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エレベーターホールのすぐ近くにトイレ、こぢんまりしたバーカウンターが設置され、そこで煙草やお酒片手に会話を楽しんでいる客もいた。 一列に配された半個室の各ルームにはレザーソファにテーブル、天井にはシャンデリアがぶら下がり、仕切りのガラス越しに眼下のダンスフロアを見渡せる構造になっていた。 下と然程変わらないボリュームで鼓膜を刺激するエレクトロニックなサウンド。 すでに半分以上の部屋が埋まっており、過剰に密着して意味深に蠢いているカップルもいれば、SNSに上げるための撮影会に勤しんでいるグループもいる、それぞれのテンションで非日常空間を満喫しているようだった。 「どこにもいねぇ」 酔っ払いに奪われかけた長ネギを死守した後、額に噴き出した汗を乱暴に拭い、岬は吐き捨てるように口にした。 「他にどっか別の部屋ーー」 途中で台詞を切り、サルエルパンツのポケットで振動するスマホを慌てて取り出す。 百合也からの電話だった。 長すぎる買い物にやっと疑問を抱いたらしい。 「あるよ。この奥」 志摩が突き当たりの壁を指差し、一瞬迷って、岬はまだ振動しているスマホをポケットに戻した。 「なんだよ、隠し部屋でもあんのかよ」 「まぁ、そういう趣向なんだろうな。このクラブ一番のVIPルームがある」 薄闇に蛍光色のネオン管が点る通路を突き当たりまで進めば。 左手に扉が現れた。 ダメージ加工の効いたアンティーク調の塗装で、古めかしい屋敷に通じていそうな趣きがあった。 「ッ、おい、志摩センセェ」 一切の躊躇なく扉をノックして「お飲み物をお持ちしました」と声をかけた志摩に岬は吊り目をヒン剥かせた。 そのまま志摩は真鍮のドアノブを回して扉を開いた。 完全個室のそこはラグジュアリーというか、ドレッシーというか、ゴージャスというか。 この部屋でパーティーを開いても全く問題ない広さであった。 壁は煉瓦造り風、奥には小さなバーカウンターもあり、天井には二つのシャンデリア、猫脚の丸テーブル上では高価なシャンパンがワインクーラーの中で程よく冷えていた。 最も目を引くのは、中央に配置された、十人以上が悠々と着席できそうな半月の弧を描くデザイン性に富んだ大型のソファだった。 濡宇朗はいた。 詰襟の上を脱ぎ、長袖シャツははだけて、ブラッドムーンを思い起こさせる赤銅色の明かりに蝋色の肩を片方曝していた。 「岬」 大して驚いてもいないような表情で「びっくりした」と口にする。 ダンスフロアの音楽に掻き消されて岬には聞こえなかった。 ソファに仰向けになったスーツ男の胸に従順な飼い猫みたいにしなだれかかる濡宇朗をただ眺めていた。 実のところ岬もそこまで驚いてはいなかった。 予感はあった。 もしかしたらと、こんな光景が頭の片隅にちらついていた。 ただ認めてしまうのが億劫で、濡宇朗に対する疑問を今まで見過ごしてきたように、思考の底に沈めて見ないフリをした。 しかし、その目ではっきりと見てしまった、今。 持て余していたモヤモヤは、リアルタイムの現場に直面してさらに膨張したというよりも、逆に岬の中でいくらか軽くなった。 もう「見て見ぬふり」なんかしなくていい。 自分を偽る必要がなくなって、ほんの少し、ほっとしたのかもしれない。 「濡宇朗」 さて、今からどうしようかとぼんやり考えていた岬はどきっとした。 隠しようのない怒りに漲る呼号を発した志摩にようやくまともに驚いた。

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