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「いい曲でしたね。ひなたっていうタイトルもいいね」 「そういえば、先生の陽向って名前、よく似合ってますよね。ひなたっぽい顔してる」 「そう? 試しに僕の名前、ちょっと呼んでみてください」 「えっ」  不意打ちすぎる。  実はずっと、呼んでみたいと思っていたのだ。  俺は蚊の鳴くような声で呟く。 「ひ……陽向」  先生は「ぐはっ」と胸に手を当てて血を吐くような仕草をしてから、顔を背けた。  あれ、先生、なんだか耳まで赤くなってる。  その反応にこっちも照れてしまった。 「すいません、気安く呼んじゃって」 「いえいえ、嬉しいよ。美少年にそんな色っぽく名前を呼ばれて」 「だから、美少年じゃありませんってば」  堤先生はいつもそんな風に揶揄ってくる。そっちの方が何百倍もカッコ良くって美しい顔してるくせに。  心臓がバクバクと鳴っているのに気づいていたけど、悟られないように残りの時間も楽しんだ。  カラオケルームから出て、上機嫌のまま駅に向かった。  久々に、こんなにはしゃいだような気がする。 「実はずっと研究室に篭りきりだったので、こうして大稀くんと過ごせて本当に良かったです。付き合ってもらってありがとうございました。勉強も大事だけど、睡眠もしっかり取るんだよ」 「はい。堤先生こそ、無理しないでくださいね」  改札口前で向かい合わせに喋っていたら、堤先生の手が俺の頭に伸びてきて、そのまま撫でられた。  大丈夫だよ、とでも言いたそうな顔だったけど、出てきた言葉は予想とは違っていた。 「別に……僕に敬語じゃなくても、いいですよ」 「……」  急な提案に驚いて、何も反応出来なかった。  俺が先生にタメ口きくの? なんで?  そっちは未だに敬語を入り混ぜてるくせに?   「あ、いや、いきなりごめん。急に敬語を無くすのが無理なら、『ひなた』って呼んでくれてもいいし」    堤先生はすぐさま手を引っ込めた。  え、もしかして先生、陽向って呼んで欲しいの?  これにはすぐに反応した。 「い、いいんですか?」 「えっと、うん……あ、やっぱダメ」  どっちだよ。  堤先生は赤い顔で何かぶつぶつ呟いている。一体どうしたのだろう。  ダメとは言われたが、このチャンスを逃すまい。 「では遠慮なく、陽向先生と呼ばせてもらいます」 「えっ……あぁ、うん。どうぞどうぞ」  切れ長の目元をくしゃっとさせて、堤先生……もとい陽向先生は帰っていった。  電車の乗り、『ひなた』のメロディーを口ずさむ。  陽向先生、大好き。  先生に悲しい思いはさせたくない。  来年の春も、ちゃんと笑い合えるように頑張ろう。  選んでもらった問題集をとことん解いてやる、と決心した夏の日だった。  

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