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恋のはじめは夏のこと③
「拒絶しないなら、いいほうに取っちまうけど」
次の言葉は遠回しながら、決定打だった。游太の足はとまってしまう。
道端も道端だった。細い道で、ひとけがなかったのは勿論そういう場所を狙ってこのやりとりをはじめたのだろう。
游太は、ごくりと唾を飲んだ。なにか言わなければいけない。
けれど言いたいことは決まっていた。だって、弘樹の行動の一番わからないことはコレなのだ。
「お前、春香(はるか)ちゃんは」
弘樹の彼女の名前を口に出した游太だったが、弘樹は固い声で言った。
「別れたよ」
声は固かったけれど、あまりにさらっと言うので游太はまたしても黙らされる。
弘樹の彼女。部活は違うけれど、弘樹と同じクラスの女子だ。一年の秋くらいから付き合っていたのを知っていた。
それに少なくとも夏休み前までは游太もそんな様子を見ていたのだ。これほどさらっと『別れた』と言われるとは思わなかった。
「……いつ」
一応ではあるがそう訊いておく。
「んーと……四日前?」
おい、合宿の前日じゃないか。
游太は驚愕した。
それはつまり、彼女と縁を切って合宿に臨んだ。自分になにかしら伝えるために、だろう。
なにを伝えたいのかなんて訊くのは無粋であるが、こちらから言えるはずもないではないか。
頭の中は空白だった。
ただ、馬鹿ほどシンプルな質問しか浮かばない。これは適切ではないのに。
『お前、俺のこと好きなの?』なんて。
游太がなにも言わなかったためか、弘樹が再び口を開いた。
「別れたんだから、今はフリーなんだから言う権利はあると思う。……」
弘樹が息を吸うのを感じて游太は思い切り声を出していた。
「待った待った待った!」
「……なに」
遮られて弘樹が不満そうな声を出す。けれどその先を聞くわけにはいかない。
心臓がばくばくして気持ち悪い。こんな場面に置かれて、恐ろしくてならなかった。
「いや、ないだろ」
「……あるんだけど」
なんとか誤魔化すようなことを言おうと思ったけれど、それは通用しなかった。
『ある』というのは、『あり得る』ではない。
弘樹の中にその気持ちが『在る』ということだ。
だったらそれを否定なんてできないだろう。よって游太は退路を断たれたも同然であった。
そんな游太の前に、弘樹が、すっと近付いた。手を伸ばしてさっきと同じように触れられる。
ばさりとスポーツバッグが落ちた。それにかまっている場合ではなかったけれど。
やはり汗ばんで熱い手。ただ、もう寝たふりはできないところが決定的に違っていた。
「ユウが好きだ」
今度は息など吸わなかった。游太が声を出す間を封じるように。
状況的にも心情的にも游太を追い詰めて、言うのだ。
自分に向き合ってくれと。
それは游太がNoと言おうと、どちらかにはっきり決めてくれと伝えていた。
「……そう言われても」
「迷惑か?」
視線をそらしたけれど、不満であるように手に力をこめられる。触れた手はやはり火傷しそうに熱かったし、とろんととけてしまいそうなほど互いの汗をはっきり感じた。
それは真夏の夕方、空気が蒸すせいではない。
それと同じ。なにかを言い訳にすることはできないのだ。
「俺と付き合ってくれとか言うの」
なので言った。正面からの言葉を。
游太のその台詞をどう取ったのか。弘樹は平坦に言った。
「ユウが受け入れてくれるなら、そうしたい」
「女の子が好きじゃなかったの」
また質問になってしまった。
弘樹はそれもさらりと答える。その質問くらいは想定していたのだろう。
「どっちの性別が好きかって言ったら女の子が好きだよ。でもそういう問題じゃなくて」
そりゃそうだろう、女子と付き合ってたんだから。
游太の頭にまたしても馬鹿のような思考しか浮かばなかった。
「隣にいてほしいのはユウなんだ。それは性別じゃない」
はっきり言われて、ふと游太の頭に違うことが浮かんだ。弘樹に会ってからこれまでのことだ。
一緒の部活。週に三日は部室や弓道場で過ごした。
一年の夏から校外でしていたカフェのバイトも一緒のところだった。
こちらも授業後や土日、同じシフトに入ることも多かった。
そしてその頃、実家暮らしの游太は一人暮らしの弘樹の家にしょっちゅう遊びに行っていた。ときには泊まったりもした。
一体、大学に入ってからこっち、どのくらい一緒に過ごしていたかなど数えきれなかった。
そしてその時間こそが、今、このやりとりを生んでいる。
そこへ思考が至ったとき、游太の中にようやくすとんと落ちてきた。
『隣にいてほしい』
当たり前のように、友人……もう親友レベルにはなっていたか。そういう意味ではない。
親友よりもっとぴったりとくっつくような『隣』。
そういうところへ収まるのにふさわしい相手。
……自分にとっても弘樹がそういう相手であってほしいと思うこと。それが腑に落ちたのだ。
それは同じ性別にほんのり好意を抱いた経験が、良いほうへ働いていたかもしれない。
ああ、こういうのもアリか、なんてすんなり受け入れられてしまったのだから。
「いいよ、付き合うか」
突然あっさりと受け入れた游太の返事に、むしろ弘樹が戸惑ったようだ。
「は、……」
きょとんとした顔。なにを言ったらいいかわからない、という声でなにかを言いかけ、しかし口を閉じた。
その様子を見て、游太は、ふっと笑ってしまう。心臓の鼓動は速いままだったし、むしろもっと速くなった気すらしたけれど、気持ちはすとんと落ちついてしまったのだ。
「ヒロがそうしたいって言ったんだろ」
「そう、だけど、……あ、あっさりすぎないか」
それはそうだろう。ここまでの様子からするに、完全に「ごめん」でなくとも「ちょっと考えさせて」だのはありうると予想していただろうから。
だが弘樹のその言葉は游太には不本意だ。
「あっさりじゃねぇよ」
なんだか拗ねるような声が出た。こんなこと、あっさり決めたなんて思われては困る。
「……お前んち、行っていい」
游太のその言葉は、弘樹を更に困惑させたようだ。游太の意図は違っていたが、なにか別のことを連想されたらしい。それが戸惑った空気から伝わってきて、かっと頭の中を熱くさせた。
「やましい意味じゃねぇよ! こんな場所でとつとつと話せるか!」
「あ、ああ! そ、そうだよな」
誤魔化すように、弘樹は、ぱっと手を離した。
『こんな場所』。
道端、しかも大学からそう離れていない。
男同士で付き合うだ付き合わないだ、長々話せる場所ではない。
しかし妙なことを考えられたのは不本意だ。速攻でそういう思考が浮かぶのもどうかと思う。
「あっさりじゃねぇって話をすんだよ」
それだけ言って、游太はさっき落としたスポーツバッグを拾って、ずんずん歩き出した。すぐに弘樹も追ってくる。
そこから弘樹の家まで、ろくに会話もしなかった。話すことなんてもう、少なくとも道で話せるものはなかったので。
なにを話そうか。
思った游太だったけれど、すぐに考えるまでもないことに気付く。
一緒に過ごした時間の中に隠されていた気持ち。
そしてそれを、これから一緒に過ごす時間を、しっかり『隣』にするために伝える言葉。
特に運命的でもなんでもない恋だった。
男同士、という点を除いたらむしろ、平凡すぎるものだったかもしれない。
でもその恋は残りの大学生活を『隣』で過ごすことによって、ゆっくりと運命に育っていったのだ。
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