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殴られるのは初めてじゃない岬であったが、予期していなかったスーツ男の凶行に即時対応した末、受け身をとれずにソファへ倒れ込んだ。
何かが床に落ちる音がした。
何を落としたのか、確認する前に、彼の声がすぐ近くで聞こえた。
「大丈夫か、岬」
滑らかな手触りの座面に受け止められた顔を上げれば。
自分を間近に覗き込む志摩で視界はいっぱいになった。
「救急車呼ぶか」
「は? 殴られただけで、んな、大袈裟な……」
頬を殴られた拍子に歯で切ったらしい、口腔に不快な鉄錆の味が広がり、唇の際にも血が滲んでいる岬はしかめっ面になる。
床に跪いた志摩は、脳震盪は免れてヒリつく傷口に顔を歪めた生徒の、殴られていない方の頬に片手をそっとあてがった。
「俺の代わりに痛い思いさせて、すまない」
自分を庇って殴られた岬に教師は真摯に詫びる。
詫びられた岬は、ジンジンと痛む頬を上気させて目を伏せた。
「……志摩センセェが殴られるのは絶対に嫌だった、それだけだよ」
あれ。
そういやスーツ男はーー
止まらない音の洪水に唐突に投げ込まれたガラスの粉砕音。
岬は狼狽し、今度は志摩がダメージを負ったヤンキー淫魔の盾になり、二人は揃ってそちらに顔を向けた。
せっかく飲み頃に冷やされていたシャンパンのボトルが粉々に砕け散り、爽やかな飲み心地のスパークリングワインは無残にも床へぶちまけられていた。
テーブルに無慈悲に叩きつけられて鋭い凶器と化したボトル。
注ぎ口を掴んで歪に割れた面を下にし、赤銅色のライトを一身に浴びて、彼はそこに立っていた。
「濡宇朗……?」
物騒なアイテムを手にしているせいか、一瞬、蝋色の肌に血飛沫の幻覚が見えて岬はたじろぐ。
「オレの岬を殴るなんて」
シャツがはだけたままの濡宇朗の顔からは微笑がごっそり剥がれ落ちていた。
「信じられない」
黒目がちの双眸は瞬きを放棄していた。
「許せない」
瞳孔まで見開かせ、怖気を奮うまでに殺気立った彼は、いつの間に床に崩れ落ちていたスーツ男に焦点だけでなく狙いまで定めていた。
「殺してやる」
「ッ……嘘だろ、濡宇朗、やめろよ!」
手にした凶器を頭上高くへ振り上げた濡宇朗に岬は愕然となった。
その手が振り下ろされる前に、志摩は、紛うことなき殺意に駆られた彼を羽交い締めにした。
「岬よりもっともっともっともっと痛い目に遭わせてやる……!」
「おい、いい加減にしろ、警察沙汰になりたいのか」
「離せクソ志摩!!」
濡宇朗は裸足だった、足元にはガラスの破片が散らばっている、まだ凶器を手にしたままで背後の志摩も危ない。
当のスーツ男は、これまた性質が悪いことに濡宇朗からの「裁き」を心待ちにしている有り様で逃げ出す素振りがない。
「クソ……ッ」
最悪な状況を何とかしようと、心身を蝕む倦怠感を振り切って岬がソファから身を起こそうとしたら。
「当店での流血プレイはお断りしています」
騒ぎを聞きつけたオーナーの阿久刀川およびスタッフが「USUAL」きってのプレミアムルームにやってきた……。
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