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第7話 ウレシハズカシ、新婚旅行編
「と、言うか。福岡旅行、誰と行くのー?」
口調や指を口元にあてる仕草とか、結構かわいいと思うのに。その仕草とは裏腹な引きつらせた口元を隠さずに、ストレートに俺に聞いてきた隣の先輩の顔が怖い。が……頑張れ、俺!! 所詮、先輩も人間だ!! 話せば大丈夫、なはず!!
「あ、兄貴です。……二課にいる、兄貴です」
俺がそう言った途端、引きつっていた先輩の口元が緩んだ。
「そうなんだぁ。相変わらず仲良いよねぇ、京田くんっとこって」
「はい! めちゃめちゃ仲良いいんです!」
最近先輩をはじめ、総務課の女子の監視が厳しい。他の課の人に誘われた飲み会とか、どっから情報を仕入れてくるのか。遅くとも当日の午前中には総務課中に知れるところとなり、仕事の合間合間で今日のような尋問が始まる。
どういうメンバーで、どこに行って、その中に女の子はいるのか、とか。
総務課の女子がこういう風になってしまったのには、ワケがある。俺が恵介にちょっかいをだす大原を偵察に行ったあの日以降。恵介経由で二課の女子が俺を飲み会に誘うようになったからだ。そもそも恵介以外、俺は女の子にもヤローにも興味がないわけで。ひきこもりスキルを発動させるほど、興味がわかない俺が地雷を踏まないように。俺を助ける名目で前に二課にいた内村とセットで呼ばれる状況が続いているから。総務課の女子が戦々恐々としているのだ。
ヤロー多めでよりどりみどりな二課の女子がなぜ、わざわざ! ただでさえ! 貴重な人材である総務課男子を狙うのか、ってね。
でも、それがキッカケで俺はいろんな課の人と繋がりをもてるようになった。ひきこもっていた時とは、全くもって想像がつかないくらい。知り合いが増えて、会社が楽しくなって……。
そして、その楽しさに比例するように。総務課の女子の視線がイタイ。些細なことでさえ……そう、缶コーヒー握ってるだけでも、変に勘繰られてしまって。だからこうして、恵介との〝新婚旅行〟でさえ、そのセンサーに引っかかる。
飲みにくればいいのに……。先輩たちも……一緒に来ればいいんだけど。そうすれば、俺みたいに出会いも、知り合いも増えるのに。
……ん? 出会い? 出会い!? それだーッ!!
俺は先輩に向き直って言った。
「そうだ! 先輩! 今日、二課の面子と飲み会なんですが、一緒に行きませんか!?」
「……は?」
先輩の……せっかく緩んだ口元が再び引きつって、総務課の女子の視線が俺と先輩に集中する。
ま、負けるな……俺っ!! 出会いを!! 出会いを切望する先輩に、出会いのきっかけを授けなければ!! きっと福岡旅行の真意がバレてしまう!!
俺は拳をギュッと握り締めた。
「に……二課の、兄のとこのシマの人達と、内村先輩とで行くんです。今日は兄貴んとこはヤローしかいないし、二課の人たちも先輩たちと話してみたいって言ってるんですよ?」
パァァァって。本当に、パァァァって、課の雰囲気が一気に変わった。
「……本当に?」
「本当ですよ、ね! 内村先輩」
俺は、ここぞとばかりに内村に話をふる。内村は俺の意を汲んで、ニヤリと笑った。
頼む……!! 盛大に餌をつけた釣り糸なんだ!!食いついてくれッ!!
「あぁ、本当だ。しかも今日は、何を血迷ったか、大原が広めのトコ予約してっから、多少人数増えても大丈夫だよ」
「え? ほんとぉ? いいの?」
先輩が小さくコブシを握ってあごにもっていきながら、総務課女子に目配せをする。これこれ……。この表情とか、さ……。世間一般に言う、〝あざとい〟なんだろうな。
アイコンタクトで会話をした先輩は、俺と内村に向かって、めちゃくちゃにっこり笑った。
「じゃあ、お邪魔かもしれないけどぉ、行っちゃおかな?」
「わかりました!! 大原に早速連絡しますね!!」
そう言う俺も、結構〝あざとかった〟りする。だってさ……恵介との新婚旅行のコト、これ以上根掘り葉掘りして聞いて欲しくなかったんだ。バレたくないってのは、もちろんだけど。密かな楽しみに、土足で踏み込まれたくなかったんだよ、マジで。
だから、ワザと話題を変えた。それに先輩がうまく乗るかは賭けだったんだけど、ノッてくれて……たすかった……。
「紘太んトコの女の子、みんな女の子らしくっていいコばっかじゃん」
ほろ酔いの恵介が、明日から始まる新婚旅行の準備をしながら言った。まぁ、今日は三割増しくらいには、女の子らしかったな、確かに。飲み会の状況をふと思い出し、俺はニヤニヤしながら恵介に答えた。
「まぁ、ね。先輩たちもなんだか気合い入ってたし」
そういう意味では、今日の飲み会は大成功だったように思う。いかにも〝総務課の女子です~〟って感じの清楚で柔らかな雰囲気を醸し出した先輩たちと。自称〝女っ気のない〟二課の面子の距離が縮まるのに、そう時間はかからなかった。
……誘って、よかったな。今日の出来事をぼんやり反芻していたら、目の前の恵介がとんでもないモノを大量にカバンに突っ込んでいるのが見えて。ぼんやりしていた俺は息が止まる。
「け、けけいすけっ!!」
「何?」
「何でそんなに……!! ローション3本も持って行くんだよ!!」
「え? 足りなかったら、困るだろ?」
「そりゃ困るけどさ。重いだろ!? 足りなくなったら、向こうで買えばいいじゃん!!」
ほろ酔いだから、か。恵介が眉をひそめて、力なく「……えぇ」と困ったような声を上げた。
「やだよぉ。あんまり知らないトコで、ローション買いたくないよぉ。だって、ハズカシじゃ~ん。ローション買ってさぁ、『あ、アイツら、今からヤるんだぜ?』とか思われたらさぁ。確かにヤるんだよ? ヤるから買うんだよ? 大正解なんだけど……なんだけどさぁ、紘太をそんな好奇の目に晒したくないんだよぉ~。こうたぁ~」
ローション持ったまま、甘え声で、俺に抱きついた恵介は……正直、かわいい。ほろ酔いの恵介って、一番かわいいんだよなぁ。
一歩外に出たらしっかりしてるクセにさ、家に帰ると急に酒が回り出したみたいになって、トロットロに甘え出す。身長はそんなに変わらないクセに、少し首をかしげて恵介は、上目づかいで俺を見つめた。
「ねぇ、スる?」
こんな、ん……。断れるわないだろ、マジで。
「あ、あした……早いから……少しな? 恵介」
俺の言葉に恵介は、ローションを持ったままにっこり笑って……俺にゆっくり唇を重ねた。
南の方って、空気が違う。福岡に来たんだって、肌でも匂いでも感じた。そして、恵介と2人っきりの新婚旅行。正直……胸の高鳴りが正直、止まらない。
福岡でのスケジュールを楽しそうに喋る恵介に見惚れて、話なんかあんまり頭に入ってこないし。そんなボーっとした俺に気付いて、子どもみたいにむくれる恵介がかわいくて仕方ないし。
幸せのど真ん中で、その全てを噛み締めて。恵介が全てを俺に向けてくれるから……。夢ん中にいるみたいで、ソワソワする。新婚旅行………来てよかった。めっちゃよかった。
ホテルのチェックインには少し早くて、俺たちは荷物をホテルに預けると、福岡ドームのデーゲームを見に行った。俺がひきこもってた時以来、テレビでしか野球観戦なんてしなかったから、久しぶりに生で野球を見ることになる。
そういや……ガキの頃、よく恵介とキャッチボールやってたなぁ。球威はあるけどノーコンの俺は「紘太!! どこ投げてんだよ!! ここだよ、ここ!!」って、よく恵介にどやされてたっけ。そのままの勢いで少年野球チームに入って、ノーコンながら体格に恵まれた俺はピッチャーで、恵介はキャッチャーで。俺のノーコンをその華奢な体で身を呈してとる……。今思えば、その頃から恵介は俺の嫁で、夫婦関係は出来上がっていたんだ。すげぇな、俺たち。なんて、一人で納得してしまっていた。
「柳原、打たねぇかなぁ。ホームランボール欲しいんだけど、僕」
遅い昼食を兼ねて、ワゴンて買ったチョリソーを頬張りながら、恵介が言った。多分、こういうこと考える俺が、すでに病んでんのかもしれないけど……。思わず周囲を見渡して、そんなエロい恵介を見ているヤツがいないか確認してしてしまったんだ。俺……かなり、心配性だ。
「なんだよ、どうした?紘太」
「いや……なんでも」
だから、その。チョリソー咥えるの、やめろって。そんな俺のただならぬ心境を察しているのか、いないのか。はたまた煽ってるのか、いないのか。恵介はにっこり笑って、俺の耳元に口を近づけてきた。
「紘太。おまえ、たまってんの?」
いやいや……おまえのせいだろ、恵介。
「……チェックインしたら、シよっか?」
「え?」
「紘太のそんな顔見てたら……。僕、我慢できなくなるんだけど」
そう言って恵介がかわいく笑うからさ……。当然! 気もそぞろになって、野球観戦どころじゃなくなったのは言うまでもない。だから、つい……。
「柳原が打ったら、な」
なんて、カッコつけて言ってしまった……。旅の恥はかき捨て、なんて。よく言ったもんだなぁ、とチョリソーを食べながら感慨深くなったんだ。
デーゲームを見て、無事、柳原もホームランを打って。俺たちはホテルにチェックインをした。
すげぇな。ホテルの部屋がすげぇ。
広い部屋でベッドもめちゃめちゃ広くて、シャワールームにすらテレビがあるから、色んな部屋でテレビが見放題だ。……いや、テレビ。そんなに見ないだろ? テレビに面食らっていたら、ふとテーブルに目が止まった。テーブルの上にフルボトルのワインとキウイフルーツが鎮座している。
……これ、食ったり飲んだりしていいんだろうか。根が貧乏性の俺は、それらに口をつけることすらはばかられて。妙に緊張してしまっていた。
スイートって、すげぇな……。
「恵介、これ……」
「飲みなよ、別料金じゃないから」
「じゃなくて」
「何? 紘太」
「……この部屋、すごく高いんじゃないか?」
シャワーを浴びてタオルで髪を拭いていた恵介が、一瞬びっくりしたように目を見開いて。そして、子どもみたいに顔をくずして笑った。
「紘太が考えてるほど高くはないよ。それにここに泊まりたくてちゃんと貯金したし。せっかくの新婚旅行だからさ……。せっかくのコトしたかったんだよ」
恵介は俺の首に、ゆっくり両腕を回して微笑む。
「なんだよ……下、はいてねぇの? 恵介」
「言ったろ? 我慢できないって」
「いつから、そんなにエロくなった?」
「紘太が……僕をこんなに、したんだろ?」
「まぁ、な」
「責任、とれよな……紘太。僕、紘太の嫁なんだよ?」
「分かってる……当然だろ、恵介」
恵介が愛おしそうに俺を見つめるその表情に、頭がクラクラするくらいムラッとして。俺は恵介の華奢な腰に腕を回して、その石鹸のいい香りがする体を引き寄せた。唇を重ねて、そのままの勢いでベッドに二人して倒れ込む
「ぁあ! や…らぁ…」
「やだ? 違うだろ、恵介」
「そ、そこ……らめぇ……」
こんな状況がそうさせていのか? 恵介の感度が、いつもより、いい。あっという間に体が蕩けて。俺が腰を引いて奥まで突き上げるたび。恵介は体をしならせて、完全にトロけた顔で媚を含んだ艶めかしい声を上げた。
……あぁ、クソッ。恵介のこと、じっくりと、ゆっくりと……とろけさせてやるつもりだったのに。恵介のそんな顔見たら、理性がぶっ飛んじまう、マジで。
「こ、た……おく、して……」
「まだ……まだ、だ」
「イき、たい……! ムリ!」
「……っ!!恵介っ!!」
恵介は俺の背中に腕を回して爪を立てて。俺は恵介の首筋に強く吸い付いて。互いの痕跡を残こす。そうすることで、さらに愛を確認しあった。体温であったまった、恵介のネックレスと俺のネックレスが乾いた音を立てる。
それが合図だったかのように。俺の肌は、恵介ので染められて……恵介の中は、俺ので満たされたんだ。
その後、俺は懐かしい夢を見た。
恵介が少年野球の最後の日。
「僕、中学では野球をしない」って、恵介が言ったあの日。そう言って寂しそうに笑う恵介を見て、「俺もやめるっ!」って言ったんだ。
……恵介と、一緒じゃなきゃイヤだった。
恵介には、殴られそうになるくらい大反対されたけど……。俺のノーコンの球をとれるのは、恵介しかいないって思ってたし、恵介がいない野球なんて、この世の終わりってくらい……。つまんないって、思ったんだ。
「なぁ、恵介。野球、なんでやめたの?」
広いベッドなのに、ど真ん中で縮こまるように。まるまって寝ていた恵介の髪をなでながら、俺は聞いた。
「……限界、だったんだよな。キャッチャーなのに体は痩せぼっちだし、肩は弱いし。紘太の球を受けていたかったけど、あのまま意地で続けていても、紘太に迷惑かけるかなって」
「恵介」
「……僕、紘太にあやまんなきゃな」
「なんで?」
「紘太は球筋がかたまった時はいい球投げるし、紘太には野球続けて欲しかったんだ。でも……でも、心の端っこの方で、少し期待していたんだ……。紘太は、優しいから僕がやめるって言ったら〝俺もやめる〟って言ってくれるんじゃないかって」
恵介が俺の胸に手を添えて俺を見上げた。
「紘太の球を受けるのは、僕じゃなきゃイヤだったんだ。ただ、そんな……そんな理由で、僕は紘太から野球を奪ってしまった……。ごめん、紘太」
初めて聞く、恵介の心境。その心境は、当時の俺とリンクして重なって。なんだかとても、愛おしいさがましたように感じた。
「俺は……恵介じゃなきゃ。恵介がキャッチャーじゃなきゃイヤだったんだ。……俺、チキンだし。恵介が『大丈夫! 思いっきり投げろ!』とか『気にすんな!』とか、声掛けてくれてたから、ちゃんとピッチャーがつとまっていただけで。あのまま一人で野球続けてたら、俺……早めにひきこもってたかも」
「紘太……」
恵介は、ゆっくりその華奢な体を俺の体に乗っけて、潤んだ目を隠すように照れ笑いを浮かべる。そして、俺の鼻先を人差し指で、ちょんとはじいた。やだな、それ。めっちゃ、そそるじゃん。
「恵介……俺たち、ガキの頃から夫婦だったんだよ?これって凄くない、か? 運命…なんだよ、きっと」
「兄弟、なのに?」
恵介が悪ガキみたいな笑顔を浮かべるから。俺は恵介をぎゅっと抱きしめると、そのまま体を反転さて恵介の体をベッドに貼り付けた。
「それが、神さまのイタズラなんじゃね?」
どちらからともなく……。唇を重ねて、深く、舌を絡める。
「紘太……愛してる……ねぇ、シて……どうにかなるくらい……シて」
「俺も……愛してる。大好きだ、恵介……」
そしてまた、俺と恵介は。決して誰にも邪魔をされることのない新婚旅行を理由に再び燃え上がって。深く激しく肌を重ねた。
翌朝、ふわふわした夢のような新婚旅行が一変する! ってか、ヤバい。俺はもう社会人で、いい大人なのに。新婚旅行二日目にして、恵介とはぐれて迷子になってしまったんだ。
スマホの充電は切れてるし、時計は忘れたし。ホテルの場所はなんとなく覚えてるけど、名前とか全部よく分からない……。旅行行程もぼんやりとか聞いてないし、何から何まで、恵介まかせだったから……。こういう時に、実生活におけるスペックの高さが試される。
こういうことが恵介の身に降りかかっても、まず恵介はしっかりしてるしスペックが高いから。こんな目には合わないだろうけど……。すかさず別の方法を見つけて、上手く乗り切るはずだ。
ただ、俺は。自分で言うのもなんだけど、外見のスペックは高い割には、中身のスペックは恐ろしいほど低い。
だから、こうして。見ず知らずの土地で、大の大人が迷子になってオロオロするハメになるわけで。
……俺って、バカだろ。恵介……今日、どこ行くって言ってたっけな……? そもそも、ここ、どこだよ……? まてよ? 恵介は俺の兄で嫁だけど、世間一般に言えば結構、いや、ハイレベルな美形だし……女の子にモテないとしても、強引な九州男児に連れ去られたりなんて、してたりしたら……。ぬーっ!!
いらん妄想に怒りを覚えて、自分の不甲斐なさに、手がワナワナ震えだす。
「……すみません」
小さなか細い低い声と、俺の袖を小さく引く力に俺は思わず振り返った。
ーー恵介っ!!
恵介じゃないことくらい分かってたんだけど。必死な俺がそんな淡い期待を抱いてしまったんだ。
多分、な。俺が勢いをつけて急に振り返ったのと、恵介のことを考えて必死の形相をしていたのと。振り返った先にいた人は、かなり驚いた顔をして俺を見つめる。
恵介よりだいぶ小さくて、かわいい顔をした大学生くらいの男の人でら。俺の反応に顔を強張らせていた。
「あ、すみません……俺、ツレとはぐれちゃってて……。一瞬、ツレじゃないかと思ったもんですから……」
「ボクも急に呼び止めちゃってすみません。……一人で困っていらっしゃる感じだったので……大丈夫ですか?」
「……そんなに、切羽詰まって見えましたか? 俺」
「あ、いや、そういうわけじゃ……」
「実際、切羽詰まってるんです。スマホの充電は切れるし、新……旅行で福岡に来てるんですけど、何もかもツレ任せだったから……」
あまりの焦り具合に。俺は思わず、新婚旅行って言いかける。俺に話しかけたその人は、優しい顔でにっこり笑った。
……あ、この感じ。初対面の人に人見知りな俺がベラベラよくしゃべれたなって思ったんだ。
恵介になんとなく似てるんだ。
だから、元ひきこもりの俺が饒舌にも。見ず知らずのこの人に、身の上に起きた状況を説明できたんだと分かった。
「福岡の人じゃないな、って思ってました。スマホの充電ができるところを案内します。その間、一緒にお茶でもしませんか?」
「……い、いいんですか? 予定とか、大丈夫ですか?」
「はい。実はボク、……コイ……とと、友達と喧嘩しちゃって……時間なら沢山ありますから」
……ナンパ、か? 恵介じゃあるまいし、俺、男にナンパされたのか? でも今の俺は情けないことに、この人にすがらないと二進も三進もいかない。俺はその優しい福岡の人に頭を下げた。
「じゃあ、よろしくお願いします。あの、俺、京田紘太って言います。良かったら、お名前伺ってもいいですか?」
「あ!! すみません!! ボク、夏井翼って言います」
って、夏井さんはにっこり笑う。
似てない、のに……。恵介とは全く似てないのに。その笑顔が余計、恵介に見えてしまって。なんとなく浮気をしているような感覚に陥った俺は。夏井さんの心臓に悪い笑顔を直視できずに、思わず目を逸らした。
✴︎
紘太がいない……。
太宰府に行く前に、天神に行こうって言った僕が悪い。今使ってる名刺入れが結構くたびれちゃってたから、この前の出張の時見つけた、ブルーの名刺入れがどうしても欲しくなってさ。その時まで、その寸前まで。てっきり紘太は、僕の横にいるもんだと思ってたんだ。いつも、僕にピッタリ引っ付いてて歩いてるし。だからあまり気にも止めずに、スタスタ歩いて。地下鉄にのって、博多駅に着いたとこで紘太がいないことに気付いた。
……何、やってんだ、僕は。せっかくの新婚旅行なのに、紘太とはぐれるなんて。
紘太の携帯番号にかけても繋がらないし、そもそも「太宰府に行く」って言うのを、紘太がちゃんと覚えているかも怪しい。
浮かれてたしな、紘太……。
どうしようかな……紘太が機転を利かせて、博多駅まで、どうにかしてたどり着いてくんないかな……。
……まてよ?
紘太は僕の弟で旦那だけど、世間一般に言えば結構、いや、超イケメンなワケで……。色白で目鼻立ちがハッキリした福岡美人にかどわかされたりなんか、してたりしたら……。
マズい、ぞ。
不安で仕方がなくなって、鼓動が強くなるから、息が苦しくなって……。目に星がちらついて。たまらず、駅の壁に寄りかかってしまった。
「……京田、さん………じゃ、ないですか?」
ここは福岡で、こんなトコに知り合いなんていないはず。そう思って、具合が悪いのも相まって、僕は半ば睨み気味にその声の主を見た。
「……あ! 吉岡さん!!」
「やっぱり!! やっぱり、京田さんだ!! こんなトコでどうしたんですか?具合、悪いんですか?」
力を入れていた眉間が、万力で引き伸ばされたみたいに、僕は目を丸くした。
取引先の人、吉岡さんだ……!! よく覚えてる、この人。〝統括係長〟って肩書きのその人はネクタイをキチッと締めて〝できる人〟な第一印象だったのに、僕と名刺交換した第一声が。
「ょょょよょしぉか、です」
って。名刺交換が初めてなのか、ってツッコミたくなるくらいド緊張してた人だ。
……動揺してる、変なとこ見られちゃったな。僕は極力、営業用の穏やかな顔を作った。
「いや、ちょっとクラクラして……。弟と旅行に来てるんですけど、なんかはぐれちゃったらしくて」
「大丈夫ですか?!」
「携帯も繋がらないし。少し、心配になっただけなんで……」
「顔色、よくないですよ!? どこか店に入って休憩しましょう!!」
「大丈夫です。ひょっとしたら、その辺にいるかもしれないし……」
「携帯が繋がらないってことは、弟さんの充電きれちゃってるのかもしれないですよ? どこかで充電したら、連絡が向こうから来ますって!!」
吉岡に指摘され、初めてハッとした。……そういや、福岡に来てからずっと。スマホを充電してなかったぞ、アイツ。少しだけ原因がわかって、少し胸の苦しさが軽くなる。ひしめいていた不安から、僕の心は一瞬だけ解放された気がした。
「そう、ですね。じゃ、そのへんでコーヒーでも飲んで待ってみます。吉岡さん、ありがとうございました」
「私もご一緒します!!」
「え?」
吉岡……すごくいい人なんだけど、なんでそうなるんだ!? なんで、お前と紘太を待たなきゃなんないんだ!?
「でも、吉岡さん。用事があるんじゃ……」
「実は、待ち合わせてた人とここに来る途中で喧嘩しちゃって、ですね……要は暇なんです、私」
あ、そういう…ことか。なら、まぁいい、か。あまり腑には落ちなかったものの。吉岡の提案に軽い気持ちで頷いた。
「……じゃあ、申し訳ないんですけど、一緒にコーヒーでもいかがですか? 吉岡さん。僕、おごりますよ」
「い!! いやいや!! こんなトコで京田さんにお会いできるなんて!! 嬉しくて、嬉しくて!! 私が京田さんにおごりたいくらいです!!!」
……だから、なんでそうなるんだよ。慌てふためく吉岡が、なんだか面白くって。僕は思わず笑ってしまった。
僕は吉岡に案内されて、駅近くの雰囲気がある喫茶店に向かう。
昔ながらの。そう、おいしいナポリタンが食べられそうな喫茶店で。こんなところを知ってるなんて、吉岡はなかなかツウなヤツだと密かに感心してしまった。
「本当にもう、大丈夫ですか? 京田さん」
「はい。心配をおかけしました。頭に血が上ったみたいになっちゃったんで。吉岡さんがいて助かりました。本当にありがとうございました」
「い、い、いえいえ!! 私、何もしてませんから!!」
店内はクーラーが効いて涼しいのに、吉岡は顔を真っ赤にして、手でその顔をパタパタあおぐ。
やっぱ、面白いな、吉岡。その面白い吉岡が、何か言いたげな感じでソワソワしだした。
「? 吉岡さん、どうしました? ひょっとして、待ち合わせしてた人のこと……」
「ちがっ!! 違います!! 違うんです!! あぁ、あの!! 京田さんと会うときは、スーツをビシッと着こなしてらっしゃるから……。その……私服、初めて見たなぁ、って。やっぱオシャレだなぁ、京田さんは」
僕の言葉を遮るように食い気味で吉岡は恥ずかしそうに呟く。そうかこの人は、いつも僕のスーツ姿しか見てないから、そんなこと言うのか……。そして、この人は僕の壊滅的なセンスの悪さを知らないんだ。
「お恥ずかしい話、僕、センス悪くって。スーツをはじめ、洋服は全部弟が見立ててくれるんです」
「そうなんですか!?」
ひきこもり中に体を鍛えて、料理の腕を磨き、ファッションセンスまで研ぎ澄ました紘太は。いわゆる、勝ち組のひきこもりなのかもしれない。
「弟は僕自身より僕のことがよく分かってるんで、正直、助かってるんです。僕、ほっといたら年中ジャージでいても大丈夫な人だから」
「……意外ですね。京田さんはキレイで繊細そうなのに」
よく言われる、それ。でも違うんだよ、本当。みんな、外見で惑わされるんだろうな。僕、細いしこんな顔してるし。
そんな状況に遠い目をしていた僕の前で。挙動不審の吉岡は、うとう顔の汗をおしぼりで拭きだした。
「実は、私、京田さんに言わなきゃならないことがありまして」
「はい、なんでしょう?」
「まさか、福岡に来てらっしゃるとは思わなかったから……。京田さんにばったり出会って、ビックリしたんですけど……」
「はい?」
「この間弊社に来られた際、私、京田さんがあまりにもキレイだから……京田さんを隠し撮りしてしまいました!! ごめんなさいっ!!」
「はぁ?!」
いきなりの超絶な告白に、僕は取引先の人だと言うことを忘れて声をあげる。
……何ヲ、言イダシタンダ、コイツハ。
「さらに言うと、その写真を待ち合わせをしていた人……私の恋人なんですけど……に、見られて。喧嘩しちゃったんです〰︎〰︎っ!! どうしたらいいんでしょう!? 私、恋人と別れたくないんです!! 私が悪いんですけど、もう、どうしたらいいか!! 京田さんっ!! 助けてくださいっ!! お願いしますっ!!」
ちょっと、待って……。
ちょっと、待ってよ。それ、僕、関係ある?
百歩譲って僕に関係あるとして、恋人がいるのに勝手に僕を隠し撮りして。僕をオカズにしたかどうかは、あえて聞かないけど……。それを恋人に見られて喧嘩になったからって。むしろ被害者であろう僕に、謝りはしてもだよ? 口が裂けても「どうしましょう!!助けてください!!」なんて、言わないだろ!? 言われても困るだろ!?
僕、なんか悪いことしてる???
僕が、吉岡の恋人に謝らなきゃならないわけ???
「吉岡さんのオカズになって、ゴメンなさい」って謝るわけ???
なんで???
「京田さぁん!!」
「………」
吉岡の悲痛な叫びに、僕は頭を抱えてしまった。紘太が心配でたまらないのに、他人の、吉岡の痴話喧嘩の原因に勝手にされた上に。その痴話喧嘩を解決しろだなんて……。
紘太の方が最優先なはずなのに……。なんなんだよ。僕、詰んでるだろ……マジで。
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