3 / 62

第3話

 帰国してから俺は進藤のいるデザイン事務所と改めて契約した。 そこは進藤の父親のデザイン事務所で、学生時代からずっと俺を誘うつもりで居たらしい。その話は帰国してから聞かされた。 そして、ありがたいことに、日本での最初の仕事が、俺自身の個展を開くことだった。進藤には本当に頭が上がらない――。 「お前の絵を初めて見たときから、この日を楽しみにしていたんだよ」  進藤は、そんな言葉をサラッと言ってくれた。  個展には、向こうで描いていた、はっきりした色彩の、線の強い作品を中心に展示した。 だけど、その中に1枚だけ淡い色で描いた人物画がある。暖かい春の風景の中に柔らかく微笑んだ天使が、赤ん坊を抱き上げている作品だ。  こんな絵を前にも描いた事がある。あれは、シュンに頼まれて描いたものだった。あの絵の事があったから、俺はシュンとの思い出を作る事になったんだ。  あの絵は、天使に出合ったような気分でいた俺の淡い思いを描いたもの。 そして、これは、シュンが父親になったと聞いた頃に描いたもの。苦しい気持ちが拭いきれないでいた時だったけれど、この絵に取り組んでいた時は、素直に新しい生命の誕生を喜ぶ事が出来たのだ。 「天使の絵、買いたいってさ、昨日の夜電話が来たんだけど?」  個展が終わった翌日、進藤にそう言われた。 「どうしようかな」 「売っちゃえよ。あの人のこと描いたんだろ?」 「…まぁ」 「だったら、もう持っててもしょうがないじゃないか」  そうかもしれない、でも――。 「やっぱり、あれはとっておきたい」 「ふーん。まぁ、お前がそう言うなら断わるけど」  進藤はヤレヤレという顔をした。  欲しがっている人に売った方が良いだろう…とは思う。でも、思い出として、シュンをモデルにした絵を自分の側に置いておきたかった。 「まだ忘れられない?」 「そうじゃないけど、青春の思い出にね」 「青春の思い出ね、苦い苦い思い出だよな」 「…まぁね。そうだ、そう言えば進藤、何であのテレビの録画送って来たんだよ?」  絵の話をしていたら急に思い出した。あれのせいで、忘れられなくなったんだぞ。 「はー、何だっけ? エッチなやつでも送ったかなぁ」 「何だよ、忘れたとは言わさないぞ」  俺がそううと、進藤は急に真面目な顔をした。 「忘れるわけないだろ」 「何だよ…」  進藤が何かを考えるような顔をしてから話し始めた。 「お前がいなくなった日、シュンがあまりにも必死だったからさ…」  遠くを見つめながら進藤が話を続けた。 「だから、あの話は絶対お前に聞いて欲しいんだろうって思ったんだよ」 「余計な事しやがって…」 「それにしてもなぁ、あの人、メチャメチャ一途だったんだな」 「驚いたよ、自分の子供に俺と同じ名前付けちゃうなんて…考えられるか?」 「俺には考えられないけど、あれは、あの人なりの愛の表現だったんだろ。先の事考えてねーよな。純粋っていうか…」 「バカだよ…」  愛の表現方法か―。俺が密かにシュンを描いていたのと同じようなことなのかもしれない。 「でもさ、お前のどこが良かったんだろうな? お前もしかしてテクニシャン?」  1人で過去の思い出に浸りそうになっていた俺に、進藤がいやらしい笑顔を向けた。 「はぁ? 何アホな事言ってんだよ」 「はーん。まったく、いつまでも思い出に浸るなよ。アホが」  進藤はニヤッと笑ってからスマホを手に取り電話をかけだした。

ともだちにシェアしよう!