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第19話(*)
「こんにちは」
渡されたカードキーで、ハナはテラの住処へと足を踏み入れた。
「あの、テラ……? ハナです。いますか……?」
何度か呼びかけてみたが、中はしんとしていて、人の気配がない。約束の時間を間違えたのだろうかと思い、ハナは途方に暮れて、静まり返ったメインルームを見回した。
布。
糸の類。
型紙の束。
レースとドレープの試作品。
つくりかけの衣装を纏うトルソー。
それから、どうやって運び込んだのか、布の裁断などに使うのだろう大きく広い机と、工業用のミシンまでが置いてあった。
(何か……懐かしいな)
テラの住処はまるでハナの母のアトリエのように、雑然としている。
キラキラしていて、夢がたくさん詰まっていた。
部屋の中央まで進もうとして、ハナは足元にあるメモを踏んづけてしまった。
「『十五分ほど出てくる。待っていること』……?」
拾い上げた紙には、テラの筆跡でそう書かれていた。いつからの十五分かはわからないが、とにかくテラがいないのだとわかると、肩の力が抜け、気が抜けた。テラと逢う時は、いつも緊張してしまう。
そんなことを思っていると、ふとテラの匂いが鼻を掠めたような気がした。
テラはいつも、甘い、大輪の薔薇のような、滴るような瑞々しい香りをさせている。それを意識した途端に、まるで背後に彼がいるかのような、焦燥に似た情動が、体の奥から湧いてきた。
(あ)
自覚した瞬間、ピリッと神経過敏になった時のような衝動が芽生えた。
じわりと、骨を蝕むような甘さに襲われる。それは、身体を触られた時に感じる、ぐずぐずに蕩けていくような、他では味わえない感覚だった。
「ん……」
(発情……じゃない。でも……)
気づいた時は、もう遅かった。
身を捩って、その感覚が溢れる前に、どうにかハナは蓋をしようとした。が、意識してしまったものをなかったことにするには、ハナは繊細にできすぎていた。
(ど、うしよ、う……)
身体の奥を、直接指で撫でられるような、甘い衝撃。抑制剤なら飲んできている。なのに、テラの匂いと、ここにくるたびに行われる、火遊びのようなあられもない行為を思い出しただけで、こんなに反応するなんて。
今日は仮縫いをした衣装が出来上がってくる日のはずだった。どうにかこの情欲をおさめないと、試着の時に恥ずかしい思いをするのは明白だった。考えた挙句、ハナは恐るおそるベッドルームを覗いた。
誰も、いない。
自分のしようとしていることが、悪いことなのはわかっている。けれど、この欲情に似た衝動を鎮めないことには、テラと面と向かって話すことすら、できそうになかった。
ドアから中へ入った途端、濃いアルファの匂いがして、無意識に息を吸い込む。どうにかしないと、と逸る気持ちを何とか宥めて、ハナは、いつもテラが座っているベッドサイドの同じ位置に腰を下ろした。
ギシリとスプリングが鳴る音さえ、ハナの鼓膜には、刺激になった。ハナは襲いくる欲望に身を任せる方向へ、急激に自分が傾いでゆくのを感じた。
いつもなら、背中をテラに預けられる。
でも、今日はひとりだった。だからこそ、剥き出しの情欲がハナを駆り立てる。
散々迷った挙句、ハナは思い切って、デニムの前を開いた。
膨らみかけた性器が、下着を押し上げている。
(少し、だけ……。少しだけだ……)
ハナはそう言い訳して、すぐに慰めて終わらせてしまおう、と思った。
(こんなこと、他人の部屋で、したことない、けど……っ)
下着を押し下げて、直に昂りを握り込むと、既に先端は濡れていた。
「ふ……、はっ……」
ん、ん、と声を出さないように唇を噛んで、いつしか覚え込まされてしまった、テラの掌の感覚を辿る。先走りをまとわせると、くちゅくちゅと指が卑猥な音を立てた。耳をふさぎたかったが、同時に、もっと欲しくなる。こんな風に、切迫した欲望に駆り立てられたことのなかったハナは、新しく覚えたばかりの感覚に、混乱させられた。
「ぁ……っ、は、んん……っ」
こんなのは、嫌だ、とハナは思った。
早く終わりたい。
普通に戻りたい。
なのに、ベッドの上はテラの匂いがとても強くて、逆らうことができなくなりそうだった。
(っ、どうし、よう……っ)
どんどん膨れ上がっていく衝動が怖い。思考が混乱してくる。普通の状態に戻れ、と念じれば念じるほど、ハナの身体には、興奮が募っていった。
思うとおりにひとつもいかない、この身体が嫌いだ。
知らないどこかへ、押しやろうとする快楽が怖い。
誰かに縋りたくて、正気に戻りたくて。
助けて、欲しくて──。
ハナは一番頼りになる人の名前を呼んだ。
「は、ぁ、牧野、さ……」
そうして、もう少しで上り詰める、と思った刹那。
「何をしている?」
テラの氷のような声がした。
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