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第25話 逃げないで

真人のマンションは、慧が想像しているよりも豪華で、広かった。きょろきょろする慧にソファに座るように勧めて、真人は二人分のコーヒーを淹れにキッチンへ消えた。整理整頓されたリビングには、真人がデザインしたと思われるジュエリーがインテリア代わりに飾られていた。分厚い洋書が本棚を埋めている。 慧でも分かる著名な画家の作品が壁を埋めている中で、一枚だけ、写真が飾られていた。 14、5歳くらいの制服姿の美少年がふたり、満面の笑みで並んでピースサインをしている。紺色のブレザーに、ワインレッドのネクタイ。 わずかに面影のある真人と、今の姿からは想像もつかないあどけない笑顔の理人。 その写真の前でつぶやいた慧に、真人が後ろから声をかけた。 「かわいい・・・」 「15歳の頃だよ。まだ純粋に兄弟だった・・・ぎりぎりね」 テーブルにコーヒーを置いて、真人は慧と隣り合わせにソファに腰を降ろした。 「14年ぶりの再会は・・・どうでしたか」 慧の質問に、真人は壁の写真に視線を移した。写真の理人を見ながら、こう答えた。 「変わっていなかった。繊細で、甘ったれで・・・怒っていると思って覚悟して行ったんだけど、会ったら、お互いその気持ちもどこかへ行った」 「本当に、大切な存在なんですね」 「そうだね・・・半身かな。俺達はふたりでひとりだった。どっちかが体調悪いのもすぐ気がつくし、言おうとしてたことを先に言われ たり・・・一卵性双生児っていうのはみんなそうなのか、よく知らないけど」 「今も・・・理人さんを好きですか」 「・・・もし今、一人だったら、好きだって言ったかもしれない」 真人は膝の上で手を組んで、慧を見ずに答えた。 慧は目を逸らさないように、唇を噛みしめて真人の横顔を見つめた。 「俺には今、慧がいる。理人には・・・一樹さんがいるから。お互い、大切な人がいたから、再会出来たのかもしれない」 真人が言った「一樹さん」という言葉に、慧の膝がぴくりと動く。 前を向いていた真人の視線が慧の方を向いた。少し哀しげに微笑うのは、真人の癖だった。 「慧がいたから、気持ちがブレなかった。それは信じて欲しい」 「・・・はい」 「一樹さんが・・・」 慧の視線に真っ向から向かい合って、黒瀬との関係を説明し始めた。 「理人と付き合い始めたのは、確か2年くらい前で、俺が一樹さんといたのはそれよりもっと前・・・俺と一樹さんは、最初、身体だけの関係だった」 慧の脳裏に理人の言葉が蘇る。性欲が愛じゃないと、誰が決めた?その言葉は未だに慧の心に刺さっていた。自分と真人との関係と、黒瀬と理人との関係は、何が違うのだろうか。慧はずっとそう考えていた。 「俺はその頃男関係が荒れていて、相手を取っ替え引っ替えしていてね。その中の一人だったんだ。すぐ別れるだろうと思ったんだけど、一樹さんが思いの外大事にしてくれて、俺も彼に溺れていった。・・・で、一番やってはいけないことをした」 「やってはいけないこと?」 「離婚させた」 「え・・・・っ」 黒瀬の離婚は、さくらに聞いていた。その原因が真人だった。慧は必死に平静を装った。 「当時の俺は、奥さんのところに戻っていく彼が欲しくて欲しくてたまらなかった・・・ベタに、ピアスを鞄に忍ばせたりしてね・・・女々しかったと思うよ、我ながら」 右耳のシルバーのピアスに触れながら、真人はまた、哀しげに微笑した。 「一樹さんは離婚の原因は俺じゃないって言ってくれたけど、別れるのにすごく苦労して・・・奥さんに刺されかけたこともあったらしい。そんな苦労をさせたのに、俺は怖くなって・・・逃げたんだ、また」 言葉を失った慧の心を読んだかのような言葉を、真人は続けた。 「理人から逃げて、一樹さんからも。大きな愛情に応えられなくて、怖くて逃げた。急に連絡を絶って、無理矢理別れたんだ。その少し後に、一樹さんは偶然理人に会って、驚いたと言っていたよ」 「黒瀬教授は、真人さんの弟と知ってて理人さんと・・・?」 「双子の弟がいるのは話していたから。最初は似ていて近づいたみたいだけど、今、一樹さんは理人を本気で愛してる。俺が逃げるように捨てた理人を、一樹さんが守ってる・・・皮肉なもんだよね」 真人の声は徐々にかすれていった。 明るくて余裕のある真人は、慧の目の前には居なかった。 「どうして二人とも、逃げた俺を許してくれたのか分からない・・・憎まれこそすれ、もう一度受け入れてくれるなんて、信じられないよ・・・」 消化出来ない感情を叫ぶように吐き出す理人と、自分を責めながら後悔する真人。 ふたりでひとり、という真人の言葉が、そのままこの兄弟の関係性を表していた。足りないものを補い合う双子。 慧は言った。 「きっと・・・長谷川さんも、教授も、真人さんが本当に大切だったんですね。いつかもう一度会えるって信じていたんだと思います」 「・・・・・」 「俺は教授みたいに大人じゃないし、長谷川さんみたいに真人さんのこと全部分かってるわけじゃないけど・・・どこで何をしていてもいいから、元気でいてくれるならそれでいいっていう気持ちは、何となく分かる気がします」 「慧・・・」 真人は慧に手を伸ばした。肩を寄せ、慧は真人に寄りかかった。 「慧の方がずっと大人だな・・・」 「・・・でください」 「え・・?」 「俺から・・・逃げないでください」 「慧・・・」 「真人さんの側にいます。ずっと離れません。逃げないでください」 真人は慧をソファに優しく横たえた。キスをして、瞳を見つめる。 慧は真人の背中に腕を回した。重なる身体の重さに、慧は目を閉じた。 閉じた瞼に、真人は口づけした。 「もう逃げないよ」

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