり見えた。 真っ直ぐな自身に満ちた、熱量のある瞳。 ビックリした僕に、向けられた口角の上がった微笑みが………。 コイツ、アルファだ………。 って、オメガの本能が警鐘を鳴らしたんだ。 ………だ、大丈夫。 発情しないように、ちゃんと薬も飲んでる。 今日だって、誰一人「香りが……」なんて言ってくる人なんていなかったし。 単にカンが鋭いアルファだ……それだけだ。 「……そうですが、何か?」 「よくみたら、あんたセーフカラーつけてんだ。めずらしいね」 「……よく、言われます」 「俺、実はアルファなんだよね」 「わかってます。アルファだって、わかってます」 「さすがっ!!やっぱ、そうなんだよ!!」 そのアルファは嬉しそうに笑うと僕の手首を掴んで検診台に僕を押し倒したんだ。 まだ………ラテックスのグローブをしていてよかった………。 紙一重で直に触れられてないから、もう少しで「触らないでーっ!!」って取り乱すところだった………。 僕を押したその人は、僕の上に覆いかぶさって、嬉しそうな笑顔のまま、僕に言ったんだ。 「やっぱ、運命ってあるんだな……発情してないオメガのあんたから、すごいいい香りがする。 多分、俺しかわかんない香り……。 マジ、止まんない……」 ………僕にとっては、そこからが地獄の始まりだった。 触れて欲しくないのに、唇が重なってさらに舌まで絡んでくる。 素手で僕の肌に触れて、その指を僕の中に入れて………さらに、中を弾く。 オメガだから、かな………。 アルファのその行為に逆らえなくて、中からズブズブ濡れてくる。 挙句の果てには、アルファのが僕の中に入ってきて、僕の中をかき乱して……。 脳天まで突き上げるように僕を犯す。 触られて……耐えられないくらい触られて……。 体も震えて、涙も出てくるのに………。 「…あぁ………ん、やぁ……」 なんて、情けない声をあげてしまって………。 いつもおぞましいと思っていた〝誰だかよくわからないアルファに触られまくって抱かれる〟と、いう状況に陥ってしまった。 あんなに気をつけていたのに………。 ……検診車の狭い個室が、冷房をガンガン効かせているにもかかわらず、暑くなって。 僕の乱れた吐息と、そのアルファの熱量のある呼吸が響いて。 イヤ、なのに。 勝手に足が開いて、僕は、気持ち良さを感じてしまったんだ。 実のところ、アレからが大変だった。 〝自称・運命の番〟が満足して帰っていった後、 僕は自分がだしたのか、アイツがだしたのか分からない残骸を、ラテックスのグローブを何枚ってはめて泣きながら、片付けて。 掃除して、消毒して………。 気持ちが悪くて、すぐにでもシャワーを浴びたかったのに、それも叶わず………。 マジで、ツラかった………。 と、同時にセーフカラーをしていて助かった、って思った。 日頃「自意識過剰」って僕を冷ややかな目で見ていた人たちに言いたい!! セーフカラーつけてても、こんな目にあうんだよっ!! ほらみろーっ!!わかったかーっ!! ………だからと言ってはなんだけど、最近、検診車での仕事が怖い。 またいつ「香りがぁ〜」なんて言われて、襲われるとも限らなくて………受診者と僕との距離はさらに広がってしまった。 正直、仕事がしづらい。 「ねぇ、表にめっちゃカッコいい人が立ってるんだけど!!あれ、誰?!誰まち?!」 外を見て驚喜している保健師の視線の先に目をやると…………。 あ、あ、アイツっ!! なんで?! なんで!?アイツがこんなとこにいるんだ?! あの時の感触とか、あの後の屈辱とか。 そんな辛い記憶が僕を一気に襲ってきて、頭がクラクラしてくる。 ワチャワチャ、キャーキャー言ってる保健師の横で放心状態になっている僕に気付いたアイツは、取り繕ったような爽やかな笑顔で、手を振ってきた。 そして、また、保健師の歓声が上がる………。 あぁ、僕まちだ……。 100%僕まちだよ……。 詰んでる……マジで、僕は詰んでる。 無視して帰ろうかと思ったんだ。 でも、どうしてもアイツの前を通らないと帰れなくて……。 表でニヤニヤしているアイツに、僕は声をかけた。 「……こんなところで、何してるんですか?」 「笹原晶紀さんを待ってたの」 「!!……な、なんで、僕の名前!!」 「ネームプレート。付けてたじゃん、この間。 人の名前や顔、特徴を覚えるなんて朝飯前なんだよ?俺、腐っても警察官だし」 「………そーですか、それはすばらしいですね」 僕をもう、ほっといてほしくて。 つい、僕は抑揚のない返事をしてしまう。 「特にさ。 〝運命の番〟なんて見つけたら、忘れるわけないじゃん」 そう言って、余裕綽々に笑うコイツに無性に腹が立った。 立ったんだけど、同時に何を言っても敵わないと言う脱力感が襲ってきて。 僕は絶句した。 「俺、北原清一郎。よろしく」 「…………」 北原清一郎と名乗ったソイツが、軽々しく手を差し伸べて、握手を求めてきた。 触れない、触れるわけがない。 「握手ぐらいしてよ」 「………ムリです」 「冷たいなぁ、せっかくこの間のお詫びをしようと思って、笹原さんに会いにきたんだけどなぁ」 「…………は?」 北原は、ニッと歯を見せて笑った。 「お詫びに飯でも行かない?奢るから」 「ムリ。絶対、ムリ。 誰が作ったかわからないような、ちゃんと掃除してるかわからないようなとこで、ご飯とか。 ムリ。ムリムリ。本当、ムリ。 そういうことなので、さようなら」 僕は主張するだけ主張して、北原の横をすり抜けようとした瞬間、北原が僕の……僕の袖がない、直肌の部分を掴むから。 ………全身に鳥肌がたつ。 「さわっ!!触るなっ!!」 僕は思わず力一杯、北原の手を振りほどくと、北原が呆気にとられた顔をして、僕を見つめた。 ……だから、だから。 だから、ほっとしてほしかったのに。 とうとう、僕の我慢が限界に達してしまったんだ。 「なんだよ!!僕は潔癖症なんだよ!! 悪いかっ!!だから、触るなっ!! こ….…この間だって!!お前んだか、僕んだかわからない残骸を泣きながら掃除してっ!! すごく…すごく、ツラかったのに!! もう、僕のことはいいから!! ほっといてくれよっ!!」 こんな時でさえ、僕は情けない。 怒りを爆発させたはいいものの、半ベソだし、声は震えるしで………。 穴があったら本当に入りたくなってきて、僕は北原から目を背向けた。 ふ、と。 髪の毛を、そっといじる感触がした。 「触るなって!!」 北原はキリッした目を潤ませて、その手をクッと引っ込める。 「ごめん……そんなに傷ついてるって、思わなかったから……。 運命の番だって思ったら、止まんなくって……。 だから、だからさ。 俺、笹原さんに本当にお詫びがしたくて、ちゃんと謝りたくて。 外食だめなら、笹原さん家に行っていい?」 ……………え??? ……………なんで、そうなるわけ??? 「俺がなんでも好きなの買ってあげるから、本当になんでも買ってあげるからさ。 それで許してくれないかな? でさ、ご飯食べながら、ゆっくり笹原さんに謝りたいんだけど。ダメかな?」 この人の思考回路は、どうかしている。 あまりにも突拍子がなさすぎて、突拍子がなさすぎるから僕の思考が停止して。 勝手に………勝手に首が、縦にふれてしまったんだ。 本当は、見ず知らずの赤の他人を、家になんてあげたくない。 でも「いい」って言ってしまった手前、「やっぱりヤダ」って言うのが、なんか悔しくて………。 高級スーパーで僕の好きな物や食べたい物を色々買わせて、とうとう、僕の家に連れてきてしまった。 あぁ、僕、何やってんのかな……。 つい、というか、ムキになって、というか。 北原のペースに飲まれて思いどおりにいかなくて、すごくもどかしい。 しっかり……しっかりしろ!!僕!! 「……すげぇ、やっぱキレイにしてんだな。 潔癖症だけあって」 玄関に入った途端、北原がため息混じりに呟いた。 「そこで靴下まで脱いでくれる? 脱いだらそのままお風呂場に行って、足洗ってきて」 「……はい。仰せのとおりいたします。笹原様」 「タオルは右の棚に置いてあるから、使ったら洗濯カゴに入れてて。洗うから」 「え?一回使っただけで洗うの?」 「え?何言ってるの?当たり前じゃないか」 北原と僕とは、おそらく住む世界が違う。 違うのに〝運命の番〟とか言ってはばからない、コイツ……北原のことが、僕は本当にわからなくなってきた。 お詫びとかいいつつ、料理を作るのも僕で。 イヤイヤとはいえ、客人を迎える形になっているのも僕で。 やっぱり、北原に関わる僕は、詰んでる。 「洗面所に緊急抑制剤……仕事柄色んな人にあったりするけど、それまで準備している人って初めて見たよ」 「悪い?」 「いや、別に」 「注ぎ口に手をつけないんだったら、アンタが買ったワインくらい開けてよ」 「おーう、そうだった。そうだった。 オープナー貸して?」 「はい」 僕からオープナーを受け取った北原は、口角を上げて笑うから………。 僕は、なんか、妙にドキドキしてしまって………不自然に視線を逸らしてしまったんだ。 「笹原さん、〝いわしめんたい〟好きなんだ」 「悪い?」 「いや、別に。意外だったからさぁ。実は俺、福岡出身だから、懐かしくて」 「そう……僕の両親が福岡出身で……だから、僕、好きなんだ」 「なんだぁ、俺たち共通点だらけじゃん」 「共通点なんて、全くないよね?」 「じゃ、〝運命の番〟にかんぱーい!」 「いやいや、あんたお詫びにきたんでしょ?」 いたずらっ子みたいな笑顔で、北原が僕を見て、ワインを飲むからさ。 僕もつられて笑っちゃって……不甲斐ないんだけど。 なんか、楽しくなってきちゃったんだ。 いつも1人だった。 オメガだし、潔癖症だし。 学校でも職場でも、変わったヤツとか触れちゃいけないヤツみたいな扱いをされてたから、コミュニケーション能力が欠乏しているのは否めないし、自覚もしている。 だって、しょうがない。 自分を守るため、オメガである自分を守るためには、そうならざるを得なかったんだ。 だから、推しが強い北原が迷惑なんだけど、こういう風にプライベートで一緒にご飯を食べたりしたことなんて初めてで、少し、新鮮な感じがしたんだ。 ………まぁ、迷惑だけど。 「ねぇ、笹原さん」 「……何?」 「料理も美味しかったし」 「……僕が作ったんだから……当たり前でしょ?」 「お酒も美味しいし」 「……そうだね」 「なんかさ、そんな気にならない?」 「……どういう……気?」 「エッチな気分?」 「…………….ならないよ?」 「またまた〜」 「……あのさ……あんたさ、その……お詫びに……来たんじゃないの?」 「そうだけど?」 「……本末転倒、だよね?」 「だってさ………気づいてないと思うけど、笹原さんヒートっぽくなってるよ?」 ………北原に言われて、はじめて気付いた。 顔もなんだか火照ってるし、なんだか体も熱い気がする。 「……ワインのせい……。ヒートじゃない」 「でも、苦しそうだよ?さっきから、呼吸も荒いし」 ……ちがう、絶対ちがう! だって体が火照ってるだけで、ヤリたいなんて……。 この間の検診車の出来事を想像するだけで、気持ち悪………よかった….…のに。 ちがう!!何考えてんだ、僕は!! 気持ちいいハズないじゃないかっ!! 緊急抑制剤……うたなきゃ……!! 僕は跳び上がるように立ち上がって、洗面所に駆け出した。 「笹原さん!!ダメだっ!!」 北原が叫んで、と同時に僕の体は意に反して緊急停止する。 北原の腕が僕の体でガッチリとホールドしていて、僕の耳元で北原の吐息が極々近くで聞こえるから、ゾワっと……ゾワっとしたんだけど、体の力が抜けてしまって、僕は北原に体を預ける形になった。 頭と体が、正反対の行動をしている。 頭は拒絶一択しかないのに、体は受容一択しかない。 だから、ビックリするくらい、中が熱くて……濡れてくる。 「笹原さん、我慢しちゃダメだ………。 俺にとっても笹原さんは運命の番で、笹原さんにとっても俺は運命の番なんだよ。 だから……我慢しちゃ、ダメなんだ」 そう言って、北原は僕の唇に顔を近づけてくる。 ……いや………。 いやいや、いくらなんでも、例え体が北原を欲してやまなかったとしても。 ………僕にだって。 流されない、譲れない部分があるんだ。 言うことをきかない体に無理矢理指令をだして、僕は北原の顔を手でさえぎった。 「………歯磨きして、お風呂に入ってから……、 じゃなきゃ、やだ」 「………仰せのとおりいたします。笹原様」 「………キスは5秒以内で、舌を入れないで」 「え?」 「………あと、僕の肌に触れるときはラテックスのグローブをはめて」 「…………他には?」 「………するときは、ゴムをつけて」 北原は僕の体を軽々と抱き上げ、キラキラした笑顔を僕に向けた。 「却下」 「やだよ……」 「歯磨きとお風呂は了解した。 あとは、全部ダメ!!だって、俺たちさ、運命の番だろ?」 「せめて……ラテックスのグローブは………」 「はぁ?!いい加減にしろよ?! 俺たち警察官がラテックスのグローブをはめて人に触るときは、仏さんを触るときってきまってんだよ!笹原さんは死体じゃないだろ!?」 「………死体って…………思ってくれても……」 「バカっ!!」 まったくもって、僕は北原の言うとおりバカだと思う。 こんなことを言えば、北原が諦めてくれるんじゃないかって、ワザと言ったんだ。 僕のバカな発言は北原を諦めさせるどころか、余計、興奮させて………。 北原に抱きかかえられながらそんなことを言ってる僕まで、力が抜けて、さらにグズグズになっていくのが分かったんだ。 「セーフカラー、はずすよ?」 北原に身を預けたまま、僕は小さく頷いた。 さっきまで………。 さっきまでは、歯磨きまではちゃんと自立できていたんだ、僕は。 お風呂に入るなり足に力が入らなくて、体を支えるように北原に寄りかかってしまった。 普段は肌と肌が触れ合うなんで、天変地異が起こるんじゃないかってときじゃなきゃ、まず、ありえない。 だって………。 人の体温とか、感触とか、ゾワゾワするくらい気持ち悪い。 なのに、今は………。 シャワーのお湯が僕と北原のくっついた肌にあたって、すごく心地いい……。 …………そんなことで。 だったそれだけのことで、感じちゃうなんて。 ありえない………。 どんだけ僕は人の温もりとやらに、飢えていたんだろう…………。 なんか、情けない。 北原が僕の体を、石鹸で泡だてたタオルで優しく洗う。 その、優しく滑る感覚が………たまらない。 「………っあぁ、やぁ………あ……」 「笹原さん、そんな声ださないでよ……。 マジで我慢できなくなる」 …………酔っ払ったんじゃない。 …………やっぱり、ヒートなんだ、コレ。 その証拠に、いつもの僕じゃ考えつかないことを、僕は口走っていた。 「ここ……で………ここで、し……て」 ほら、ありえないよな? シャワーヘッドから流れる暖かい雨は、僕らを包んで。 自らの体温上昇と相まって、余計、心地いい。 キスは、5秒以内だってば……。 北原のキスは絶対5秒以上あるし、セーフカラーが外れた首に手をかけた北原は、唇をついばんで舌をいれてくる……。 本来なら、この時点で発狂するか、失神するか。 今の僕は発狂もせず、失神もせず。 ただただ、口の中をかき回すその感覚に、ボーっとなってしまって………。 ヒートの波のせいで感覚が麻痺しているのか、はたまた、潔癖症が一時的に治ってしまったのか。 僕の手はラテックスのグローブをしてなくても、北原の手のひらをぎゅっと握りしめてるし、肌を密着させても突き放すこともない。 ………僕が、おかしい。 ………僕が、狂ってる。 「笹原さん……すごい、香り………ねぇ、笹原さん」 北原は、北原自身がヒートになってるんじゃないかっていうくらい、意思をもった潤んだ瞳と赤らんだ顔で僕を見る。 「笹原さんのこと、晶紀、って呼んでいい?」 「いい………僕は?………僕は、どうしたら……いい?」 「清一郎、って。清一郎って呼んで、晶紀」 「清一郎………、僕、なんか………へん」 「なにが?どういうふうに、へん?」 「気持ち……悪いんだけど……悪くない………」 北………清一郎は、困ったような笑顔で僕を見て、その繊細な骨ばった手で、僕の頰に触れた。 「なんだよ、それ」 「……やっぱ、さ。…………信じる……かも。 清一郎に触れられても………気持ち悪かったのに………あんなに気持ち悪かったのに………。 今は、くらくらするくらい、きもちぃ………」 「晶紀」 「番かも……番なの、かも……清一郎と………。 運命の………番なのかも」 ヒートになるって、すごいんだな。 いつもは抑制剤で隠して、抑えて、なんでもない顔して過ごしてたのに。 潔癖症すら凌駕してしまう強いヒートは、いつも気持ち悪くて避けていたことでさえ、数十倍いや数百倍って気持ち良く感じさせて。 清一郎が僕の唇が首筋から胸に移動して……。 その指が、僕の後ろをやらしい音を出すぐらい刺激して……。 「……清……一郎……中……入れて」 そして、今までの僕を壊してしまったかのような、ありえない言葉が口からこぼれる。 「晶紀……俺、理性とんじゃうかも」 「………清一……ろ、」 「だって、晶紀….…めっちゃ、いい香りするし……めっちゃ、エロい」 シャワーの熱気と僕たちの熱気がこもったお風呂場で。 壁に手をついた僕の後ろから、清一郎がゆっくり入れて………僕の奥深くを揺さぶるように突き上げた。 「……っあ、やぁ……」 あ、ヤッてしまってる。 そういうDVDの女の子みたいな声なんかだしちゃってさ………。 僕はこうなることが、怖かったんだ。 オメガはヒートになるとその本能全開で、誰それ構わずイタしてしまう、そう言う風に小さい頃から言われてきた。 それは自分を傷付けるし、巻き込まれたアルファやベータも傷付けることになる。 自分の身は自分を守れ!人に迷惑をかけるな! そう、植えつけられてきたんだ。 しょうがない、オメガに生まれてきたんだからしょうがない。 でも、本当は………。 なんで、オメガに生まれてきたんだろうって、オメガに生まれてきたこと自体が、本当は納得できないでいたんだ。 オメガってだけで、色んな選択肢がなくなってしまう。 オメガってだけで、人より一段低いところにいなきゃいけなくなってしまう。 僕は、僕に納得できなくて。 だから他人を遠ざけて、一切、触れ合うことを拒絶していたんだ。 セーフカラーをつけて厄介なオメガになって人を遠ざければ、全部、大丈夫だと思っていたんだ、僕は。 自分も傷付かないし、他人にも迷惑んかけない。 そのかわり。 その代償として。 僕は極端に他人と触れ合うことが、できなくなってしまった。 でも……でも………。 清一郎だけかもしんないけど、触られも大丈夫だし、ましてや色んな段階を飛び越すくらい一気に経験してしまって。 自分でも驚くくらい………清一郎に堕ちたんだ。 「………っ!!……晶紀……噛むよ」 かろうじて理性下にあるような口調で清一郎が呟く。 ………もう、いい。 清一郎なら、いいかな? セーフカラーも、もう、つける必要がない。 というか、つけたくない….…!! 「………噛ん……で、噛んで………せい…いちろ」 僕が言い終わるか、終わらないか。 そんなタイミングで首に……うなじに、歯が食い込むような激痛が走る。 痛い……痛いけど……なんか、気持ちいい……。 噛まれてからさらに体温と気分が上昇して、僕はその後のことを夢見心地に感じて、全く、覚えていない。 僕のスマホがブルッと短く震える。 こういうのに全く慣れていない僕は、思わず口元がゆるむし、もう震えないスマホを同僚から見られないようにして、そそくさと検診車の死角に避難する。 堂々としていれば?、って? いやいや、無理でしょ、マジで。 いつ後ろからスマホを覗かれるかも分からないし、ましてや女子が多いこの職場、内容がバレたらお姉様方のかっこうの餌食になるに違いない。 『今日は当直明けで早く帰れそうだから、晶紀の家で待ってる』 たった一文の、たったそれだけで心が高鳴る。 〝了解〟 『なんか買っとくものある?』 〝特にないよ。大丈夫〟 『了解。じゃあ、また後で』 〝また後で〟 スマホが小さく震えるたびにニヤついて、ポチポチスマホをいじっては、またスマホが小さく震える。 検診車と検診車の間の隅っこのほうで、にやけながらそれを繰り返す僕は、正直、不審者だと思う。 ちなみに。 僕の潔癖症は、いまだ治ってない。 清一郎だけ、清一郎だけは大丈夫。 素手で触られるし、キスだって5秒以上も平気だし、触られるのも………気持ちいい。 ………番に、なったから、かもしれない。 でも、清一郎以外は今までと全く変わらずで。 職場では相変わらずセーフカラーをつけてるし、人との距離が近くなるのが、億劫すぎる。 ………それに、いきなりセーフカラーを外して職場に来たりなんかしたら、それこそ100%お姉様方の餌食になること間違いなしだ。 「晶紀、最近なんかいいことあった?」 僕が運転する検診車の助手席で、僕を見透かしたようなことを主任が突然言い出すから、危うく急ブレーキをかけるところだった。 「………主任?急に何ですか?」 「最近、笑うようになったなぁ、って思ったからね」 「………前から、笑ってますよ?」 「あんたのは、ほら、あれよ。アルカイックスマイル。目が笑ってないってヤツ?今の晶紀は心の底から笑ってる感じがする」 「………そう、ですか?」 アルカイックスマイルとかさ。 前の僕だって変わったオメガなりに、職場の雰囲気を壊さないよう、同僚に気を使って一所懸命に笑っていたのに…………。 なんか、地味にショックを受けた。 「まぁ、そんなとこが晶紀らしいかったんだけどねぇ」 「………僕らしい、ですか?」 「芯が強くて、ブレない。 真面目で仕事も仕事以外もきちんとこなす。変わったヤツだけど、正直だから、みんな晶紀のこと頼りにしてるんだよ?」 …………え? …………な、にそれ? 「今はそれに柔らかさが加わったちゅーか、なんちゅーか。前より話しやすいよ?」 「本当、ですか?でも僕、潔癖症だし………僕自身の距離感は相変わらずです」 「少しずつ、少しずつでいいんだよ。 ちょっとずついい方向にかわっていけば。 晶紀がオメガを気にしなくなれば、とか。 潔癖症が改善すれば、とかさ。 晶紀が笑うようになったのも小さな変化だし、晶紀を変えてくれたモノや人がいたのなら、それに対してすごく感謝しないといけないよね」 「はい……本当、そうですね」 主任の言葉が胸に響いて、僕は涙が出そうになった。 今すぐに、清一郎以外の人に対する距離感が変わるわけじゃないけどさ。 主任にそんな風に言われたら、そんな風になれる気がしたし、清一郎に今純粋に湧き上がってる気持ちを伝えたいって思ったんだ。 「主任…….」 「何?」 「主任は、僕の………」 「な、なによぉ〜」 「母親みたいです」 「………あぁ、そう。なんか、う、嬉しいわぁ………。 イケメンの息子を持ったみたいで。 ちょっと変わってるけど」 ✴︎ 涼しげな、綺麗な目、してんなぁって。 薄暗い検診車の中でもはっきり見える晶紀の横顔に、俺は見惚れてジッとガン見してたんだ。 と同時に変わってんなって、思った。 クーラーがガンガンきいて寒いくらいの検診車内で、「私はオメガです」と言わんばかりのセーフカラー。 そして、その人から発せられる、むせかえるような、甘い香り。 〝アルファの中には、運命の番を嗅ぎ分けられる能力を持っている者が極希にいる〟って、聞いたことがあったけど、この状況、まさしくそれだっ!!って確信した。 だって、1人前に腹部エコーの検査をした先輩もアルファだけど、そんなこと一言も言わなかったからさ。 俺、アルファの中でも、レアなアルファだったんだな。 香りに引き寄せられた、運命を信じて。 香りに惑わされた、本能にたよって。 俺は晶紀を検診車の中で、いきなり晶紀を押し倒したんだ。 触るとビクッして、泣きそうなのに、感じててさ。 手を握ろうとすると、パッと離すしさ。 なんか変だな、って思ってたらさ。 …………まさか運命の番が、潔癖症だなんて夢にも思わなかったよ、本当。 ………まぁ、アレだ。 それから、強引に晶紀を誘ったり。 ヒートに気付かないくらい鈍感な晶紀を、ヒートにかこつけて………ヤッたりして、番になって。 番になったら、俺に対してはその厄介な潔癖症が治ったみたいで、本当、よかった。 一生、「触る時は、ラテックスのグローブを!!」なんて言われたらたまったもんじゃないもんな。 俺は警察署で刑事三課長をしている。 アルファの特性もあって、昇任試験もトントン拍子でクリアして、あっという間に警部になったんだ。 まだ若いし、ひよっ子だし。 どっちがマル暴だから分かんない先輩達に教えを請いながら、上手く課を回してる。 だから、人付き合いは得意な方。 さらに言えば、酒も強い方。 飲んでも飲まれることがないし、サシで勝負をしても負けたことがない。 ついたあだ名が「王様」。 そして、モテる。 自分で言うのもなんだけどさ、男女問わずモテる。 運命を感じた晶紀が気になって、待ち伏せたあの日。 いい気になっていた俺を真っ向から否定する晶紀にびっくりして、そして、また惹かれて。 傷つけたのは、悪かったけどさ………。 その瞬間。 絶対に振り向かせて、絶対に相思相愛になって、絶対に番になってやるって、心に決めたんだ。 「清一郎……」 その日、俺の名前を呼ぶ晶紀の声がいつになく緊張していた。 こういうカンは鋭いんだ。 「どうした、晶紀?なんかあったか?」 「あー………あの」 「なんだよ?らしくないな」 「……………え、と」 「?!……検診車で襲われた?!」 「…………そんなことするのは、後にも先にも、清一郎しかいない」 「あっ………わりぃ」 「ありがと………」 「はぁ?!」 突然、晶紀から言われたお礼の言葉に俺は、思わず目をむいてしまった。 「今日、主任にすごく嬉しい事を言われた。 僕がいい方向に変わってきてるって。 そういうふうに導いてくれた人に、ちゃんと感謝しろって………だから………清一郎、ありがとう」 「いや、それほどでも」 某アニメキャラの決まりゼリフを呟いた俺を、晶紀はくすっと笑って、その綺麗な細い手を俺の頰に添える。 「清一郎に触れる、清一郎だと気持ち悪くない。 僕は本当にそれだけでいいんだ。 ほかには何もいらない。 いらないんだけど、清一郎のおかげで、僕は変われそうな気がする。 今まで、漠然と辛くて。 何が辛いのか、分からなくて。 清一郎に検診車でヤられた時なんか、めちゃくちゃ辛かったけど」 「………だから、あの時はゴメン」 俺がその言葉を言い終わるか終わらないか。 晶紀の顔が近づいて、俺の唇にその唇が重なる。 晶紀から、なんて。 初めてで、ビックリした。 「辛かったんだけど。 それはもう、昔の辛さで。 今は本当に幸せなんだ。 オメガであることに卑屈になって、萎縮して。 でも、今は清一郎がいるから………清一郎がアルファで僕がオメガで、運命の番で。 清一郎………愛してる」 そして、また、珍しく晶紀が自分から深いキスをするから………。 歯磨きも、お風呂も、すっ飛ばして。 俺たちは初めて、感情の赴くままに肌を重ねる。 hard timesー。 辛いことは、長く続かない。 例えそれを一生分長く感じたとしても。 一過性のものに過ぎない。 だから、明日の、未来の幸せを願って。 俺たちは、笑いながら、手を繋ぐんだ。 そうー。 もう、hard timesなんか怖くないんだよ、晶紀。

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