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『なんでセンセェにキスなんかしたんだよ』 以前、歩道橋で濡宇朗はいきなり志摩にキスをした。 後日、何食わぬ顔で忽然と現れた彼を岬が問い詰めれば、何食わぬ顔のままあっけらかんと回答された。 『気に喰わないから』 『気に喰わねぇからって初対面相手に普通しねぇだろ?』 『時短でコケにしたかった』 『あのな……』 『岬を独り占めするなんてへなちょこ眼鏡のくせに厚かましい』 『おい……』 『ずるい』 志摩への悪意が十分に認められ、好意はからきしということがわかり、多少のモヤモヤは引き摺りつつも岬は濡宇朗の暴挙を許すことにした。 「濡宇朗を俺のそばに近づけるなよ、岬」 当の志摩は許していないらしい。 「俺のウチにアイツを連れてくるのはこれで何回目だろうな」 「悪ぃ、センセェ、でもついてくるって言い出したら聞かねぇんだよ、濡宇朗の奴」 「それ、駄目彼氏の台詞みたいだな」 「はぁ?」 ジメジメした湿気に悩まされるこの季節、簡素なキッチンで熱々のラーメン鍋を作っていた制服姿の岬は隣に立つ志摩を睨んだ。 「別に大したことじゃねぇだろ」 半袖シャツの第一ボタンどころか一番下のボタンも外されて無駄に通気性がよくなっている。 ズボンは膝下までロールアップされて脹脛が曝されていた。 「お前にしてはよくもつと思って」 一茹でした野沢菜を包丁で刻んでいた岬は手を止めた。 腹チラ状態のヤンキー淫魔の腰に意味深に回された志摩の片手。 それだけで褐色頬は素直に熱を帯びた。 「センセェ」 「濡宇朗同伴が続いて、此のところ、おあずけ状態だったろ。テスト勉強で放課後に会うこと自体控えてたしな」 「ん……」 「第三次性徴期到来の兆しか」 「ッ……それは、まだねぇよ、余裕でまだ先だって」 さり気なく括れた腰に添えられた手の、長い指の爪が不意に素肌を浅く引っ掻いた。 「確かにそうか。俺の科目で学年最下位の点数を取ったのも邪心あっての愚行だろうしな」 ……やべぇ、完全に見透かされてた。 「しょうもない奴」 「……しょうもない奴で悪かったな」 「そこまで二人きりになりたいくせ、どうしてアイツを連れてくるんだか」 「だから、言っただろ、濡宇朗が俺と一緒にいたがるから仕方ねぇんだよ」 眼鏡レンズの下で志摩は一瞬だけその目を見張らせた。 「あ」 様々な具材が煮込まれている鍋の傍ら、抱き甲斐のある腰を引き寄せ、うっすら開かれていた岬の唇にキスしようとーー 「岬、ごはんまだ?」 「うわぁ!!」 「ッ……」 開け放されていた引き戸の向こうから濡宇朗が顔を覗かせ、岬は動揺の余り包丁を床に取り落とし、志摩はぎょっとした。 「俺の足を串刺しにするつもりか」 「わ、悪ぃ……濡宇朗、好きなバラエティ番組やってるんじゃなかったのかよ?」 「もう終わってニュース始まっちゃった、ごはん早く」 「もうちょっとで出来上がっから」 「人の家で何様なんだか」 「……悪ぃ」 「お前のことじゃない、岬」 七月に入っても詰襟の制服を着用している、湿気と熱気で不快な外にいても汗一つだってかかない濡宇朗は。 何食わぬ顔で岬と志摩の間に図太く割り込んできた。 「岬の作るものってぜんぶおいしそう、この間のゴーヤチャンプルもおいしかった」 片腕に抱きついて恋人ヅラしている濡宇朗を特に咎めるでもなく、岬は彼の好きなようにさせてやっている。 濡宇朗にある種の警戒心を抱いている志摩には面白くない光景だった。 「岬、味見させてあげる、あーん」 「いや、さっきもうしたし、ッ、熱ぃ!」 「火傷しちゃった? 熱いの、熱いの、とんでけー」 断然、クソ面白くなかった。

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