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2.離れていく気持ち

「それじゃ行ってきまーす!」 十一時好きに試乗車に乗り込み、店を出た逢阪は仕事半分、ドライブ半分の気持ちで車を発進させる。今日の天気予報は晴れ。店に着くまでは海岸線を通るので、きっとキラキラする海も見れるだろう。もちろん気を使って運転しなければならないが、気分転換にもってこいだ。 ペットボトルのお茶を飲みながら、軽快にハンドルを握る。試乗車にはナビやオーディオはついていないから、必然的が自分のスマホがオーディオがわりとなる。最近、街で人気が出てきた男性二人組のロックバンドの曲が流れて、爽やかな歌声が車内に響く。 車を走らせるとモヤモヤした気持ちも薄れていき、気がついたら歌いながらご機嫌に運転をしていた自分に、つい笑ってしまう。片道百キロ超えの道を逢阪が運転する試乗車は駆けていった。 そして、一時間半。店に着いた頃には空腹のあまり、お腹が鳴っていた。試乗車を駐車場に止めて逢阪はドアを開けた。その姿を見て事務所から営業が走って出てきた。 「遠いところ、すみませーん!本来ならこちらが取りに行かないといけないのに!」 出てきたのは新人の営業だ。ペコペコ頭を下げながら近づいてきた。鍵をポケットから取り出して、営業に渡す。 「いい天気だし、気持ち良くドライブできたから気にしなくても」 あまりに頭を下げてくる営業に笑いながら、逢阪がそう言うと営業はホッとした顔になった。 「商談、決まるといいね」 「はい!ありがとうございますッ!」 入れ替わりに乗って帰る車の鍵を受け取り、逢阪がその場を去ろうとしたとき。 「逢阪さん、ありがとうございました」 背後から自分を呼んだ聞こえて、振り向く。そこにいたのは前元が優男と言っていた龍崎だった。逢阪は自分の名前を呼ばれたことに驚き、硬直していた。 「山本さんから、逢阪さんが車を持って来てくれると聞いていたので」 逢阪の様子に気付いて龍崎は、年齢の割に落ち着いた声でそう話しかける。着ているスーツも安っぽいものではない。店長としての身だしなみを心がけているのだろう。 「あ、はあ…」 間抜けな回答しか出来ず、逢阪は軽く会釈をする。早くこの場を立ち去りたくてたまらなかった。 (わざわざ話しかけてこなくてもいいのに…) そんな逢阪の気持ちなど知らずに、龍崎はさらに話しかけてきた。 「昼食、食べました?僕いまから取るんですけど一緒に行きませんか?」 突然そう言われて、逢阪がギョッとした。さっさと立ち去りたいのに、まさかの誘い。 「俺は、その…」 結構です、と答えようとした瞬間、逢阪のお腹がぐーっと鳴ってしまった。結構大きな音だったので当然龍崎にも聞こえた。 「美味しい定食屋さん、行きましょう」 クスっと笑った龍崎の顔に抗うことも出来ず、逢阪は車の鍵をポケットに入れた。 *** 龍崎に勧められた定食屋は店から歩いて数分で着いた。昔ながらの定食屋で、陳列されているおかずの皿を取っていき、最後に精算する。 「ここはサバの味噌煮が美味しいんですよ、ぜひ」 隣でニコニコしながらおかずをすすめてくる龍崎に、少し拍子抜けしながら逢阪は素直にサバの味噌煮を取る。デキる店長、って聞いていたからもっと神経質なのかと思いきやそんなことはなかった。 他のおかずとご飯を手に取り、テーブルに置いて席につく。パクリと口にしたサバの味噌煮は、辛すぎずよい塩梅で、味噌が香ばしい。 「うま…」 思わず逢阪が口にすると、龍崎がでしょう!と得意そうに笑った。腹が減っていたせいもあり、逢阪は勢いよく箸を進める。お袋の味つけがこの定食屋の売りだろう。懐かしい味に、箸が止まらない。龍崎と話をすることなく平らげた逢阪。お腹を満たして茶を啜ると龍崎はまだ食べきれていない。 「…食べるの、遅いっすね」 思わずそう呟くと、龍崎は箸を止めた。 「逢阪さんが早いんですよ〜。まるでうちの若いエンジニアみたいだ」 「こうみえてもまだ若いんだけど。24だし」 「あっ、同い年!」 「へっ」 思わず声を上げた逢阪。若いとは思っていたが、まさか同い年とは思ってなかった。店長としては若すぎて、同い年としては落ち着いて見える。まさか同い年とはー、と笑いながら龍崎は箸を進めた。 そういえばよく笑う奴だなあと逢阪はその様子を見ていた。土井の言っていたワンコ系の顔とは、彼のような顔をいうのだろう。頭の切れる店長という噂が先行しすぎて、自分の中でイメージを作りすぎていたのかも知れない。 「美味しかったでしょ」 定食屋を後にして歩きながら龍崎が聞いてきた。同い年と分かって、いくぶん話し方が砕けている。逢阪はまあな、と答えた。逢阪の方も警戒心が少し溶けていた。店へ戻りながら話をしたことは、お互いの店舗の雰囲気について。龍崎が聞いてくるものだからあれやこれやと答える。こうやってリサーチするのも、彼の手なのかもしれない。 「そういえば、前任の店長は浅倉さんだったんだよね。いいなあ、一緒に仕事出来たなんて」 突然浅倉の話が出てきて、逢阪は一緒ギョッとする。同じ店で働いていたのだから、名前が出てくることは不自然ではない。逢阪は平常心を保ちながら歩く。 「…浅倉支店長、店長のころより厳しそうだけど」 「まあ厳しいよ。店長とは訳が違うだろうし。実際、支店長が来たらみんな背筋伸びるし」 「そう言えば無愛想だったな」 (二人のときは違うけど) ふとそんなことを思い、笑いそうになった逢阪。だが次の瞬間、龍崎の放った言葉に、逢坂の体が硬直する。 「僕はあの人に近付きたいんだ。一緒にいたくて」 その言葉に、逢阪は思わず横顔を見た。その顔は少し微笑んでいて、キラキラして見えた。まるで… (まさか、浅倉のことを…?) 会議室の前で見た二人を思い出す。仲良さそうな二人。浅倉の笑顔。逢阪はまた口の中が乾いてきた。鼓動が早くなる。こんなことで動揺してどうする、と自分に話しかける。 「試乗車、ありがとうございました。また来てよ」 店に着き、ポケットから鍵を取り出して車に乗り込もうとしたとき、龍崎にそう言われて軽く会釈をした。せっかく溶けていた警戒心がまたカチカチに固まっていることに気づいたが、どうにも溶けない。勘の鋭そうな龍崎だから、何か気づいたかもしれない。 早く帰らないと、何かいらないことを言ってしまいそうで、逢阪は車のドアを開けた。すると… 「龍崎」 後ろから聞こえたのは今、一番聞きたくなかった声。呼ばれた龍崎が振り向いて答えた。 「支店長、今日お見えになる日でしたっけ」 やはり浅倉だ。逢阪は振り向かない。多分、龍崎は笑顔で浅倉に近寄ってるだろう。そんな姿を見たくない。 「ああ。少し用事があって」 浅倉は龍崎の肩越しに逢阪を見る。みんなと同じツナギを着ているし、後ろ姿だから逢阪と分かっていないようだ。それを幸いに、逢阪はするりと身体を滑り込ませて、エンジンを始動させた。そのエンジン音に気付いて、龍崎は慌てて車に寄った。 「ありがとうございました!気をつけて!」 逃げるように発進した車。それに手を振る龍崎がルームミラーから見えた。後ろには浅倉がいる。きっとまだ浅倉は逢阪だと気づいていないだろう。 「…っ」 胸のモヤモヤが上昇してきて気がつけば、逢阪は涙を溜めていた。なぜ泣きたくなったのか自分でも分からない。せっかく逢えたのに逃げるようにして帰った理由も。ただ一つ言えることは。 二人一緒の姿を見たくなかった。自分と同い年で仕事が出来て、人懐っこい龍崎。浅倉が気に入る理由だらけだ。それに比べて自分はただの整備士で、こんなに女々しくて。 逢阪は近くの空き地に車を止めた。涙が溢れて流れて、運転出来ない。こんな感情なんて持ち合わせてないと思ってた。勝手に嫉妬して泣いて。女の子と付き合った時に嫉妬されて、めんどくさいと思ったことがある。まさか自分がそうなるなんて。 きっと龍崎は浅倉が好きだ。 なら、浅倉は?どっちを選ぶ?

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