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第6話 紘太、念願の就職編

✴︎  残業は、苦手だ。特に最近は、そう。  だって、もれなく大原がついてくる。別にいなくてもいい、本当。大原がよくわからないってのもあるし、いたらいたで、仕事をしてくれるからいいけど。大原……コイツは、とにかくうるさい。  もうちょっと、黙って仕事をしてほしい。早く仕事を片付けて、早くうちに帰って、紘太を抱きしめたいし、紘太に抱きしめられたい。早くそうしたいのに、大原のマシンガントークについ返事をしてしまって、なかなか仕事に集中できないんだ。  福岡出張の思い出に始まり、先日見た映画に続き、明日の合コンにおける気構え方に波及してくるから。 大原のことがよく分かっていたなら。「だからなんだよ」ってツッコミの一つや二ついれて、その話を止めてやりたいとこなんだけど。  本当、大原の話はとどまることを知らない。さらに癪なのが、福岡の居酒屋で大原が僕にキスをしてきたことについては、そこだけマルッとなかったかのように会話の中にでてこないから。僕に気を使ってるのか、もしくは、はぐらかして僕の反応を見ているのか。  だから、大原の考えていることがわからない。  内村は同期だし、裏表のないアッサリしたいいヤツだっただけに。比べてるワケじゃない、比べるのも失礼なんだけど。あまりにも今までと違いすぎて、僕のペースが乱される感じがするんだ。  ふと、時計に目をやると。もうすぐ二十時半になろうってとこで。  紘太に先にご飯食べてて、って連絡したけど、紘太のことだからギリギリまで待ってんだろうな。そんな想像をしただけで、居ても立っても居られなくなる。 僕は紘太の顔を早くみたくて。シャツの下に埋もれている、僕の体温であったまった〝もう一つの紘太〟を、思わずシャツの上から握りしめた。 「よし、ここまでしたら、帰ろうかな」 「京田さんっ!! 目処がつきましたか!! よかったぁ!!」  僕は単純に喜んで笑顔を見せる大原に対して、少し気が緩む。 「僕に遅くまで付き合わせて悪かったな、大原。あとは僕がやるから、もうあがっていいよ」 「いいえ!! ここまで来たら最後まで付き合います!!」 「いや、大丈夫だから。明日も早いし、先帰んなって」 「じゃあ! このあと、軽くメシでも食いに行きませんか?」 「悪いな、大原。紘太……弟が、飯作って待ってんだよ。せっかく作ってくれたのを食べないのも悪いからさ。また今度な、大原」 「紘太、とか。弟、とか。……そんなに、紘太が大事ですか?」 「……え?」  急に変わった大原の声音に、僕は心底驚いて隣に座っている大原を見た。  いつものニコニコした大原じゃなくて。  僕にキスをしてきた大原でもなくて。  熱っぽい目は真剣で、僕から一ミリたりとも視線を逸らさずに、僕を見ている大原がいて。その大原の眼差しや表情のせいで、僕は言葉を発することができなかった。  ゴクっと乾いた喉が鳴る。 「残業中、一回もオレを見てくれない。オレのことそんなに嫌いですか?」 「嫌い、とか……そんな」 「出張で……キスしたから、ですか?」  あのさ……大原。  仕事するのに好きとか嫌いとか、そういうの関係ないだろ??? だいたい、おまえが僕にキスしといて、嫌いですか? って、そういう質問自体おかしいだろ???  って、大原に言いたいのに。喉がカサカサして、声が出てこなくて、僕は口をパクパクさせてしまう。 「そんな目で、そんな顔で、オレを見ないでくださいよ。京田……恵介、さん」 「っ!! な、なにすんだっ!!」  ビックリしすぎて頭と体が機能しない僕の肩を掴んだ大原は。そのままの勢いで、僕を椅子ごと床に押し倒した。  バタンーー!!  床にぶつけた背中、頭も、痛い。そして、なぜか胃まで痛い。胃液が逆流したような感覚に襲われて……。マジで、吐きそう。  熱っぽい真剣な眼差しのまま、大原は僕の胸ぐらと手首を掴んで僕を見下ろした。 「好きなの人って、誰ですか恵介さん」 「関係ない、だろ!! 大原には」 「ありますよ。オレ、恵介さんのことが……理性を失ってこんなことをしてしまうくらい、好きなんだ!!」 「はぁ!? 何言って……」 「そいつを超えなきゃ、オレ、恵介さんの一番になれないじゃないですか」 「……ってか!! 離せって!!」 「離しませんよ? 恵介さんが教えてくれるまで」 「……教えないって……言ったら?」  「好きな人教えて」って言われて、「ハイ、いいですよ」って簡単に教えるバカがどこにいるんだよ。思ったことを素直に返した僕を、大原は睨むように目を細める。 「なら……実力行使あるのみでしょ?」 「はぁ?!」 「言うまで犯す。それだけ、です」 「やめろ……大原……やめろってば!!」  足は椅子の肘掛部分にからまって取れない。上半身は大原に押さえこまれてるし。そうこうしているうちに、大原の顔が近づいてくる……!! 絶体絶命って、こういうこというんだ……って!! 感心してる場合じゃない!!  たまらず心の中で叫んだ!!  紘太っ!! 紘太ーっ!! 「おいっ!!大原!! 何やってんだ!!」 フロアの入口から、聞きなれた声が聞こえた。 「……内村っ!!」  ……助かった。助かったんだけど、この状況。大原が椅子ごと倒れた僕に馬乗りになってるこの状況。内村にどうやって言い訳すりゃいいんだ……。 「残業してたら、上の階から派手な音が聞こえたからさ。大原、おまえ何やってんだよ!!」 「違うっ!! 僕が椅子ごとコケたんだ!! コケたんだよ、内村っ!!」 「はぁ!?」  内村が、「はぁ!?」って言いたくなるのも無理はない。僕が内村の立場にいたら、僕の口から出た咄嗟の言い訳なんて信じられるハズがないもんな。 「おい、大原。どうなんだ? 恵介が言ってること、本当か?」  僕を見下ろしたままの大原は、少し悔しそうな顔をした。そして、僕の手首を強く掴んでいたその手を引いて、僕の体を引き上げる。 「本当です……。誤解されるようなことをして、すみませんでした。京田さん」 「い……いや、ありがとう。大原」  咄嗟についた苦しい言い訳とはいえ、なんで僕は大原にお礼をいってんだ……。 「じゃあ、オレ……お先に失礼します。おつかれさまでした」 「あ、あぁ、おつかれ。また、明日」  大原は自分のデスクを片すと、何も無かったかのようにスッとフロアを出た。フロアを出る、内村とすれ違う瞬間、二人が交わした視線に火花のようなバチバチしたものが見えたのは、きっと僕が疲れているからだと思う。うん、きっとそうだ。 「大丈夫か? 恵介」  椅子の肘掛に足がからまってなかなか抜け出せない僕に、内村はかけよってそれを解いてくれた。 「相変わらず……バレバレの嘘つくのな、恵介は」 「……あはは」  それ、言われたら元も子もない。 「恵介!? おまえなんか、熱いぞ!?」  僕を抱きおこした内村が叫ぶように言う。そういや、なんか床で頭をぶつける前から、頭が痛かったような。顔も熱かったような。ここんとこ忙しかったし、疲れてんのに……。毎日、紘太ともサル並みにヤッてたから。やっぱ、疲れてんだな……僕。 「……へいき、だいじょうぶ……うちむら、だいじょうぶ……」 「おい!! 恵介!! しっかりしろっ!! 恵介っ!!」  立とうとしたら、足元がフワフワして、頭がクラクラして………。いきなり、目の前が真っ暗になった途端、僕はその後を、全く覚えてない。  お出汁の……いいにおいがする。  このお出汁で作る紘太の卵おじやが、うまいんだよなぁ。  うん、うまいんだよ……ん? お出汁? おじや?  会社にいただろ、僕……夢、か?  夢で嗅覚までも、紘太を欲してるなんて……病んでるのか、僕は。  いやいや、違う違う。僕はその美味しそうなにおいにつられて、目を開けた。 「……こう、た?」  喉の奥が熱くて、その粘膜がひっついている感じがする。声が出しづらいし、開けた目が涙目になって視界がぼやけた。 「おい、紘太。恵介が気がついたぞ」  内村、の声……? 「うちむら?」  ぼやけた視界の中に急に内村の顔が現れて。いつもの僕ならめちゃめちゃ驚いているはずなんだけど。頭がぼんやりして、そんなことに驚いてる余裕がなかった。 「よかった、気がついて。恵介が目の前でぶっ倒れた時は、心臓とまるかと思ったぜ」 「……ごめん、うちむら」 「疲れがたまってたんだろ?」 「……そうかも」 「起きれそうか? 紘太が卵おじや作ってんだけど、食える?」 「……くえる」  僕のおでこには冷却シート。ちゃんとTシャツと短パンに着替えてて。多分、紘太がやってくれたんだろう。そして僕と紘太と内村と、変な組み合わせで、夕飯を食べている。  もう22時前だから、ほぼ夜食だな。  僕が元気なら食べられていたであろう夕飯のおかずを紘太と内村が食べて。僕は美味しそうなそのおかずを尻目に、一人卵おじやを頬張っていた。 「紘太。この卵おじやの出汁、なんでとってんだ?」 「あごだしですよ、先輩」 「あごだし?」 「トビウオの出汁なんです。風味が強いから、味噌汁の味噌も少しでいいし、調味料もあんまりいらないし」 「確かにうまいな、これ」 「恵介が、このお出汁じゃなきゃ食べてくれないんです」 「なんだそれ。見かけと中身が逆じゃねぇか、おまえら」 「でしょ?」  僕からすると、おまえらの会話の方が、パラレルワールドだよ。出汁の話をして、家族の愚痴に同意して。主婦か、おまえら。  でも、内村が、ここにいてくれてよかったって思った。紘太一人だけなら、僕が倒れたことを自分のせいだって思い悩んでしまうに違いない。こうして、内村が紘太とフランクに話してくれるから、元々うまい紘太の卵おじやがよりうまく感じられる。  一人静かに卵おじやをすすっていると、2人がニコニコしながら僕を見ていることに気づいた。 「……なに?」 「恵介、うまい?」 「うん、うまい。ありがとう、こうた」 「さっきからすると顔色もよくなったな。それ食い終わったらもう一眠りしろよ、恵介」 「うん。うちむら、ありがとう。めいわく、かけてゴメンな」  多分、疲れて、風邪ひいたんだ……僕。熱っぽいし、頭も痛いし。体が弱ってるから、気持ちもちょっと弱ってて。ちょっとイヤなことがあったらへこんじゃうし、ちょっと優しくされちゃうと涙が出そうになるくらい嬉しいし。だから、明日はきっと元気になれる。  うん、大丈夫。  明日は、紘太にも内村にも、ちゃんと「大丈夫。ありがとう!」って言える。僕は、少しぬるくなって食べやすくなった卵おじやを一気にかきこんだ。 ✴︎  恵介は卵おじやをキレイに平らげて、シャワーで汗を流したらすぐ眠りについた。  恵介の寝息が聴こえてきて、それから俺は少し内村と話をした。 「大原アイツさ、やっぱ、あやしいぞ」 「……」 「俺も協力するからさ、大原から恵介を守ろうな、紘太」 「先輩……ありがとうございます。でも……」 「俺、まだ恵介が好きだし。でも、恵介はおまえが好きだしさ。少しでも、おまえらに関わりたいってのは、俺のわがままなんだけど。協力させてくれ、な、紘太」 「……先輩」 「そのかわり、お願いがあるんだけど」 「なんですか?」 「あごだし、分けてくれ」 「……おやすいごようですよ、そんなもの」  あごだしをもらって、内村がにこやかに帰っていったのが二十三時半くらいで。内村が帰って、恵介が寝室で静かに寝ているその後の部屋は、一気に静かになった。  いつもは、恵介の笑い声とか話し声とか……喘ぎ声とか……が、ひっきりなしに聞こえて。二人で暮らしているはずなんだけど、この部屋はすごくにぎやかで。恵介一人が元気ないだけで、こんなに違うんだ。たったそれだけのことなのに、俺は少しセンチメンタルになっていた。寝室をそっと開けると、ニ燭光でぼんやり恵介の顔が照らされる。 俺がその熱い頰に触れても、微動だにしないくらい、恵介は深い眠りについていた。  弱音を吐かない、からなぁ……恵介は。  細いくせに、やたら体が丈夫にできてる恵介は、自分を過信しすぎて、すぐ無理をする。最近、ほぼ毎日残業して仕事で疲れていたはずなのに。大原に気を使ってさらに気力を消耗していたはずで、それなのに、俺の要求にもちゃんと全力で応えてくれてさ。恵介が俺の首に腕を回して「ねぇ、紘太。シよ?」なんて、上目づかいで毎日俺にせまってくるのもさ。  全部、俺のためなんだって。俺、嫁である恵介に甘えすぎてたのかも、な。 「ごめんな、恵介」  そう独り言のように呟いて、もう一度、恵介の頰に触れた瞬間、恵介の大きな瞳がゆっくり開いて。俺と目があった。 「……紘太?……泣いてる? どうして?」  恵介の熱を帯びた手が俺の頰には優しく触れて。自覚無しに流れていた俺の涙を、そっと拭う。 「僕の、せい?」 「……違うよ、恵介は何にも悪くない。俺がワガママなだけなんだよ……」 「紘太」  恵介は、いつも俺にエッチをねだる時みたいに、その華奢な腕を俺の首に回した。  体温が、いつもの恵介より、熱い。その感覚に無性に悲しみや不安が込み上げてくる。 「紘太……泣くなよ。おまえが悲しいと、僕まで悲しくなる……じゃない、か」 「……恵介」 「朝には、朝がきたら元気になるから。紘太……僕に、紘太の元気を分けて」  そう、恵介が、そう言うからさ。俺はしがみつく恵介にキスをしようとした。 「キスは……ダメ」  恵介が顔をそらして、俺のキスを阻止する。 「なんで? 元気、分けたげるから」 「風邪が移るよ。こうしてて、しばらく……しばらく、こうしてて欲しい。紘太、僕を離さないように……抱きしめてて欲しい」  俺の首に絡んだ恵介の細くて熱い腕に力が入る。 「……恵介」 「紘太、好きだ。愛してる。紘太ぁ……僕を、キライにならないでね……」  弱音を吐かない恵介が、めずらしく涙声で弱々しく弱音を吐いて。恵介の気持ちが弱くなっているのが、手に取るようにわかったから。俺は恵介の気持ちに応えるように、恵介を強く抱きしめたんだ。 「おはよ、紘太」  恵介の声がいつもの声に戻っていて、俺は慌てて目を開けた。時計を見ると五時前を指している。恵介は俺と目が合うとにっこり笑って、そのままゆっくりと俺の胸に頭をひっつけた。  頭から、体から伝わる恵介の体温が、熱くない。  いつもの、恵介だ……よかった……! 「ありがとう、紘太。もう、調子いいよ」 「本当に? よかった」 「紘太と、内村のおかげだ」 「……今日は、休む? 仕事」  恵介は俺の胸にその細い手をなぞらせると、華奢な体を預けて首を振った。 「行く」 「……おい、恵介。大丈夫か? 無理すんなって」 「もう、大丈夫。それに……」 「それに?」 「今日は……今日は僕にとって、勝負の日だから」 「勝負の日?」 「うん。勝負の日。だから、頑張んなきゃ」  恵介は俺の体から頭を持ち上げて、俺を上目づかいで見て笑う。 「なぁ、紘太」 「何? 恵介」 「勝負に勝ったら、さ。紘太、僕にご褒美、くれる?」 「いいよ、なんでもあげるよ」 「言ったからな?」 「あぁ、言った言った。けど、さ。無理、すんなよ?恵介」 「分かってるよ、紘太。大丈夫!大丈夫だから。絶対ご褒美………忘れないでね」  そう言った恵介の茶色い大きな瞳は、ブレることのない強い意志を秘めていて。その瞳に底知れぬ色気と冷たさを感じた。俺は、その美しさにゾクッとしたんだ。  この顔、久々に見た。少年野球をやってた時の、ツーアウト満塁一打逆転って場面の顔だったり、俺を愛宕山の倉庫で見つけた時の顔だったり。  これ、この顔……。恵介が本気を出した時の顔だ。 その顔が、俺の心の奥底を揺さぶるって、胸騒ぎがとまらない。  勝負って、仕事か? 最近忙しかったし、大きなプレゼンを控えてるって言ってたよな。  でも、それだけじゃ……。それだけじゃない、はずだ。今までだって大きなプレゼンは山ほどあったのに、あんな顔しなかったのに。  仕事に集中しなきゃいけないのに。恵介のあのキレイな顔が瞼に焼き付いてしまって、俺は気もそぞろになってしまっていた。  ……あぁ、もう!! しっかりしろ!!俺っ!! 「紘太」 「は、はい!」  内村の俺を呼ぶ声に、俺を必要以上にビクついて返事をした。 「ここ、給与控除の額が違う。紘太、どうした? おまえにしてはめずらしいな」 「あ……すみません」 「どうした?恵介、まだ具合悪いのか?」 「いや! 具合はもう、すっかり良くなって。恵介も先輩にお礼言わなきゃって言ってたくらいで」 「じゃあ……」 「虫の知らせ……って言うんですかね?」 「え?」 「なんか、落ち着かないんです。漠然としていて何かはわからないけど……落ち着かない、んです」  あの顔。恵介の、あの顔を見たからなんだ。 「やっぱ、紘太の飯は世界一うまいよなぁ」  俺は今、非常に混乱している。恵介が見せたミステリアスなキレイな顔から一変。今は美味そうに俺が作ったオムライスを頬張る無邪気な顔の恵介がいて。  見たまんま、だよ。  恵介のいっていた勝負に勝ったのは、その表情を見たら一発でわかる。で、その勝負って一体なんだったんだよ……恵介。 「ご褒美……何が、いいんだ?恵介」 「……え? わかる? 顔に出てた?」 「出てるも何も。そんなにヘラヘラしてたら、バカでもわかるよ、そりゃ」 「あはは。マジで?」  昨日、熱でへろへろしていた恵介とは同一人物とは思えないくらい。キレイにオムライスを平らげた恵介は、胡座をかいている俺の上に腰をおろすと、華奢な腕を首に回して俺にキスをする。  これは……おねだり、か。恵介のキスはオムライスのケチャップとバターの香りが強くして、そのまま、恵介を食べたくなってしまった。 「ご褒美って、ソレでいいの?」 「だって、昨日シてないし」 「……勝負って、なんだったの?」 「それは、あとで……それより紘太、早くシよ?」 「昨日、熱出てたクセに……無理すんなよ」 「イジワル……だな。ご褒美、くれるんだろ?」  そう言って俺の頰を両手で包み込んだ恵介は、また、バターとケチャップの香りだだよう、おいしそうなキスをして。俺はたまらず、恵介の全体重で俺を押し倒した。 「どうなっても……知らねぇよ?」 「ご褒美なんだから、それなりのことはシてくれるんだろ?」 「もちろん……!!」  押し倒された体を恵介ごと無理矢理起こして、恵介を力づくで抱きしめると。恵介のスウェットをズラして中を指で攻めながら、もう片方の手で胸をいじる。 そして、俺の舌は、恵介の耳を愛撫するんだ。 「あっ! や……ぁん」 「なんだ……よ、もう………トロトロなってんのかよ……さっきまで、の強気はどこ行ったんだよ」 「んやぁ……こうたぁ……」  体をしならせたり、足に力を入れたり、恵介も色々工夫をして快感に耐えようとしているけど。すればするほど、腰が揺れて、前もガチガチになってくる。ヤバい……。一日シなかっただけで、こんなんなのかよ、マジで。  恵介、おまえ、大丈夫か? って、言いたかったんだ、俺は。  カッコよく、頼れる男みたいにさ。でも、つい俺の口から出た言葉は、かなり意外なものだったんだ。 「恵介、おまえ、マジ最高……!!」  さすがに。欲に支配されているとはいえ。口からつい出た自分の言葉にクラクラした。何言ってんだ、俺。 「サイコー、なら……こ、うたの……入れて、早く」  熱、とは違う。恵介の体のアツさと、紅潮した顔が。  俺を見つめるそのキレイな顔と、密着するその華奢な体が。  俺を惑わし、支配する。 「こう、たぁ!……ごほう、び……はやくっ!」  その恵介の一言が、俺の理性をぶっ壊すトリガーだった。恵介を強引にうつ伏せにすると、俺は勢いに任せて恵介の中を激しく、強く……。恵介を壊してしまうんじゃないかっていうくらい、恵介を突き上げたんだ。 ✴︎  勝負の日だったんだ、今日は。ちょっと大きなプレゼンがあって。だから連日、残業して、頑張って。多少無理してでも、絶対成功させたかった。そもそも僕は負けず嫌いだから、絶対、負けたくなかった。  それは、大原に対しても一緒で。とにかく、今の全てに負けたくなかったんだ。  胸に小さな希望を持ってさ。これが片付いたら、休みとって紘太と旅行に行こうって。黒歴史を塗り替えるために。福岡に行こう、って決めて。  グランドハイアットのキングスウィートを予約して。観光して野球見て、疲れたらホテルでのんびりして。足を伸ばすんなら、ハウステンボスにも行きたいし。近場でなら、太宰府天満宮と九州国立博物館にも行ってみたいし。想像するだけでも、ワクワクして、ドキドキして、紘太の喜ぶ顔を思い描いてさ。  お揃いのネックレスを選んでくれたお礼に、紘太とゆっくり……紘太の嫁になってから初めて行く、2人だけの旅行をプレゼントしたかったんだ。 「よし! 頑張ろっ!」  僕が小さく気合いを入れると、大原がいつもの笑顔で僕に話しかけた。 「頑張りましょうね! 京田さん!」  昨日の、今日で、大原のこの笑顔。コイツの心臓には毛が生えてんのか? それとも、僕を椅子ごと押し倒してイタしちゃおうとしたことを、キレイサッパリ忘れてしまっているのか。僕は、大原のコレにペースを乱されてたんだ。いつも、知らぬ間に。  気を使って、ペースを乱されて、大原の術中に陥ってしまったようになって。  でも、もう。大丈夫。大丈夫……!! 「京田さん、今日なんか雰囲気違いますね」 「そう?」 「スッキリしてる、って感じ……鋭い、って感じみたいな」 「大原」 「なんですか?京田さん」 「プレゼンが終わったら、おまえに言わなきゃならないことがある。だから、ちょっと時間作ってもらえないかな」  大原の目を真っ直ぐ見て言えた。そんな大原は、いつもの笑顔をなくしてしまったかのように一瞬、真顔になる。大原はまたすぐあの人懐っこい笑顔に戻って「分かりました!」と、元気よく返したんだ。  大丈夫!  プレゼンも、大原も、絶対にうまくいく!   シャツの下に隠しているネックレスを、シャツの上からこぶしで押さえて、「よし!」と小さく呟いた。 「京田さん!手応えありって感じですね」 「うん。大原が手伝ってくれたおかげだよ。ありがとう」 「と、とんでもない!」  プレゼンも手応えあった。あとは結果を待つだけなんだけど、この手応えは、勝算ありで。  残すは、大原との勝負となって。今、ここで。  資料室で資料を片付けてるこの時、今だと思った。 「大原、色々ありがとな。でも、僕は大原の気持ちには応えらんないから」 「……京田さ……恵介、さん」 「多分、カンのいいおまえのことだから分かると思うけど。僕、弟……紘太が好きなんだ」  僕は作業の手を止めて、大原を真っ直ぐに見て言った。大原が目を見開いて僕を見る。 「紘太が大事で、大好きで。紘太がいるから仕事も頑張れるし、僕も紘太のそばにいたいし。だから、大原の気持ちには応えられない。悪いな、大原」見開いた大原の目が大きく揺れだして、資料を握っていた僕の手を強く掴んだ。 「大原……そういうことしても、無理なんだよ」  押し倒されることは、多少は、覚悟していた。でも、それ以上はしないって、そういう勝算はあったんだ。昨日、僕を押し倒した時の大原の顔を見て思った。  大原がずっと分からなかったんだ、今まで。いつもは必要以上に元気でうるさいクセに、僕に対しては高圧的になって、キスしたり椅子ごと押し倒したり。  やっと分かった……どっちの大原も本当の大原じゃないって。  本当の大原は、今の大原だ。気持ちが繊細で、弱くて……。僕のことが好きで、その気持ちをどうすることもできなくて、僕に嫌われたくない。それを隠すために、やたら明るく騒いで、わざと強引に僕を支配しようとして。紘太と、似てるんだよ、大原は。  似てるけど、似てるんだけど。  大原は、紘太には、絶対になれない。  紘太が絶対で、紘太しかいらないんだ、僕は。  僕は大原の手をそっとはずした。  さっきまで強い力で僕を掴んでいた大原の手は、簡単に引き剥がせるくらい力が抜けていて。一瞬、ドキッとする。 「恵介……京田さん」 「何?」 「オレ、京田さんにフラれたのに……。京田さんのことがキライになれない。いっそのこと、キライになりたかったのに……まだ、京田さんが……好き、なんです」  肩を震わせて、目に涙をいっぱいにためて。素直な大原の表情と心情を目の当たりにした僕は。この勝負にも勝ったって確信した。 「大原が僕の気持ちを縛れないのと一緒で、僕も大原の気持ちを縛ることはできないよ。……人を好きになるって、幸せだけど苦しいよな。僕もそうなんだ。紘太を思う気持ちが強すぎて、時々、本当に苦しくなる。僕を必要としなくなったら? 僕から離れていったら? なんて、しょっちゅう考えてしまう。……大原は、違うか? そういう気持ちに、ならないか?」  大原は潤んだ目に力を入れて、小さく首を縦に振る。 「いつかさ、今みたいな気持ちを僕以外の誰かに素直にぶつけることができたらいいよな。虚栄を張らないで、素直な大原を見せて、大原の全てを好きになってくれる人が……。僕は、大原にとってのそういう人にはなれない、けど。応援、してるからさ」  大原の目からオーバーフローした涙が、頰を伝って流れ落ちていく。僕は、それの様子がすごく長い時間のように感じた。 「紘太が、京田さんを捨てた場合……京田さんは、どうするんですか? オレ以外の人を見つけるんですか……?」  小さく、静かに、大原が口を開く。  大原が納得できる答えかどうかは少し不安だったけど、僕は大原の質問に素直に答えたんだ。 「紘太しか、いらないんだよ……僕は。紘太以外なんて有り得ない。もし、紘太が僕から離れていったとしても、僕は紘太しかいらない。他の誰かを好きになるなんて、僕には考えられないんだ。だから、大原の今の質問は、僕にとって愚問なんだよ」  紘太以外、僕の心に入り込む隙なんてない。  それだけは、わかって欲しかった。  例え紘太が僕から離れてしまったとしても、僕は紘太以外好きにならないし、大原のことも……。好きになれないってことを、わかって欲しかった。大原は泣きながら優しい笑顔を浮かべて、僕に言った。 「完膚無きまでに、ってこういう時に使うんでしょうね。ここまで京田さんに言われるとかえって気持ちがいいくらいです。……オレ、やっぱり、京田さんを好きになってよかったです。ありがとうございました。京田さん」  その様が、すごく吹っ切れたように見えて、僕は嬉しくなったんだ。 「……また次の仕事も頑張ろうな、大原」  そう言って、はたと気づいた。今は女の子に執着しなくなったから気にしなかったとはいえ、女の子には相変わらずモテないくせに、男にはモテまくって。  また、男をフッてしまった……。  僕、くらいだよな、本当。  そして、今。僕は勝負に頑張ったご褒美を紘太にもらっている。  すごく、きもちぃ……。  そういえば。最初に紘太に無理矢理に押し倒された時も、イヤイヤ言っていたのは事実だけど。あの無理矢理感でさえ、気持ち良かった。  大原に押し倒された時と、無理矢理なコトは一緒なのに。大原とは絶対にイヤだけど、紘太ならいいかなって潜在的に思ってたのかもしれない。さらに、僕は紘太を前にすると兄であることをすっかり忘れて、嫁モード全開で甘えちゃうことも分かったし。自分から「シよ?」って言ってしまうくらい淫乱に……なることも分かった。  互いの乱れた呼吸が、部屋にこだまする。  僕は紘太に深いところを弄ばれてとろけそうだし、紘太は僕の中にいれて、酔いしれたような顔をして。 離れたくない、離したくない。 「ゃあ……も、らめぇ……」 「……俺もっ!! 恵介っ!!」 「………こうたぁ!!」  紘太に後ろだけでイかされて、紘太は僕の中にたくさん出して……。この瞬間、僕は紘太と一つになれたって実感するんだ。  たいがい僕は、淫乱だな。紘太の汗ばんだ背中に腕を回して、僕は紘太に深いキスをした。  そして、言ったんだ。 「次の三連休に一日プラスして休すもうよ、仕事」 「何? 旅行? どこ行くか決めたの?」 「福岡に、紘太と行きたいから。大原とのイヤな記憶を紘太と塗り替えたいし……」 「塗り替えたいし、何?」  まるで嫁のワガママを静かに聞いているオトナな男の体で、紘太が優しく笑って僕を抱きしめるからさ。 胸が、きゅんとして。紘太の耳元で、僕は囁いたんだ。 「夫婦になって初めての、旅行でしょ? これってまだ、新婚旅行って言わない?」  

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