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彼と元カノ
鍋を食べて、久しぶりにたくさん飲んで。游太の気持ちもだいぶ落ち着いてきていた。
アルコールで思考も鈍って、まぁいいか、という気持ちにもなってくる。
おまけに春香はともかく、ゼミの仲間たちは嫌いでないどころかいい友人たちだ。話すのだって楽しい。大学時代とは違って毎日一緒、というわけではないのだから、主に近況についてで話は盛り上がった。
游太も店の話や、あるいは近辺であった出来事について色々と話した。
ただし弘樹の話は多くなりすぎないように、と気をつけながら。
同じ職場、ということになっているし、事実その通りなのだから、話題がたくさん出てもおかしくないとは思う。けれどあまり「ヒロが、ヒロが」と言ってしまうのは危険だと思った。
なんとなくでも悟られたくない。本当のところはわからないにしても。
正面切って「お前ら付き合ってるのかよー」「コイビト同士ってくらい一緒だよな」なんて言われることは回避したい。よって、酔いが回っても頭の一部は冴えさせたままでいさせた。それはちょっと疲れてしまうことで。
「ちょっとトイレー……」
飲み会も佳境なところで游太は席を立った。
別になにも考えてはいなかった。
だって、気付いていなかったのだ。その場に弘樹と、ついでに春香がいないことなんて。
「倒れんなよー」なんて言われながら個室を出て、トイレに行って、用を済ませて。
そこでそのまま個室に帰っていれば良かったのだけど、ふと、入り口に向かう通路に目が向いた。
ちょっと飲みすぎたかな、と思う。体があたたかいを通り越して、少し暑い。風に当たってくるのも良いかもしれない、なんて思ってしまった。
その気持ちのままに外へ出る。二月の深夜だ、風は冷たかった。けれど飲みすぎて火照った体には心地いい。風邪引かない程度に当たってくか、と思った折だった。
少し先に誰かがいるのが見えたのは。
ぎくりとしてしまったのは、それがまさに弘樹と春香だったのだから。
とっさに店の看板の裏へ回っていた。大きな看板だったので、一見して誰かがいることはわからないだろう。少なくともひとがそのまま立っているよりはわかりにくいはずだ。
游太の心臓がばくばくしてくる。
こんな、覗き見のようなことを。
見ないほうがいい、聞かないほうがいいとわかっていた。
けれど酔いも手伝って自制心が働かない。すぐにその場を離れることができなかった。
そんな游太に、二人のやりとりが微かに聞こえてきた。
「一旦辞めたんじゃなかったっけ」
「んー、禁煙失敗ってやつね。最近ストレス多くて」
「そうか。吸いすぎるなよ」
「わかってるわよ」
ふわっと夜空に煙が漂う。春香の手にしている一本の煙草からだ。
游太の胸に嫌悪感がよぎる。
確かに大学時代から彼女は喫煙者だった。弘樹と付き合っていた頃は、まだ十代と二十代のちょうど境目だったこともあって吸っていなかったはずだけど。
いつのまにか煙草を共にするようになっていた。それが彼女の言うところである『ストレス』からであること、そしてそれは弘樹が彼女を振ったことも手伝っているだろうということは連想できたけれど、游太にとってはどうでもいいことだった。
煙草の臭い。それを弘樹にくっつけようとしているのではないか、などと勘繰ってしまう。それは游太を苛立たせるにはじゅうぶんであった。
一体なにを話しているというのか。飲み会を抜け出して。
いや、夜風に当たりたいだの、春香の場合は一服したいだの、そういう理由はあるだろうけれど、こんな場所で二人きりになられているのは面白くないに決まっている。
「式はいつだっけ」
「んー、秋の予定。色々決めることも多くて」
途切れ途切れに聞こえてくる会話。その内容がわかることは、一応安堵した。数ミリ程度だが。自分の知らない話題など出されていたら、より游太の苛立ちは増しただろう。
『式』というのは、言うまでもなく結婚式である。しばらく前の、同じくゼミの同期の飲み会で「婚約しましたー!」などと春香が嬉し気に言っていたのを覚えていた。
そのとき游太は心底嬉しくなってしまったものだ。弘樹の元カノであり、別れたというのに未練を見せていた彼女が結婚だ。これでもう付きまとってくることはないだろう。そう踏んで。
けれど游太のその嬉しさは長続きしなかった。
春香はことあるごとに弘樹に連絡してきたし、二人で会うなどということはなかっただろうが、弘樹も律儀にそれに返事を返していたようだから。人妻になるというのにそういうことをしてくる理由が、游太にはさっぱりわからなかった。
ただ、その事実が自分を不安にしているというのはよくわかっていた。
弘樹にその気はないなんてことは、大学時代から何度も示してもらってはいたけれど、それで安心しきれるなんてことはない。一旦落ち着いたとしても、こういう場面を見てしまえば簡単に復活してしまう。嫉妬という感情は本当に厄介だ。
「友人代表挨拶とか頼んでいい?」
春香の言葉に游太は、今度こそはっきりと苛立った。
なにが友人か。元カレだろう。
そんなヤツにスピーチなど。
「そういうのは女友達がいいだろ」
弘樹はきっと困ったような顔をしただろう。声と様子から伝わってきた。
「あはは、冗談だよー」
「なんだよ」
春香は楽しそうに声をあげて笑った。もうすべてが游太の苛立ちを刺激する。
「でもねー、そうしてもらったら嬉しいなって思ったんだ。相沢くんはやっぱり特別なひとだから」
それが最後だった。游太は、ごくりと唾を飲む。そろっと一歩踏み出した。
向かったのは店の入り口だ。流石にあの中に踏み込む気はない。不自然だろうし、弘樹のことを困らせてしまう。
春香は……冷たいことだが、どうでも良かったけれど。
むしろ彼女のことは困らせてやりたかったけれど。
そういう姿は見せたくない。勿論、弘樹にである。
そっと引き戸を開けて、店内に滑り込む。戸を背にして、はぁっとため息が出てしまった。
見なければ良かったことなど最初からわかっていたのに、そうしてしまった自分に嫌悪感を覚えた。
見なければ知ることもなかった。別に浮気現場だとかそういう話だとか、そんなものではなかったのに。
二人が一緒にいる、もっと言えば二人きりでいるだけで気に入らないのだから仕方がない。それを回避しなかったのは自分が愚かだったのだ、と游太は自嘲するしかなかった。
それでもこんなところにずっといるわけにはいかない。部屋へ戻ろうと一歩踏み出した。
もう少し酔いたかった。今も既に十分酔っていたはずなのに、足りない、と思ってしまう。幸い、お開きまでにはまだ遠い。それなりに飲んだとしても不自然ではないはずだ。
飲むのがビールだろうと日本酒だろうと、あまり美味しいとは……思えないだろうけど。
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