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【2時間目】

   窓から入る微風が、ノートの紙をカサカサと動かす。  春休みに入ると、堤先生が前にも増して来てくれるようになった。  先生が持ってきてくれた分厚い参考書を二冊広げつつ、ノートの上でシャープペンを走らせる。 「うん、いいペースで出来てるね。丸つけしたら今日は終わりにしようか。よしよし」 「あ……はい、わかりました」  堤先生が、言葉通り俺の頭を撫でてくる。  五厘刈りには結局しなかったが、眉毛の上くらいまでには短く切ったっていうのに、今度はこうやって頭を撫でられるようになってしまった。  結局触られてしまうんだったら、切った意味ない気もする……。  このくらいでドギマギしていると思われないように、いつもすました顔をするので精一杯だ。  堤先生が採点を始めたので、俺はベッドに腰掛けてグラスに入ったカルピスを飲んで待っていた。  堤先生は、第一印象と変わらず優しいままだ。  中学の頃に通っていた塾の熱血教師みたいに『絶対合格! 毎日死ぬ気でやれ!』なんて唾を飛ばしたりしない。解けない問題があればじっくり丁寧に教えてくれるし、しかも教え方がすごく上手だ。     網戸から柔らかい風が抜けてくる。  もう桜は開花してるんだろうな。  近くの公園は子供連れでいっぱいだったと先生が教えてくれた。  春休みは特に予定はない。堤先生から出された課題をこなして、自習して、たまにゲームをして飯食って眠るだけ。寝る前にふと、堤先生の笑顔を思い浮かべているのは内緒。 「大稀くんは、どうして人間化学部に?」  堤先生は机に向かいながら、背後にいる俺に話しかけた。 「んー……興味があるから」 「ふふ。ずいぶんとざっくりだね。人間に興味があるって事かな」 「うん、そんなところですかね」 「それだったら心理学や社会学でもいいんじゃないですか?」 「それだと幅が狭まる気がしたんです。枠に囚われず、人間と社会や環境との関わりについて、いろんな知識を得たいなぁ、と」  堤先生はしばらく無言のまま丸つけをして、ノートの右下にokと書いた後で俺を振り返った。満面の笑みで。 「あの時、僕がいくら話しかけても鬱陶しそうにしてた人のセリフとは思えない!」 「だっ、だからあの頃は反抗期で……。先生はどうして理学部に?」 「あ、理工学部ね。僕も同じだよ。興味があったから」  堤先生はそれだけ言い、立ち上がって帰り支度を始めてしまった。  あれ、先生だってずいぶんとざっくり。  俺だって先生の志望動機を詳しく聞きたかったのに。  この後予定があるのかなと思い、諦めて玄関先まで見送ろうとしていたら、そこに掛かっていた俺のナイロンコートを手渡された。 「送ってくれる? 駅まで」 「えっ」  急なお願いに目を丸くしたら、堤先生は「嫌がられた〜」とわざとらしく泣き真似をした。  そんな事言われてびっくりしただけです、と弁明して、コートを羽織って外に出た。  勉強以外でこんな風に指示されたのは初めてだ。  もしかして、家だと話しづらい事を伝えるために俺を外に?  志望校を考え直した方がいい、とか? 今まで優しく接してたのは家に母親がいたからで、本当は説教したくてしょうがなかったんだとか?!  全くいいイメージが浮かばない俺だが、堤先生の足取りは軽い。  ルンルンと鼻歌でも歌ってそうな雰囲気だ。  あぁ、一体何を言われるのか…と先生の後についていくと、気付けば公園の目の前に来ていた。  桜並木を見て、俺は「わ」と自然と声を漏らしていた。  満開だった。桜の花びらが、粉雪のように舞っていた。 「お花見、してこうよ」  堤先生は言いながら、バックパックの中からサキイカとチータラの入ったパックを取り出した。 「それ、いつ買ったんですか」 「大稀くん家に行く途中。大稀くんと一緒に見たいなぁと思いまして」  先生はたまに、敬語とタメ語が入り混じる。  大人なんだか子供なんだか。  俺は笑いながら礼を言って、先生と一緒に公園に入った。

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