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第39話
「あの、っ」
「……何だ?」
テラは、ハナが振り向いても、視線を投げて寄越そうとしなかった。
「これからも、ぼくと、時々逢ってくれませんか……?」
「──それは交際の申し込みか?」
「いや、ちが……っ、その、ぼく、テラにお礼がしたくて」
混ぜっ返されると知っていたら、こんなこと言わない方が良かったと思ったハナが拳を握ると、テラは一段低い声を出した。
「きみは私を挑発するつもりか」
責めるような口調だった。
「っ、だって……っ、ぼくが泣いてから、テラは素っ気なくて……、ぼくがいつまでもうじうじしてるのが、嫌なんだろう、って。でも、テラにはたくさん色々もらったし、そりゃ──嫌なこともされたけど、お返しを、したいんです。色々考えたけれど、お金もそれほど、ぼくは持ってないし……」
そこまで一気に吐き出すと、ハナはずっと悩んでいた気持ちを、やっとぶつけられる気がした。
「あんなに傍にいたはずなのに、ぼくはあなたのことを、何も知らない。だから……」
顔を上げると、ハナの家の門の前だった。時間切れだ、と思ったハナは、また上手くいかなかった、と後悔しかけた。でも、まだカードキーがある、とハナは鞄に付いているパスケースを握り締めた。これがある以上、テラを訪ねてもいい、ということだろうと思った。
その時だった。
停車した車内で、テラのシートベルトを外す音がした。
不意に、俯いたハナの頤を、テラの指がぐい、と持ち上げる。
その刹那──。
見開いたハナの視界いっぱいに、テラの顔が迫ってきた。
(──え……?)
唇に、暖かい柔らかみのある何かが触れた。
それは一瞬だったが、確かな感触を伴っていた。
(キス……された……?)
その事実に驚いて、テラを見上げると、群青の眸が苦しげに煌めいた。
「私が欲しいのは、きみだ、ハナ」
☆
「……え……?」
「言っておくが、煽ったのはきみだからな」
いきなり低い声で言われて、カッと耳が赤く染まった。そんな話は聞いてない、とハナは思った。反則だ。こんなの。心臓がドキドキしてくる。テラの匂いが車内に濃く充満して、息苦しくなってくる。そして、自分はまた間違ったのだろうか──と思った。
「だっ……て、フィンさん、は……?」
「フィン?」
「だ、だって……水族館に連れていってくれたのって、フィンさんの提案だったんでしょう? なのに、ぼくが変にはしゃいだから、機嫌が悪く……」
だからハナに、オメガらしくあれと、態度で諭したのだろうと思っていた。出しゃばって変な気を持たれては、困るから、途中で止めたのだと。
「違う。あれは……、フィンとは作詞の件で詰めることがあって、逢っていたのは事実だが、あれは私の心の中にずかずか踏み込んでくる性悪だ。誰が……」
「じゃあ……」
「大事な人を傷つけてしまった、と言ったら、どうせ慰めるならデートに誘えと言われた。ご丁寧に水族館のチケットまでくれて、相手がきみだとわかったら、鼠を狙う猫みたいな顔になって、渡してくるから日曜の十一時に待ち合わせをしろと言われて……。だから彼女がきみの家に行った責任は、私にもあるんだ。すまなかった」
「そ、そうだったんですか……」
「彼女なりの激励だったのだろうが、私はこういうことには疎いんだ。引きこもりだったせいで」
「……」
ハナがぽかんとテラを見ると、「そんな顔をするな」と言われて、髪を梳かれた。
「フィンとは誓って、何もない。仕事の関係で、親しくせざるを得ないだけだ」
「そ、そう……ですか」
え、でも、そうすると……、とハナは自分の脳味噌が高速回転するのを追った。テラは大事な人と言った。欲しいとも言われた。
(──それって……)
「そうだ」
その瞬間、ハナの心を読んだように、テラが呻いた。
群青色の眸が煌めく。
「本当は、こんな風に話す予定じゃなかった。私は、きみのことが好きだ」
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