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第4話
「明、何なんだ、今日のステージは!」
「怒鳴るな。奥で話をしよう」
「フィオーレ」のプロデューサーのテラ・フェットは、外資系ホテルのスイートルームに住んでいた。スタジオ「ピアンタ」に設置された定点カメラで、今日のライブを観ていたらしいテラは、事情の説明のために訪ねてきたハナの兄の白井明(しらいあきら)に対して、躊躇うことなく苛立ちをぶつけた。
明は「フィオーレ」を立ち上げたプロデューサー兼最高責任者だ。ハナの血が繋がった兄でもあり、ハナが「フィオーレ」のバックアップメンバーに入ったのは、このアルファの兄、明によるところが大きい。
ハナを伴いテラの住まいへくるなり、明は宥める声を出して、テラの肩に手を置いた。
通常、地下アイドルのプロデュース業は分業制であることが多く、「フィオーレ」もその例に漏れなかった。金回りと舞台演出全般を担当する責任者の明は、渉外担当兼作曲家兼衣装デザイナーのテラと、立ち上げ時からずっと二人でタッグを組んでいる。
明はハナを庇うようにして、テラの背中を押し、奥の部屋に二人で入っていった。ドア越しに若干乱暴な話し合いの声が漏れてくるが、何を言っているのかまではハナには聞こえてこなかった。
が、しばらくすると、テラを連れた明がドアを開けて、ハナのいるリビングへ出てきた。
「そういうわけで」
「……わかった。だが、今から彼用の衣装をつくるとなると、徹夜じゃ時間が足りないぞ」
「手伝おうか?」
「冗談じゃない。きみの不器用に手を焼くのはごめんだ。これ以上の面倒は、勘弁してくれ」
「はは」
うんざりした様子のテラの言葉に、明は笑った。ふたりの間の空気が和やかなものに変わったことに、ハナも幾分か密かに安堵した。テラの明に当てた揶揄に、内心、苦笑する。明はピアノが上手いくせに、手先がものすごく不器用なのだ。
「デザインを起こすから、その辺にいてくれ、明。詳細を詰めよう。くれぐれも家にあるものに触らないように」
指示を出したテラの、明に対する尊大な態度を見たハナは、刹那、
(あ)
と思った。
(この人、アルファだ……)
当たり前といえば、当たり前のことだった。
かすかに残り香がする。部屋に入った時からしていたいい匂いは、このアルファのフェロモンだったのだと今頃になって気づいた。
「あの、兄さん……」
ハナが慌ててテラのことを尋ねようと口を開いた時だった。やにわに電子音が鳴り響き、明が懐からスマートフォンを取り出した。
「はい」
掛かってきた電話は、何やら、ややこしい話であるらしく、テラとハナをチラリと見た後で、明は部屋の隅にいき、低い声でやり取りをしている。
終わると、眉間にしわを寄せて、テラとハナを交互に振り返った。
「悪い、急用ができた。どれくらいかかる?」
「明日の取締役会か? とりあえず、彼用にデザインを弄ってから、採寸、仮縫い、仕上げと最低でも三回は彼が必要な工程がある。仮縫いと仕上げは衣装ごとにするから、全部で七回。一着につき、おおよそ五日はみてくれ」
「四人だから、照明を弄らなくていいのは助かるな。七回か……ハナ、大丈夫か?」
「えっ、あの……」
「お前が必要なんだ。心配しなくても、この男は信用できる。大丈夫だ」
──大丈夫。
兄がくれる「大丈夫」は、以前に証明されている。
「わ、わかった」
緊張の面持ちで兄の明に頷くと、クシャリと髪を撫でられた。百八十センチ弱ある明にとって、身長が百六十八センチほどしかないハナは、今でも保護対象のようだった。
「早く行かないとまずいんじゃないのか?」
テラに促され、明は上を向いて呻いた。
「帰りはハイヤーを呼んでやってくれ。くれぐれも、変に手を出すなよ!」
「取り越し苦労がよく似合っているな、明。言われなくともオメガの弟なんて、面倒くさいものに手を付けたりはしない」
「おい、何でわかった……」
「顔を見ればそれぐらいわかる。早く行けよ」
オメガ「なんて」と皮肉って、テラは花が咲いたような笑みを浮かべた。あの兄をあしらい、用済みとばかりにヒラヒラと片手で追い払う。
「兄さん……」
「着替えと荷物、ここに置くからな。何かあれば、電話してくれ」
「うん。お疲れさま」
ハナの言葉に、明は背を向けて軽く片手を上げ、出ていった。
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