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第5話 捧げる者と捧げられる者
神殿を囲む森の冬は都の冬よりずっと長く、激しい。何者かの怒りをあらわしているかのように風が吠え猛り、樹々は氷の結晶で覆われる。さらにその上に吹きつけられた雪も凍って厚い層となり、樹々は白い怪物へ変化する。
外は吹雪いているが、西の雲の彼方には鎌の月が浮かんでいるにちがいない。ユトゥの足音は神殿の冷たい静寂のなかで重々しく響く。待ちかまえるかのように、今では馴染みの顔となった幅広の帯の男がどこからともなくあらわれる。この男からはいつも聖別された炎の匂い、煙の匂いがかすかに漂う。この炎をおさめたランタンを使い、冬の砦の兵士は影の中にひそむ悪しきものをみつけだすのだ。
兵舎のいたるところで響くかすかな風の音も、神殿の壁の中では聞こえない。この廊下を歩くのは今回で三度――いや四度目か。襟の徽章に違和感を感じながら、ユトゥはぼんやり思い返している。迷宮へ行けと命令されても、もう驚かなくなってしまった。
最初に迷宮から帰還したのち、都の神殿はユトゥに勇者の称号を与えた。次の鎌の月にもユトゥは選ばれ、そのまた次も。
三度目の帰還ののち、神殿はユトゥに英雄の称号を与えた。
もはやただの兵士でなくなり、部隊を指揮するようになっても、神殿はふたたびユトゥを選んだ。
支度の部屋の扉のなかでは白金の髪の神官が待っている。幅広の帯の男が一礼してさがり、ユトゥの背後で扉がしまる音が響く。
「お支度を」
神官はおだやかな声でいい、ユトゥはうなずいて胴着の紐を解いた。四度目ともなれば、迷宮へ入る前に神官によって施される「支度」の手順にもすっかり慣れてしまっている。だが神官の手で服を脱がされるのをユトゥは好まなかった。
迷宮へ行く支度は砦の兵士たちに神殿が与える慰撫と本質的には同じものだが、正直な話、ユトゥは兵士に神官が奉仕することもあまり好ましく思っていない。他の兵士たちは気にもとめていないか、神官が与えてくれる快楽は過酷な任務に対する報酬の一部だと受け取っている。
神官には男しかいないがやることは一緒だ、とかつて上官のひとりが口を滑らせたことがある。神殿は前線近くの兵営を得意先にする娼館のようなもので、迷宮から悪しきものがさまよいだす冬の森は、実質的に王国を防備する前線なのだ。
しかしユトゥの心はその事実を受け入れるのをどこかで拒んでいた。都に約束した相手がいるわけでもなく、欲望を持たないわけでもない。都の神殿に選ばれるまで、ユトゥは南の辺境で、夏になると国境に攻め入ってくる蛮族を相手に戦っていた。暴力には興奮がつきまとう。戦いのあとにも欲望となっておのれに戻ってくる衝動を体を売る者へ無邪気に発散させるのは、ユトゥの好みに合わなかった。
そんな彼であっても、支度の部屋にただよう香を嗅ぐと、奇妙なほど活力がみなぎり、欲望をかきたてられてしまう。靴を蹴飛ばし、胴着から下穿きまで脱ぎ捨てるユトゥを神官は服を着たままみつめている。神官服の肩に流れ落ちた白金の髪をユトゥはつかみ、首のうしろにある留め金を外す。神官は柔らかい笑みをうかべ、体を揺らした。黒服が足元まですべるように落ちる。細身の白い肌は交差する革の帯で縛られ、擦れた皮膚がわずかに赤い。
その細い革帯を引きちぎりたい衝動を抑えてユトゥは神官を抱きよせた。浴槽の縁に尻を乗せ、身を引こうとする細身の体を抱きかかえ、胸の尖りに唇を這わせる。はっと息をのむ気配がする。すでに大きく膨れ上がったユトゥの欲望は抱きよせた相手の腹の上で存在を主張し、一方で神官の、薄い三角の革で隠された部分はユトゥと同様に堅くもりあがっている。
隙間から染み出した体液をユトゥは指ですくいとり、後ろの割れ目へと伸ばしながら、唇で胸を吸う。抱いた体がこらえきれないように震え、美しい顔から甘い息が吐きだされるが、声は出なかった。ユトゥの唇は神官の首筋をたどり、逃げようとする顎をとらえる。噛むようにして強引に唇をひらかせ、けっしてあげない声のかわりに舌で口の中を犯す。そうしながら尻の割れ目に這わせた指を奥へと進ませる。あらかじめ準備してあるにちがいない神官の体内はユトゥの指を難なく受けいれた。奥のある場所に触れたとたん体が痙攣するようにびくりと跳ね、ユトゥは神官の唇を解放する。とたんに声を噛み殺すかのように神官の喉が動く。
まるで自身が感じる快楽を声にあらわすのを禁じられているかのようだ。砦で兵士に奉仕する他の神官なら、嬌声を漏れ聞くのは珍しいことではないのに、彼はちがう。
ユトゥは神官のまなじりへ唇を這わせ、こぼれる雫をそっと舐めとる。雫はかすかに塩からい。汗か、涙か。ユトゥは濡れた体を抱いて運び、寝台の上に押さえつける。白金の髪と白い肢体が眼もくらむような欲望を誘う。細い腰を貫いて突き上げると応えるようにうごめき、衝動の頂点までユトゥをつれていく。
この部屋で何度達しても欲望がおさまらないのは、部屋に漂う香のせいか、それともこの体のせいだろうか。しまいに腕のなかでぐったりした体を抱きしめてユトゥは困惑し、そのまま寝台で眠らせようと思うのだが、頭を枕につけたとたん神官は眼をあけ、のろのろと起き上がる。ここで眠れといっても首をふり、ユトゥの視界から消えてしまう。
いったい、慰撫とは何のためにあるものか。
迷宮から戻った時もユトゥは彼を抱いているようだ。ようだ、というのは、迷宮から戻ったユトゥにはその意識がないからである。気づけばいつも同じ神官をかき抱き、噛みつき、引き裂いて傷つけている。血だまりの中に白金の髪と美しい顔をみつめ、自分自身にぞっとしながら神官の名を思い出す。
レシェム。
「いつからここにいる?」
翌朝、吹雪はおさまっていた。運ばれた食事に手をつけるのはユトゥだけだ。レシェムはきちんと神官服を身にまとい、穏やかにユトゥをみていた。
「ずっと」
「ずっと――とは……こんな暮らしをずっとしているのか? こんな……春や夏のあいだはどうしている」
「私たちは冬に備えるために存在するのです。冬、あなたのような迷宮へ行く兵士のために、私は神殿に捧げられた者」
「捧げられた、だと」
ユトゥの中にふいに憤りがわきあがる。レシェムは穏やかな表情で小首をわずかにかしげ、ユトゥの怒りなど理解していない。いや、捧げられた者といえば、ユトゥ自身もそうなのかもしれない。鎌の月のたびに迷宮へ赴いた兵士で、近年戻ってきたのはユトゥだけ。そのためだろうか、この冬、砦の兵士は命を落とさずにすんでいる。ユトゥは兵士として迷宮へ赴くことを受け入れた。レシェムもユトゥと同様に任務を果たしているだけのこと。ただそれだけのことだ。
しかしユトゥには何かが間違っている気がしてならなかった。神官は静かに座っている。何度その体を抱いても、ユトゥにはおのれを手放した者の声を聴くことが許されない。
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