39 / 49

第39話

「あの、っ」 「……何だ?」  テラは、ハナが振り向いても、視線を投げて寄越そうとしなかった。 「これからも、ぼくと、時々逢ってくれませんか……?」 「──それは交際の申し込みか?」 「いや、ちが……っ、その、ぼく、テラにお礼がしたくて」  混ぜっ返されると知っていたら、こんなこと言わない方が良かったと思ったハナが拳を握ると、テラは一段低い声を出した。 「きみは私を挑発するつもりか」  責めるような口調だった。 「っ、だって……っ、ぼくが泣いてから、テラは素っ気なくて……、ぼくがいつまでもうじうじしてるのが、嫌なんだろう、って。でも、テラにはたくさん色々もらったし、そりゃ──嫌なこともされたけど、お返しを、したいんです。色々考えたけれど、お金もそれほど、ぼくは持ってないし……」  そこまで一気に吐き出すと、ハナはずっと悩んでいた気持ちを、やっとぶつけられる気がした。 「あんなに傍にいたはずなのに、ぼくはあなたのことを、何も知らない。だから……」  顔を上げると、ハナの家の門の前だった。時間切れだ、と思ったハナは、また上手くいかなかった、と後悔しかけた。でも、まだカードキーがある、とハナは鞄に付いているパスケースを握り締めた。これがある以上、テラを訪ねてもいい、ということだろうと思った。  その時だった。  停車した車内で、テラのシートベルトを外す音がした。  不意に、俯いたハナの頤を、テラの指がぐい、と持ち上げる。  その刹那──。  見開いたハナの視界いっぱいに、テラの顔が迫ってきた。 (──え……?)  唇に、暖かい柔らかみのある何かが触れた。  それは一瞬だったが、確かな感触を伴っていた。 (キス……された……?)  その事実に驚いて、テラを見上げると、群青の眸が苦しげに煌めいた。 「私が欲しいのは、きみだ、ハナ」 ☆ 「……え……?」 「言っておくが、煽ったのはきみだからな」  いきなり低い声で言われて、カッと耳が赤く染まった。そんな話は聞いてない、とハナは思った。反則だ。こんなの。心臓がドキドキしてくる。テラの匂いが車内に濃く充満して、息苦しくなってくる。そして、自分はまた間違ったのだろうか──と思った。 「だっ……て、フィンさん、は……?」 「フィン?」 「だ、だって……水族館に連れていってくれたのって、フィンさんの提案だったんでしょう? なのに、ぼくが変にはしゃいだから、機嫌が悪く……」  だからハナに、オメガらしくあれと、態度で諭したのだろうと思っていた。出しゃばって変な気を持たれては、困るから、途中で止めたのだと。 「違う。あれは……、フィンとは作詞の件で詰めることがあって、逢っていたのは事実だが、あれは私の心の中にずかずか踏み込んでくる性悪だ。誰が……」 「じゃあ……」 「大事な人を傷つけてしまった、と言ったら、どうせ慰めるならデートに誘えと言われた。ご丁寧に水族館のチケットまでくれて、相手がきみだとわかったら、鼠を狙う猫みたいな顔になって、渡してくるから日曜の十一時に待ち合わせをしろと言われて……。だから彼女がきみの家に行った責任は、私にもあるんだ。すまなかった」 「そ、そうだったんですか……」 「彼女なりの激励だったのだろうが、私はこういうことには疎いんだ。引きこもりだったせいで」 「……」  ハナがぽかんとテラを見ると、「そんな顔をするな」と言われて、髪を梳かれた。 「フィンとは誓って、何もない。仕事の関係で、親しくせざるを得ないだけだ」 「そ、そう……ですか」  え、でも、そうすると……、とハナは自分の脳味噌が高速回転するのを追った。テラは大事な人と言った。欲しいとも言われた。 (──それって……) 「そうだ」  その瞬間、ハナの心を読んだように、テラが呻いた。  群青色の眸が煌めく。 「本当は、こんな風に話す予定じゃなかった。私は、きみのことが好きだ」

ともだちにシェアしよう!