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 陽向先生の背中って、すごく頼もしくみえる。肩幅も広くて、だけど頭は小さくて足が長くて……って、なんだかどんどん先生の姿が遠ざかっていっている。  先生はざっざっと足を素早く動かして歩くものだから、俺は置いていかれないように小走りで後を追った。  駅からどんどん離れていく。架道橋下に入ったところで、俺は先生の顔を覗き込んだ。 「先生、どこ行くんですか?」 「だから、場所を変えようと」 「もう人はいないと思いますけど」 「えっ……あ、そうですね。失礼しました」  陽向先生は我に返ったように辺りを見渡し、ようやく歩みを止めてくれた。  先生がくしゃっと前髪を掻き上げる仕草と、眉根を寄せて息を深く吐き出したのを見たらヤバかった。  可愛い。もしかして先生、照れてるの?  先生は彷徨わせていた視線を俺に移して、口の端を上げた。 「改めて、言わせてください。合格おめでとう」 「ありがとうございます」 「じゃあ、約束の」  陽向先生の大きな手が差し出されたので、頭を少し下げた。  撫でられると思っていたのに、気付いたら俺は先生の胸の中にいた。  先生の鎖骨あたりにピッタリと顔をくっつける。どこからともなく、先生の早鐘を打っている心臓のおとが聴こえてきた。  片腕を背中に回され、片手で頭を撫でられた。  ハゲるくらいに撫でるって言われてたけど、実際はすごく繊細で優しい手つきだった。 「手紙、読んだんだよね?」 「読みました。ていうかあんな事書いて、もし俺が合否発表前に読んでたらどうするつもりだったんですか」 「だって、大稀くんはそうしないって思ってたから」  まったく先生は、本当にお人好しで、格好良くてしょうがないな。 「買い被りすぎですよ。俺、そんなに良い人じゃない」 「良い人かどうかは大稀くんが決めることじゃなくて、周りが決める事です」 「なんか屁理屈」 「なんとでも」  先生は一旦体を離して、俺の両肩に手を置いて見下ろした。  俺の唇を見ていたので、身構えて目をキュッと閉じてその瞬間を待つ。  しかし数秒待っても、思い描いている感覚がやってこない。  痺れを切らした俺は片方の目蓋を持ち上げる。  陽向先生はさっきと同じ状態のまま膠着していたので、耐えきれずにぶふっと吹き出してしまった。 「来るの遅くないですか?」 「だ、だって、君が悪いんですよ! そんなキス待ちの顔されて、見惚れちゃうに決まってるじゃないですか!」 「もしかして先生って、たまにヘタレ?」 「うるさいな。というかもう、先生じゃないでしょ。僕はもう大稀くんの家庭教師じゃないんだから」 「……じゃあなんて」 「名前、呼んで」 「……陽向」 「やっぱダメ」  だからどっちなんだよ。  でも今までの陽向先生の言動に合点がいった。俺に名前を呼ばれたくて、俺と距離を縮めたくて、敬語は無くてもいいって言ったこと。彼女は作る気はないと言ったこと。  ずっと両想いだったんだったら早く言えば良かったって心残りだけど、終わり良ければ全て良しだ。  俺も先生の肩に手を置いて背伸びをし、唇にそっと触れるだけのキスをした。  あ、柔らかいな、先生の……陽向の、唇。  体を離して目を開けて、陽向と見つめ合った。  陽向は相変わらず、瞬きを多くしたり自分の髪をしきりにいじったりして挙動不審だったけど、しばらくしたらもう一度俺を抱きしめてくれた。 「四年前、僕が君と何を話したか教えてあげようか」 「はい、ぜひ」  陽向の低音ボイスが俺の耳にダイレクトに響いてくる。  全てを聞き終えた俺は、思わず「へぇー」と間抜けな声を漏らしていた。 「俺、そんな事言ったの?」 「本当に覚えてないんですね……まぁいいや。僕はもう、この状況が夢じゃないっていうのだけでお腹いっぱいです」 「俺だって、なんでもパーフェクトなせんせ……陽向と、こうして抱き合えて幸せ。桜、見に行こうね」 「……うん」  陽向、に反応した彼は、やっぱり照れ臭そうに唇を噛んでいた。  これからどんどん、知っていきたい、陽向のこと。  パーフェクトな陽向って、ちょっと言い過ぎたかもしれない。  だってしてほしかったキスはしてもらえなくて、結局自分からしてしまったし、めちゃくちゃに音痴だし……あとそれから、字がすっごく汚いんだ。  ポケットに入れていた四つ折りの紙を取り出して、不格好な文字を見て二人で笑った。  『合格おめでとう。  もうバレてるかもしれないけど、僕は君が大好きです。  僕と同じ気持ちにはならないと思うけど、ずっと大稀くんの心の支えになりたいって思っているよ。  君は僕の光です。  ありがとう。僕は大稀くんの隣にいれて、本当に幸せでした。』  

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