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堤先生と一緒に俺の部屋に入った。
先生がぐるっと中を見渡したので、なんだか裸を見られてるみたいに照れてしまった。
「大稀くん。電話で言ってたもの見せてもらえる?」
二人きりになった途端、堤先生は一気にくだけた話し方になったので嬉しくなった。
キッチンに置いてあったスツールに座った堤先生に、この前学校で返されたプリントを手渡した。
真剣な表情で答案用紙を見つめる先生の横に、並んで座る。
その顔をこっそり盗み見ては視線を外し、また見ては外しを繰り返していると、やっぱり心拍数が上がってくる。
こんな人に勉強を教えてもらえるだなんて。口角が自然と上がってしまった。
「うんうん、悪くないよ。ミスをしているところは、今から頑張れば大丈夫。コツコツと一緒にやっていこう」
そんでもって、どちゃくそ優しいし。
俺はどうしてこんなに素敵な人と話した事を記憶に留めておかなかったのだろう。
「堤先生と俺って、渓谷で何を話したんですか」
「取り留めのない会話ですよ。空気が澄んでて気持ちいいねとか、こういう場所は苦手? とか。僕が話しかけても、君はこっちを見ずにずっと上の空って感じだったけどね」
そう聞いて、俺は頭を抱える。
記憶にないのは当たり前だ。なんせ相手の顔をちゃんと見ていないのだから。
「マジですいません。俺あの頃、親とか学校とか、何もかも無性に気に入らなくて、毎日イラついてたんです。いわゆる反抗期ってやつです」
「うん、たぶんそんな感じだろうなって思ってたから大丈夫。今はもう、親御さんとはうまくいってるみたいだね」
さっき母と俺が醸し出していた雰囲気で、そう感じ取ったのだろう。
今の俺はだいぶ落ち着いた。
家庭教師でもつけたいな、と両親の前で本音を呟けるくらいにはなったのだから。
「はい、今はもう。俺のこと応援してくれてるんで、勉強頑張ろうかと」
「来年、大稀くんは僕の後輩になるんだね。よろしくね」
俺の第一志望は、堤先生が通う大学だ。
先生のいる学部とは違うが、実際に試験を受けた先輩が教えてくれるのならばとても心強い。
正直、余裕だと言いはれるレベルではないので、無事に堤先生の後輩になれればいいのだけれど。
少し不安に思って俯いていたら、急に堤先生の手が俺の頭に触れた。
俺の前髪を、わしゃわしゃと掻き混ぜてくる。
「えっ……何……」
「ところで、なんだか前髪長くない? ちゃんと目の上で切らないと、目蓋が落ちてきて眠くなるんですよ。あとついでに毛先が目に刺さって痛い。体験済み」
「……!」
前髪を上げられ、おでこを全開にさせられてしまう。
先生の手が……っ、俺に……っ!
首の後ろまで熱くなった。
「最近っ、切りに行ってなくてっ」
「せっかく綺麗な顔してるんだから、髪も整えたらいいよ。気分転換にもなりますし」
行きます! 行くから、その手を離してください!
しかし願い虚しく、堤先生はその手を離そうとしなかった。
「あぁでもいいなぁ、さらさらで、全く痛んでない。僕はブリーチしてパーマもしてるから痛みまくってるんだけど」
ハハハ、と先生は呑気に笑っている。
俺は唇を噛みながら、ずっとなされるがままだった。
こんな人が面倒を見てくれるのは嬉しい反面、俺の心臓は持つのだろうか。
先生が帰った後、俺は早速美容室にカットの予約を入れた。
バッサリと切ってやる。なんなら五厘刈りにしてもいい。
だってまた、あんなふうに触られたら死ぬ。ドキドキしすぎて死ぬ。
試験まであと十二ヶ月の、氷のように冷たい風が吹き荒ぶ日の出来事だった。
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