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志摩がいた。 背もたれつきのスツールに腰掛け、頬杖を突き、どこか一点をじっと見つめている。 常に盛り上がっているダンスフロアなどどこ吹く風で、身じろぎすらせず、至って平行線のテンションでいた。 ネイビーのVネック半袖シャツ、綿麻素材のシンプルなボトムスで普段よりも涼しげな格好をしている。 眼鏡をかけた寡黙な横顔はアクアリウムを彷彿とさせる青いライトを寄り添わせていた。 まさかの人物に出くわして岬は混乱した。 志摩がそこにいるとわかった瞬間、思考回路が吹っ飛んだ。 鼓膜どころか腹底まで揺さぶっていた音楽すら引き波さながらに遠ざかっていく。 バーカウンターまで残り数歩、中途半端な地点で立ち尽くし、視線も意識もことごとく囚われていたら。 志摩が振り返った。 レンズ越しに視線が繋がって岬はたちまち我に返る。 踵を返し、その場から直ちに離れることを迷わず選択した。 無理だ。 まだ会えない。 怖い。 これ以上、もう志摩センセェに拒まれたくない。 エコバッグの取っ手を握り締めた岬は志摩の反応もろくに確認せずに大賑わいのダンスフロアを突っ切ろうとした。 「長ネギだ」 「髪きれい、どこで染めたの?」 「長ネギやばい」 フランクにも程がある客に次々と絡まれた。 先へ進めず、エコバッグから覗く長ネギや頭に平気で触れてこようとする手を振り払うのに躊躇し、傷心からの避難を阻まれた未成年は困惑する。 敵意や悪意のある相手なら立ち向かう。 しかし彼らは単純な好奇心のままに無邪気に行動しているだけ。 どうしたものかと逡巡して逃げ場に迷っていた岬は。 「俺の連れだから」 教室よりもよく通った声が耳のすぐそばで聞こえて無意識に震えた。 「お触りは自分の連れで済ましてくれ」 思いがけないくらいの力強さで引き寄せられて背中が胸にぶつかる。 反射的に顔を見ようとし、岬は、やっぱり怖くて項垂れた。 そのまま引っ張られてバーカウンターまで連れて行かれた。 注文していたワインベースのショートカクテルがバーテンダーから差し出されると「よかったらどうぞ」と、志摩は隣の客に譲り、反対側の隣に着いた岬は恐ろしく自然だった振舞に動揺した。 ……どんだけ慣れてんだよ、志摩センセェ。 「どうしてこんな場所にいるのか聞いてもいいか」 百合也の店で清掃の際に触れることはあったスツールだが、座ること自体あまりなく、慣れない心地にそわそわしていた岬はボソリと呟く。 「こんな場所で酒飲む酔っ払いになんか答えたくねぇ」 延々と繰り返されるノイズに掻き消されてもいいと、投げ遣りに放られた呟きだった。 「さっきのが一杯目で今日はまだ一口も飲んでない」 会話が成立したことに正直驚き、岬は、チラリと視線を向けた。 「お遣いの途中にしか見えないな、お前」 「おつかい」なんてこどもっぽい表現を使用されると素直にむっとした。 「立派な長ネギはすき焼きにでも使う予定か」 「すき焼きじゃねぇ、帰ったら豚汁作るんだよ」 「ふぅん。大根とサツマイモも買ってるのか。豚汁ならじゃがいもだろ」 「俺はサツマイモ派なんだよ、勝手に人の荷物の中味見るんじゃねぇ」 久し振りの会話だというのに随分な色気のなさ。 でも岬はほっとしていた。 普通に話をしてくれた志摩に、予想だにしなかった遭遇で抱えていた緊張感がいくらか和らぎ、スツールに座り直した。

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