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第20話

「あっ……」  テラの声がした途端、ザッと全身の血が引いた音をハナは聞いた。  身体を強張らせ、すぐに利き手を昂りから離す。  見ると、テラがドアから中を覗き込んでいた。幸い、照明がひとつも点いていない、薄暗い部屋の中までは見えなかったようだったが、テラがきた途端に、甘い匂いが一段と強くなった。 「ちが……」 「ハナ? 私の部屋で何を……?」 「これは……っ」  刹那、テラが足を踏み入れるのを躊躇い、立ち止まった。 「きみは……」 「ごめんなさい……! あの、で、出直します……!」  テラが口を開きかけたのを遮るように、ハナは急いで身づくろいをすると、彼の横をすり抜けようとした。  しかし、すんでのところでテラに二の腕を捕まれてしまう。 「待ちなさい」 「ひっ……!」  消え入りたい、と思った。きっと、テラはこの部屋でハナが何をしていたのか、知ってしまうだろう。オメガほど鼻が利くわけではないだろうが、ハナの匂いが混じるこの部屋は、アルファにとっても発情装置のようなものだろうから。  しかし、テラは怯えるハナに、いつもの怜悧な口調で諭した。 「何もしないから、落ち着きなさい」 「ご、ごめ……」 「謝るな。こちらが悪いことをしている気になるだろう」 「あっ、すみま……ちが、あの、ぼ、ぼく……っ」  ハナの狼狽する様子に、テラは呆れた様子で溜め息をついた。 「別に物取りじゃないなら、いいんだ。カードキーを渡したのは、きみを信頼した、私の判断だし……。ただ、私の寝室で、きみが一体、何をしていたのか、それを知りたい。質問に答えてくれ」 「っ」  黙り込んだハナを、テラはしばらく凝視していたが、やがて壁際にあるスイッチを押すと、間接照明が点灯する室内に、ハナを引き戻した。  少し乱れたシーツのシワを見られただけで、全てが白日の元に晒される気がする。ハナは消え入りたい気持ちで、一連の自分の行いを酷く後悔した。 「……仕方のない奴だ。わたしはリビングで待て、と書き置きをしたはずだが、読んでなかったのか?」 「読、み……ました……」 「じゃ、何で? きみは待てもできない犬以下じゃなかろう?」 「っ……」  返す言葉もなかったハナが、おずおずと頷くと、テラは不機嫌を丸出しにした様子で、再び溜め息をついた。  テラとハナが動くたびに、部屋の空気がかき混ぜられる。自分ではわからないが、きっとハナの漂わせている匂いが、テラのそれと混ざり合っているはずだった。唯一の救いは、テラがそのことに気づかないでいてくれることだ。  テラは、ベッドの傍に置かれている一人掛けのカウチにハナを座らせると、自分も小さなチェストに腰を下ろし、互いに向かい合った。 「なぜこんなことを?」 「……っ、ぼく、は……」  ふと、テラは抑制剤を飲んでいるのだろうか、と思った。俯いたハナは、身体の前で指をぎゅっと組んだまま、腹をくくるしかない、と決意した。 「あなたを……、汚すことを……してました」  囁くように告白すると、テラは無慈悲にも詳細を促した。 「それじゃわからない。具体的に」 「じ、自慰、を……」  耳がみるみる赤くなる。顔が火照って、目眩がしそうだった。 「あなたの匂いにつられて……、身体が反応してしまって、が、我慢、でき、なくて……」 「発情ではないな?」 「違います……。出せば、おさまる感じだったから」  謝りたい。謝罪したい。  でも、テラは駄目だと言うだろう。  こんなの、自分の欲望を満たすためだけに、テラを、体のいいアルファとして利用したようなものだ。何でこんなことをしてしまったのか、自分でもわからなかった。起きたことは取り消せないが、酷いことをしてしまった、とハナは目をつぶって顔を覆った。  でも、泣きたくはなかった。 「バレないなら、いいと思ってしまったんです。どうかしてました。どうして、好きでもないのにこんなこと……、信じられない」 「……」  テラの沈黙が怖かった。  そして、告白しながら、オメガの性質だからと許されることを期待している自分を、ハナは心底から嫌悪した。  これはオメガの甘えだ。  アルファの匂いに引きずられて、欲望を丸出しにしたオメガの、何と醜い本性だろう。  しかしテラは、顔を覆っているハナの両手首を取ると、そっとそれを横に退けて言った。

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