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小さなお客さん②

 はっきり言われて游太は固まった。別に隠しているわけではないけれど、この話題が出るにはふさわしくない場のような気がする。  しかしそれを引きだしてしまったのは自分だ。迂闊さを悔やんだけれど、直後もっと度肝を抜かれてしまう。横に立っていた弘樹が言った言葉によって。 「いや、結婚してるんだ」 「ヒロ!?」  流石に声が出た。今の奈月の質問を肯定するだけでも色々ついてきそうであるのに、更に一歩上のことを。 「……男同士なのに?」  奈月はだいぶ黙って質問してきた。パンケーキのフォークは持ったままであったが。 「ああ。同性婚って制度があってね」  弘樹はさらっと済ませた。それはそうだろう、同性婚の制度云々が論点ではない。 「……ホモなの?」  真正面から切り込まれた。そしてそここそが論点であり、奈月にとっての重要事項なのであった。  游太は口を開きかけて、閉じた。  どう言ったものか。  いや、隠していないのだから肯定すればいいのだけど、こう言われることは久しくなかったためにちょっと意表を突かれてしまったのだ。自分の発言から繋がってしまったとはいえ。  奈月の様子から嫌悪感は感じないけれど、そう取られてしまうかもしれない。その不安が生まれてちくりと胸を刺した。 「そういうことになるかな」  弘樹の言葉にそっと顔を見ると、ちょっと困ったように笑っていた。  だがそう言ってくれた。まぁ中学生の子にはそれがわかりやすいかもしれない。  嬉しいような、ほかに色々あるような。游太はなにか言おうと思って、しかしやはりなにも出てこなかった。普段の自分らしくないことだ。  奈月の言葉は純粋で、しかしそれだけに胸に刺さる。 「……ふぅん」  奈月はやはりだいぶ経ってからそう言った。  そのあとなんと続けられるかに游太の胸はひやりとしたのだけど、奈月はパンケーキをひとかけらフォークに刺した。口へ運んで食べる。もぐもぐと噛んで、飲み込んで、それで彼の中で別のことも飲み込まれたのかもしれなかった。 「じいちゃんは知ってんの?」  肯定でも否定でもなかった。  游太はほっとしてしまう。  仕方ないこととはいえ「気持ち悪い」などと言われたくはなかった。こういう言葉すら覚悟して結婚という道を選んだはずだったのに。臆病なことだと思う。 「ああ、理解してくれてるよ」  答えたのはやはり弘樹。游太にとっては助かることだった。自分が蒔いた種を回収させてしまっていることが申し訳ないけれど、弘樹以上にうまく説明やなにか言うこともできそうにない。 「おれはよくわからない」  弘樹の言葉に奈月はそう言った。  それはそうだろう。まだ恋の話も多くないだろう中学生には衝撃だったかもしれないし、唐突な爆弾すぎたかもしれない。  そういう奈月に返す弘樹の言葉はとても優しかった。 「そっか。そういうひともいると思うし、いろんな経験をしていくうちに、考え方も変わるかもしれないよ」  それはもう、游太のほうがほっとしてしまうくらいに。  なにか自分も言うべきだと思った。  しかし口に出す前に、ちりん、とベルが鳴った。ぎくりとして、ばっとそちらを見てしまう。この状況を見られるのは気まずい。  だが、入ってきたのは美森さんだった。やぁ、と帽子を脱いで挨拶してくれる。 「……いらっしゃいませ」  游太は心底ほっとした。席を立って美森さんを迎える。  美森さんはつかつかと奈月の座る席へやってきて声をかけた。游太が座っていた、横の席に腰かけながら言う。 「遅くなったね」  いつも彼にしているような、優しい声で。 「……おせーよ!」  奈月の声も明らかにほっとしていた。必要以上に声を張り上げる。  あの話題を続けるのはあまり心地良くなかっただろう、奈月としても。奈月にそんな思いをさせてしまったことに申し訳なくなる。  美森さんはそんなこと、知る由もない。帽子を游太の座っていた椅子に置いて、ステッキも立てかけた。 「じいちゃん、今日は勝った?」  奈月は美森さんとの会話に移ってしまう。  游太はそっと、隣に立つ弘樹を見た。  もう困ったような笑みは浮かべていなかった。美森さんと奈月のやりとりを優しい顔で見つめている。  なにを考えているのか。普段なら顔を見ればわかるのに、何故か今はわからなかった。 「ああ、激戦だった」  はぁ、とため息をついた美森さん。今日の将棋は楽しかったようだ。声や言葉からそれがはっきり伝わってくる。 「おかげでお腹が空いたな。ランチをいいかい」  言われて游太は、はっとした。自分の仕事が急に降ってきた。 「ええ、勿論」  テーブルに置いていたランチメニューを取り上げる。美森さんの前にそっと置いて開いた。美森さんは眼鏡をかけてそれを見て、数秒迷っていたようだがひとつを指差す。 「オムレツセットにしようかな。セットは本日のサラダとパンで」  これまで何回か頼んでくれるものだった。気に入ってくれているらしい。 「え、じいちゃんオムレツ? おれも食べたい」  奈月がそれを聞いてそう言った。その言葉に美森さんは微笑む。 「パンケーキがまだあるじゃないか」 「そのくらい食べれるよ!」  美森さんのそれには不服だったらしく、奈月は声をあげる。  だが中学生の胃袋には両方は入らないだろう。弘樹がやりとりにか、ちょっと笑った。 「あはは、じゃあオムレツ単品にしたらどうかな」  美森さんが弘樹を見て、やはり笑ってくれた。奈月に視線を戻す。 「仕方ないな、じゃあ奈月、それにしとこう」 「む……まぁ、いっか。じゃ、それで」  奈月はちょっと膨れたものの、頷いた。 「うん。じゃ、ユウ。行こう」  弘樹に促されて游太はその場を離れた。「ごゆっくり」と言うのは忘れずに。  おしゃべりな自分にはちょっとないことだと思ったが、美森さんは奈月との会話に入ってしまって、それに気を留めることはなかったようだ。すぐに楽しそうな声が聞こえてきた。 「大丈夫だよ」  キッチンに入ってから弘樹が言った。  散々フォローしてもらってしまった。自分の発言から生まれてしまったことなのに。 「ごめん」  やっとまともに言えた、と思う。しかし弘樹は游太の言葉には微笑みだけ返して、「ん」と端的に答えた。 「さ、オムレツふたつだ。ユウはサラダ用意してくれ」  ひと段落したし、仕事も入った。 「わかった」  仕事に思考を戻すことにして、游太は背を向けて冷蔵庫に手をかけた。  サラダくらいなら游太でも用意できる。いくら料理が苦手だろうとも。  レタス、キャベツ、パプリカ、ミニトマト。彩の良い小さなサラダ。  すぐに卵の焼ける良い匂いが漂うことだろう。  游太の心に、ちりっと痛みを残したさっきの出来事も、良い香りが拭ってくれるといいと、ちらっと思った。

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