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 グツグツと熱く煮えた鍋から出汁のいい香りがしてくる。  俺はお椀に野菜や肉を取って、陽向先生と父に手渡した。 「堤くんは、普段自炊してるのかい?」  向かいに座る父の問いかけに、陽向先生は頷いた。 「はい。本当に簡単なものしか作っていませんけどね」 「いやいや、偉いよ。俺は最後に包丁を握ったのはいつだったか覚えていないんだから」  父よ、そこは偉そうに言う事ではないぞ。  母もそう感じたらしく、「全くもう」と困ったように笑った。 「陽向くん、大学もなかなか忙しいでしょう。バイト以外の日でも、ご飯だけ食べに来てもらっても全然構わないのよ。ね、大稀」  いや、俺にふってくるな。  母はやっぱり先生の前では髪型、化粧バッチリだ。  極め付けに、いつもは入っていないはずの蟹の足が鍋から出てきた。一体いくらしたんだろう。 「わぁ、そんな風に言ってもらえて嬉しいです。大稀くんが羨ましいですよ。こんなに美味しい料理が毎日出てくるだなんて」  母はほぅ…っとうっとりしたため息を吐いたので、たんなる鍋ごときで褒め過ぎじゃないかとちょっと心配になった。  でもこうやって陽向先生も一緒に食卓で鍋を囲んでいると、まるで本物の家族になった錯覚に陥って、嬉しくなる。兄ちゃんができたって感じ。  帰ろうと支度していた陽向先生にお願いして、駅まで一緒に行かせてもらうことにした。  長袖のカットソーに薄いパーカーを羽織って出てきたけど、ちょっと風が冷たく感じた。  けれどさっき食べた鍋のおかげか、それとも隣の先生のおかげか、身体中がポカポカしている。 「大稀くんの家っていいね。居心地良くてつい長居しちゃった。お父さんもお母さんも、大稀くんに理解のある方達ですよね」  木々は黄葉し、葉の先端が赤く色づいていた。  カサカサと揺れる音が鳴って、微風が俺の背中をやんわりと押した。 「……先生は、反抗期とかなかったの?」 「ん? そうだなぁ……この時期限定でっていう特別なものではなかったよ。親にはたまに言いたい事言って、解決しての繰り返し。二個上の兄とは喧嘩はしょっちゅうだったけど」  陽向先生はきっと、周りを馬鹿にしたりとか、自分を過剰に卑下するとかしてこなかったんだろう。  中二の頃、渓谷で先生とちゃんと目を合わせて会話して、苦しい思いを吐き出せていたら、もう少し早く泥沼から抜け出せてたかもしれないのに。  あの頃のことには蓋をしたのに、今の俺はなぜか先生に聞いてもらいたくて仕方なかった。  前を向きながら、俺は言った。 「俺、中二の時ちょっとだけ不登校になったことがあって」 「……うん」  先生は、笑顔を崩さずに頷いた。  あ、やっぱりやめようかって一瞬迷ったけれど、唇は勝手に動いていた。 「別にいじめとか、そういうのじゃないんです。学校行くのが憂鬱になって。友達はいたけど、親友ってほどでもなくて。結局十日くらい休んだ後、ちゃんと行かなくちゃって焦ってまた行くようになったんですけど。なんか、模索してた。何をしたら楽しくて、何をしたら嫌なんだろうって。こんな俺を心配して、両親は俺を渓谷に誘ってくれたんだと思うんです」

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