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「う」
「やっぱり凍みるか」
「別に。凍みてねぇ。これくらい何てことねぇ」
「口の中も切ったんだろ。口内用の消毒薬も買っておけばよかった」
「んな大袈裟な。精々口内炎になるくらいだし、ウガイで十分だろ……、……ッ」
「やっぱり凍みるんだな」
岬は志摩をジロリと一瞥した。
消毒薬を含ませた脱脂綿を口角に軽く押し当て、伏し目がちにポンポンと叩く彼と視線は重ならず、至近距離に迫る顔にこっそりどぎまぎした。
そこは志摩の住む雑居ビル最上階の部屋だった。
「だけど中学生で擦れ違いざまに殴られるなんて怖い話だな」
「怖くねぇし、相手も連れも殴ってやったし」
「ふ。さすが反抗期ちゃん」
終業式振りに訪れた淫魔教師の住処。
日付が変わるまで残り一時間を切った夜中、人心地つくというより気もそぞろなヤンキー淫魔なのであった。
「岬、いいよ、好きなだけいっぱい泣いて」
洋食レストラン「UNUSUAL」で濡宇朗が実の母親であることが判明し、思わず涙した岬。
我が子の産声が記憶に刻まれていた濡宇朗は、逞しく健やかに成長した体をひっしと抱きしめた。
「でも、なんで学ランなんか着てタメのフリしてたんだよ?」
「それは岬の警戒心を緩めるためでしょう」
育児放棄した母親を許して受け入れた岬に倣い、煮えくり返っていた腸を一旦宥め、百合也は答えた。
「後先のことなんて何も考えてない、要は姑息で狡猾なの」
「百合ちゃん、ひでぇ」
岬は涙を拭って笑う。
「あと、なんで俺の純潔くれとか言ってたんだよ、母親なのに」
岬が何気なく口にした台詞に百合也の腸はすぐさまボコボコと煮え立った。
「信じられない、濡宇朗、我が子にまで欲情したっていうの」
「だってオレが産んだんだもん。岬のぜんぶ、オレのでしょ? だから岬の童貞も処女もお母さんのオレがもらうの」
「は?」
「育児放棄してもらって逆に助かったわね」
「ッ……濡宇朗、腕に爪立てるなって」
「やだやだやだやだ、岬はオレのだもん、ねぇねぇ、オレのことママって呼んでみて、岬」
「そんな野良淫魔なんかほっぽって今すぐ家に帰りましょう、岬」
母親の濡宇朗を引き剥がせずに岬は立ち尽くし、そんな板挟みの状況を見るに見兼ねたのは、この場において唯一のヒトである黒須だった。
「今、岬君は誰と一緒にいたいの?」
率直な問いかけだった。
濡宇朗との邂逅に珍しく心がささくれ立っていた百合也は、はたと口を閉ざし、濡宇朗は期待の眼差しで我が子をじっと見上げた。
岬は。
ずっと自分のそばにいてくれた志摩を肩越しに見上げた。
「……志摩センセェ……」
思い出すだけで怒涛の勢いで押し寄せてくる恥ずかしさに溺れ死にそうになる。
……溜まるに溜まってた本音が転がり出た。
……今日一日、いろいろあり過ぎて疲れていたんだろう。
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