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『レオ』を買う②
ばさばさっと、俺の腹の上にそのポーチの中身がぶちまけられた。
重いものではない、むしろ軽すぎる。
ただし量が多すぎて衝撃は強かったし、腹の上に降ってきた謎のものに俺は固まった。
なんだ、これ。
腹の上を見ても、すぐにはなんなのかわからなかった。
黒と緑を足したような、鈍い色が見えた。
あと、紙であることがわかった。全部揃った形をしていた。
馬鹿のように見つめるうちに、俺はやっとその正体に気付いた。
それは紙。
何枚もの紙。
すっかり見慣れた。
何枚あるかもわからない、それは、紙幣。
俺の腹の上に大量の紙幣をぶちまけておいて、玲也は今度、ズボンのポケットから財布を取り出した。俺も見慣れた、玲也がいつも使っている財布。
その中身も俺の上にぶちまけた。
ばらばらっと、またしても衝撃。
今度は千円札が何枚か。
それに小銭。
小銭のほうが多いくらいかもしれない。
なんだって、こんな。
俺の腹の上から零れて、シーツの上にぱさぱさと紙幣が落ち、ころころと硬貨も落ちた。
いきなり金を叩きつけられた理由がわからない。それもこんな大金。玲也がなんでこんな大金を持っているのかすらわからない。
なにひとつ理解が追い付かずにいる俺に、玲也は静かに口を開いた。やはり眼は硬い。黒い瞳は黒曜石かなにかのように硬質だった。
「銀行で下ろしてきた、俺の全財産だ。これで『レオ』を買う」
さっき言ったことを、もう一度言う。
『レオ』を買うってなんだ。
さっき紙幣三枚、出したじゃないか。
ただ玲也を見つめるしかなかった俺に、玲也は続ける。
「ほかの男の『レオ』でいられるのは嫌だ。だから俺が全部買う」
今度は驚きにではなく俺は固まった。
なにを言われたのかわからない。
ほかの男の『レオ』ってなんだ。『レオ』はただの、男に抱かれるのが好きな男子高生で、誰かのものじゃない。
けれど俺は馬鹿ではない。すぐに思い至った。
ほかの男の『レオ』。
『レオ』は誰かのための存在でもあるのだ。
それは、抱かれるのが好きな男子高生を買いたいという『客』。そいつらのものでないと、言いきれるだろうか。表現によってはそうとも取れるだろう。
では玲也の言いたいのはそういう意味で。
そこまで至ったところで、ずくんと心臓が痛んだ。
握り潰されたようだった。
それはつまり、……いや、そんなはずはない。
俺の考えたような、都合のいい意味であるはずがない。
だって玲也は、俺に対する気持ちを、体と金でやりとりしなくてはいけないものだと思ったはずなのだ。それが違うなんてことは。
「そしたらもう『レオ』じゃないだろ。荻浦 璃緒だろ」
なのに玲也は、俺のその都合のいい意味、であることを言った。
「それで、俺は。……『レオ』がいなくなった璃緒がほしい」
これが『答え』だった。俺が散々邪推(じゃすい)したことではなく。
むしろ正反対な。
かっと腹が熱くなった。
嬉しさではなく、信じられなさ。そして怒り。
「だってお前、なにも言わなかったじゃねぇか!」
ここまでなにも言えずにいたのが嘘のように、鋭い声が出た。凍り付いていた喉が、一気に解凍されたように、むしろ熱くなる。
だって酷いじゃないか。
「確かめたいなんて言ったくせに!」
「でも終わってもなにも言わなかったじゃねぇか!」
「なんで今更!」
次々に言葉は出てきた。今まで言いたくても言えなかったことが。
熱くなった喉から、不意になにかが込み上げてきた。顔まで。目まで。
込み上げてきた感覚だけだった。ぼろぼろと涙がこぼれ落ちるまで、それの正体がわからなかったくらいだ。
なんで泣くのかもわからなかった。
そうなんだ。嬉しいよ。
そう言ってしまえば済むのに。
けれど俺のほうだってそんな、するっと受け入れられるはずがないだろう。
逃げたのは俺だ。
でも、この言葉をくれなかったのは玲也なのだ。俺だけが悪いなんて言いたくない。
「狡かったと思ったんだ」
ぽつりと降ってきた言葉。その口調はここまでの、ある意味怒涛のようなものではなく、一転して、玲也の通常に戻ってきたようだと感じた。
明るくて、ちょっと不器用で、でもとても優しい、俺の親友。
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