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第9話
『明日の十時にきてくれ。採寸をするから、そのつもりでな』
衣装をつくる前に、色々と準備があるらしかった。
ハナは大学の講義が入っていなかったことに胸を撫で下ろすと、時間どおりに、昨夜、明と訪れたホテルのスイートの部屋をノックした。
「──きみか……」
ドアはすぐに開き、明らかに寝不足の顔をしたテラがいた。
「入るといい。荷物はその辺に置いて。楽にしてくれ」
テラは昨日と同じワイシャツの両袖をまくった状態で、寝癖に跳ね上がった後頭部を晒してハナを迎え入れた。
「女性と男性じゃ骨格が違うから、きみの服は特に注意しないとな」
ハナが部屋でシャツ一枚になると、メジャーを持ったテラが正面に立った。皮膚の上から指先で押さえ、メジャーを当ててゆく。少し、くすぐったいとすら思える力加減だった。
呪文のようなアルファベットと数字の羅列をメモに書き付けながら、テラは世間話の延長のように、いきなり話を振ってきた。
「……明から、だいたいの話は聞いたが」
そう前置きして、採寸を続けながら言う。
「きみはそれでいいのか?」
「え?」
質問の意味が、一瞬わからなかった。
明には、昨夜、家に帰ったあとで、しばらくフィンの代わりにステージに立てるか、尋ねられていた。ハナは明の問いに、首を縦に振った。他に方法などなかったのだから、仕方ない、とある意味、ハナは考えていたのだ。それに明は、バイト代にフィンの分の給料を上乗せして支払うと言ってくれている。ステージに立つ以上、そういうけじめは大事だと諭された。
「状況に流されてステージに立ったはいいが、フィンの身代わりだろう? きみはそれでいいのか? 自分の意志は?」
「それは……」
畳み掛けるように質問され、たじろぎながらハナは考える。
自分は、歌も踊りも好きだ。
それに、兄のためにもなる。
牧野も、喜んでくれている。
フィンに、力添えもできる。
──なら、断る理由なんて、どこにもない。
「……いいです、ぼくはこれで」
言った後で、ハナは再び繰り返した。
「いいんです。ぼくが決めても、誰が決めても、同じ結論だったから」
ハナが微笑すると、それを見たテラは一瞬、押し黙った。
肩を掴まれ、身体の向きを変えさせられながら、こうしてちゃんと口に出すことができたのは、牧野のおかげだ、とハナは思った。牧野が肯定してくれなかったら、ハナは自分の気持ちをちゃんと主張できなかったかもしれない。
じんわり、胸が温かくなる。
しかし、そんな感傷に浸ることを、テラが押し止めた。
「オメガというのは存外、柔らかいものだな」
テラの感想に、思わずハナは頬を染めた。身体を触りながらそういう言葉を口にするのは、反則だと思う。
「きみは女性的な体型だから、他のメンバーのデザインに寄せやすい。助かる」
テラは言いながら、ハナには全く意味不明の文字列を書き付けたメモを仕舞うと、ハナを見下ろした。
その時になって、ハナはこのアルファが、兄よりも背が高いことに初めて気づいた。
「それにしても、明も向こう見ずなことをしたものだ」
「兄とは……仲がいいんですか?」
「ロンドンで知り合って以来の仲だ。彼に誘惑されて、今じゃ「フィオーレ」の渉外ごとを押し付けられている」
眉を顰めて溜め息をついてみせるが、きっと、この人は兄に好印象を持っているのだ、とハナは思った。言葉の端々に、そういう感情は出るものだ。
「ふふ」
「何がおかしい?」
「あ、ごめんなさい。ただ、「フィオーレ」に対して真摯なんだなって」
じろりとテラに睨まれて、ハナは首を竦めた。
「あの……」
「何だ、まだ何か?」
テラが煩わしそうにハナを見下ろす。
ハナは思わず、テラを見上げて、なんて背の高い人なのだろう、と思った。
「向こう見ずって、どういう意味ですか?」
ただ、沈黙を埋めるための会話のはずだった。しかしハナは、話しをするうちに、もしかするとテラは、ハナに手を引くよう説得するための糸口を探っているのかもしれない、と思いはじめた。
「きみはアルファじゃないだろう?」
「はい」
「きみがアルファでないことを、「フィオーレ」のファンたちは知らない」
「あ……」
男装女性アルファの地下アイドルグループとして売っているフィオーレは、当然、女性アルファのグループだ。そこに暫定的にとはいえ、男性オメガが混じっていると知れたら、いくら女性アルファと男性オメガが生物学的に九割九分九厘恋愛対象にならないとわかっていても、いい気分のしない者も、当然、いるだろう。
アルファの集団だと思っていたものに、よりによって異質な男のオメガが混ざっていることが知れたら……。
そう考えると、うすら寒い気がした。
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