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志摩に対してエロエロウハウハ展開をいつだって望んでいる割に、岬は、教師宅にまでついてくる濡宇朗を煙たがるようなことはしなかった。 「……オレのことぼっちにするの……」 志摩の元へ向かう素振りを見せればあからさまにしょ気る。 置き去りにされた迷子みたいな眼差しでじっと見つめてくる。 性欲よりも良心が勝り、岬は放課後の逢瀬に濡宇朗を同行させていた。 「あちち」 「火傷すんじゃねぇぞ、濡宇朗」 「岬、フーフーして」 「暑苦しい学ラン君、俺が代わりにしてやろうか」 「ヤダ。せっかくのごはんがマズくなるからイヤ」 「二人ともケンカすんなよ……」 応接間にありそうなガラステーブルを三人で囲んで夕食につく。 エロエロウハウハなムードからは程遠い。 「岬、あーん」 如何せん、濡宇朗がいる手前、エロエロウハウハな行為はできない、相当なスキモノならば可能なのかもしれないが……。 そもそも濡宇朗がいるとそういう気分がごっそり削げ落ちる。 ムラムラが自然と治まるというか。 雛をお世話する親鳥の気分になるというか。 『オレにちょうだい。ありとあらゆる純潔』 歩道橋の上でキスされそうになったときは性欲というより一抹の恐怖を感じた。 それでもこの淫魔を突き放すことができない。 居心地のいい巣に囚われているようなーー 「ごはんまで炊いて玉子雑炊にするなんて用意周到だな」 嫌そうな顔はするものの、なんだかんだ追い返すことはせず、志摩は濡宇朗の同行を受け入れてくれている。 岬はそう思っていた。 志摩センセェ、濡宇朗に対してやたら刺々しいときもあっけど。 濡宇朗は濡宇朗でセンセェに敵意剥き出しだしよ。 その分、キスやらかした二人が変な関係に発展する心配ねぇから、濡宇朗をつれてくるのも抵抗ねぇんだけど。 本当、こんなの大したことじゃねぇ。 オトナな志摩センセェがガチで嫌がるわけねぇよな。 「後片付けは俺がしておく、これ以上寄り道しないで帰れよ」 雨足が弱まった午後九時前、岬は傘を差して帰路についた。 「岬のそのピアス、きれいだね」 行きと同じく濡宇朗が濡れないよう配慮した相合傘で。 制服を着た自分たちよりも年上の通行人が多い表通り、スクールバッグを肩に引っ掛けた岬は反射的に左耳のピアスに触れた。 シンプルなブラックダイヤモンドのメンズジュエリー。 白アッシュ髪といい対を成していた。 「あー……」 ピアスについて周囲への説明を疎かにしてきた岬だが、一緒にいると安心できる濡宇朗には口を開いた。 「母親の形見」 「形見?」 すぐさま聞き返してきた濡宇朗に浅く頷く。 サキュバスの血を引くという母親。 顔も声も知らない。 我が子を産み落とし、間もなくして行方知れずになったと百合也からは聞かされていた。 『捨てようと思ったけど、このピアスには何の罪もないから』 自称・母親である父は姿を消した伴侶について語りたがらず、ただ、このピアスを岬に手渡してくれた。 『形見として岬が持ってなさい』 『おれのかーちゃんって死んだんだっけ? 行方不明になったんじゃねーの?』 『今頃どこかのお花畑で干乾びてるかもしれないし。形見ってことにしておきましょう』 『百合ちゃん、ひでぇ』 干乾びてなんかいない、きっと、今頃どこかで幸せに暮らしてるはずだ。 ただ、俺と百合ちゃんから離れていったとき。 母親としての部分は放棄されて死んだのかもしれない……。 「すごく似合ってる」 街明かりにうっすら浮かび上がる糸雨を写していた岬の吊り目が過剰な瞬きを繰り返した。 ほっそりした蝋色の指先が耳たぶをなぞる。 冷えたピアスをそっと辿った。 「くすぐってぇ」 「いつ開けたの?」 「もらったのは小学生の頃で、つけるようになったのは中学からだ」 ほっそりした手首を加減して掴み、遠慮気味に耳元から遠ざけると「嫌だったら突き飛ばしてもいいのに」と濡宇朗はクスクス笑った。 「……歩道橋でのことは今でも悪ぃと思ってるよ、お前細くて脆いのに、全力で突き飛ばしちまった」 「別に? 気にしてないよ? 志摩に抱き止められたのは癪だったけど」 歩行者信号が青になるのを待つ間、濡宇朗は岬の肩にもたれてきた。 「岬に大切にしてもらって、お母さん、喜んでる」 触れればヒンヤリと冷たそうな蝋色の肌だが、肩に触れる濡宇朗の体温はあたたかく、彼が雨に濡れてしまわないよう岬はさらに傘を傾けた。 雨に曝されている右肩はじっとりと重たく、温もりを受け止めた左側は心地よく。 夏の夜の相合傘で岬は心から息をついた。

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