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第4話 裏仕事に愛の告白
アニマルクリニック福々。
それが祥の動物病院の名前だった。
苗字の「西福」から一文字取って耳に心地よい音の名前にした動物病院は、住宅地からやや離れた山際に建っていた。タクシーで暖雅と共に帰ると動物病院の入口に段ボール箱が置かれていた。
「またか」
珍しいことではない。溜め息を吐きながら段ボール箱に近付く。
「あ?」
タクシー代を支払った暖雅が追ってきた。「ニー」という鳴き声が聞こえる。詰められた毛布の隙間から子猫が四匹見えた。
「捨て猫だな……動物病院ならなんとかしてくれると思ったか?」
呆れた声で呟くと、背後に立っていた暖雅が段ボール箱の横にしゃがみ込んだ。
「どうするんだ、これ?」
「保健所に連絡した後、安楽死だ。そうそう簡単に里親は見つからないからな」
「え? 殺すのか?」
「それも獣医師の仕事だ」
「いや、だって、殺すって……お前……」
「私だって小さな命を奪うことはしたくない。でも、全てを私一人で救うこともできない。それが現実だ」
静かだが怒りを孕んだ声で言うとフタを閉めて段ボール箱を持ち上げた。
一時的に保護はするが、一週間か十日経てば処分が決まる。
動物病院の玄関を開けて中へ入った時、暖雅が早足で追って来て前に立ち塞がった。
「いくら現実って言っても、そんな子猫を殺すなんて……って、……祥、泣いてんのか?」
「な、泣いてない!」
暖雅の言葉に、祥は慌てて目元を押さえた。
視線を暖雅から外し、ごまかすように咳払いしたり、目を擦ったりする。
安楽死は初めてじゃない。むしろ、その仕事の方が多くて収入も得ている。できないことではないし、命を奪うのも獣医師の仕事だ。
今は多くの動物病院が安楽死を拒む。やむを得ない場合は別だが、飼い主の都合や不適切な飼養による安楽死は拒まれることが多いのだ。
だが、ペットを処分したい飼い主は殺してくれる獣医師をなんとか探そうとする。見つからなかった場合は放棄して他人に命の選択をさせるのだ。だから祥は汚れ仕事を引き受けていた。「福々ならやってくれる」という話はジワジワと広がっているらしかった。
「悪い。祥が一番よく分かっているよな。辛いよな。すまん」
「……いや、いいんだ。そういう反応の方が正常と思う」
暖雅は優しい。
昨夜は見ず知らずの祥を助けたし、今は子猫を救おうとしている。本心が素直に表に出るのはいいことだと思う。だが、残念ながら現実は残酷だ。今は年間四万匹以上の犬猫が処分されている。それら全てを救えるはずがない。祥が保健所へ連絡するために動物病院の奥へ行こうとした時だった。
「その子猫の飼い主は俺だ。先生、病気がねぇか診てくれ」
「は?」
「だから、俺が飼い主だって!」
暖雅が語気を強めた。思わぬ言葉に眉をひそめてしまった。
「どういう意味だ? 飼い主って……飼うつもりなのか?」
「もちろん!」
当然のように答える暖雅に向かって呆れ顔を向ける。
「お前は無職だろう? どうやって猫を四匹も飼う?」
「雇ってくれるんだろ? 検査とか治療とかの金は給料から引いてくれ」
「どこで飼う? 部屋は? ペット可の物件なのか?」
「そ、それは……」
暖雅の視線が泳いだ。いまからペット可物件を探すつもりなのだろうか。
小さな命を救いたい気持ちは分かる。だが、思いつきの言動は感心できない。
「……」
叱責の言葉を向けようとして、ふ、と気付いた。そして少し考えてから尋ねた。
「お前は何時間働ける?」
「なに?」
「この病院は時間外診療を受け付けている。だから、夜間や早朝に診察することもある。そうした急患の時も手伝ってくれるなら、時間外労働分に対する特別手当を出す」
「二十四時間態勢でいつでも呼び出しに対応できるようにしろ、って?」
「それでもいいし……住み込みという方法もある」
「住み込み?」
暖雅は暫く考える素振りを見せた後、ニーというかわいい声が聞こえてくる段ボール箱を見た。住み込みとなれば祥の家で子猫達を飼うことになる。
「い、いいのか? 俺が借りている部屋はここから遠いし、移動時間を考えると住み込みがいい。でも……いいのか?」
「……分かった。住み込みの方がこっちも助かる」
「え? いいのか?」
暖雅の言葉に祥は小さく頷いた。
自分が飼うと答えたようなものである。暖雅が破顔するのを見てから診察室へ入った。なのをやっているんだろう。いつもの自分のペースが崩れるのを感じつつも診察を開始した。
「個体識別のためにマイクロチップを装着する。糞便検査と血液検査を行った後、予防接種を打つ。狂犬病ワクチンと三種混合ワクチンだ。金がかかるぞ。それにまだ生後二ヶ月くらいだから離乳食が要る。世話も大変だ」
「分かった。……飼うのになにがいる?」
「トイレ、トイレ用の砂、ベッド、ケージ、クレート、皿、給水器くらいか? キャットタワーは……まだ要らないか」
「ほうほう」
「あとは名前だな」
段ボール箱から一匹ずつ子猫を出し、状態の観察と触診だ。暖雅が横でじっと見詰めていた。
「名前かぁ……メス? オス?」
「……メスとオス、二匹ずつだな」
「そうかぁ。去勢・避妊はする?」
「獣医師としては、それを推奨する」
「その費用も要るなぁ。雑種?」
「一匹、耳が折れているのが居るから、スコティッシュフォールドの血が入っていそうだ。メスがレッドタビー、オスがシルバータビーだ」
「随分と洒落た言い方だな。茶と黒じゃだめか?」
「猫の毛色は呼び名が決まっている」
「へぇ~」
野良猫なら鼻水や目やにが酷く、毛も汚れていて、ノミやダニにまみれているものだ。しかし四匹はいずれも見た目が奇麗で、栄養状態も悪くない。飼い猫が子どもを生み、飼いきれなくなってこういう結果になったと思われた。
「名前かぁ……じゃぁ、メスが牡丹と桜、オスが藤と萩だ」
予想外の名前に思わず暖雅を見てしまう。
「なんとも和風な名前だな。しかし『萩』だけ秋なのはどうしてだ?」
「一匹だけ折れ耳だから差を付けてみた。変か?」
「……いや『顔だけアルファの木偶の坊』と言われているわりには、随分と情緒ある名前を付けるな、と思っただけだ」
「ハハハッ。母ちゃんが着物を着る人でな。季節に合わせて模様が違うのを着ていて、奇麗だなぁ、と思ってたもんで」
「ふぅん」
話を聞いていると、やはり家柄は悪くなさそうだ。
無職でも切羽詰まった様子がないし、金に困っている風もない。半分、遊びでここに居るような感じでもある。本当に働く気があるのだろうか、と不安もあったが、口には出さなかった。
平素を装っているが、相変わらず体は疼き、全身の血が下半身に集まっている。暖雅との距離が近付けば近付くほど疼きは強くなり、息が乱れそうになる。
(住み込みだと、ずっと一緒に居ることになるな)
体がどうなるのか不安もあったが、まんざらでもない気分なのが驚きだ。一緒に居られる、ということに妙な安心と喜びを感じていた。
(暖雅はアルファ。この奇妙な感じ……もしかして……)
ひとつの単語が脳裏をよぎり、心臓がドクンと跳ねた。
アルファとオメガはお互いに強く惹かれ合う体質だ。
中でも、運命のツガイというのはお互いがそれぞれ唯一無二の存在で、最高の相性の者同士のことを言う。心も体もこの上なく満たされ、永遠に離れがたい関係になるそうだ。
経験したことがないほど強く暖雅に惹かれ、発情期でもないのにその体が欲しくて堪らなくなっている。それに暖雅も祥から甘く理性を砕くような香りがすると言っていた。
(いや……でも……。運命のツガイなんて本当に存在するものかどうか怪しいものだし)
自分の考えを強く否定し、理性を保とうと気を引き締めた。甘い考えを続けていると、心も体もだらしなくなってしまいそうだった。
名前が決まった子猫達のカルテを作り、個体識別のためのマイクロチップを装着する。糞便検査と血液検査のためのサンプル採取をした後、子猫達を入院舎に入れた。
「エイズなどの病気の検査は生後六ヶ月くらいにもう一度やろう。その方が確実だ」
「へぇ。そうなのか。先生、よろしくお願いします」
入院舎のケージに入れた子猫達を見ていた暖雅が頭を下げた。大男がしおらしい態度を取るのが面白い。クスッと笑ってから気分を変えるために大きく息を吐いた。
「さて、動物看護師として働いてもらうにあたって服のサイズを教えて欲しい。……その体に市販の白衣やスクラブは合う?」
「市販品……いやぁ、悪いが無理かも。いつも輸入品でサイズを探しているからなぁ」
「肩幅だけでなく胸囲もありそうだし、裄丈も合わなさそうだ。肩幅や胸囲に合わせて白衣やスクラブを選ぶとウエストが余りそうだな」
「そうなんだよ! 上腕部が入らなかったり、胸囲が足りなくてボタンが止められなかったりするし、デカイの買うと腹やケツ回りがガバガバで不格好になったりして困るんだよ。あ、着物は着られるぞ」
「……着物で診療は難しいぞ」
「だよなぁ。白衣は特注になる?」
「体のサイズを測ってメーカーに問い合わせてみる」
「じゃぁ……脱ぐから測ってくれ」
そう言うと暖雅がその場でスーツを脱ぎ始めた。祥は慌ててそれを止める。
「こ、ここで脱ぐな! 裏に自宅があるから、そっちで!」
「あ、あぁ。悪い」
動物病院の裏に自宅があった。廊下を進んでドアをくぐれば客間があり、その向こう側が住居スペースになっていた。
二人でそちらへ移動し、リビングのソファに座った逞しい体にメジャーを巻き付けた。
「……えぇ?」
示された数値に驚いて何度も測り直す。その様子がおかしかったのか、暖雅が声をあげて笑った。見たことが無い数値だ。自分と全く違う体格だということを改めて思い知らされた。
メーカーにメールで連絡した後、動物病院内を案内し、マニュアルを渡した。
診察室や控え室、感染症患畜用の隔離室、手術室、薬品庫、休憩室など各部屋を見せ、道具の保管場所や受付の仕方などを説明する。まぁ、一度聞いただけで全て理解できる者はまず居ない。実際に働きながら仕事を覚えていくのが普通だ。だから理解度を確認することはなく、軽く流れ作業のように説明しただけで祥は時計を見た。開院時間が迫っていた。
満員になるほどの患畜が来る訳ではないがゼロでもない。郊外から離れた山際の動物病院には訳ありの患畜が多かった。
「そのスーツ……汚れると困るな。かといって代わりの服もないし……どうする?」
「いや、構わない。そろそろ新調しようと思っていたスーツだし、気にしねぇよ。後で自分の部屋へ必要な物を取りに行ってくる」
「分かった」
開院時間が迫っていた。
リビングの隣にある十畳ほどの自室でスーツを脱ぐ。そして紺色のスクラブに腕を通した。肩まである黒髪を後ろでひとつにまとめると、まとめきれなかった横の髪がサラリと流れて顔にかかった。さぁ、仕事だ。そう思った所で思わぬ声が聞こえた。
「いやぁ、美人だ、メガネ美人! 色白のきゃしゃな体も、ほっそりとしたうなじも吸い付きたくなる!」
リビングのソファに腰を下ろした暖雅が言った。
いつもの癖で、部屋のドアを開けっ放しで着替えていたから一部始終を見られていたようだ。眉を寄せて不機嫌な顔を作ると、バサリと白衣を羽織り、リビングを横切る。
「女よりも細くて弱々しいこの体がそんなにいいか? 私はお前のような男らしい体躯に憧れるよ。どんなに望んで鍛えても効果の無いオメガの体が私は嫌いだ」
中学・高校時代に必死になって筋トレに励んだことがあった。
食事にも配慮し、市販のプロテインなども試した。しかし全く効果が無く、筋肉が付くどころか体が引き締まってより細く見えるようになってしまった。それ以降、筋トレをしてもしなくても体型は変わらない。
男なのに非力で、女性にも負けてしまう体が気に入らない祥にとって、努力がそのまま反映された暖雅の逞しい体は羨ましい限りだった。
「悪ぃ。奇麗ってのは正直な感想で、別に皮肉を言うとか、そういうつもりはなかった」
謝りながら暖雅が駆け寄ってきた。太く力強い腕で肩を抱かれる。
「本当に奇麗だ。花びらみてぇな痣がある首がすげぇ好き。俺、女がダメなんだけど、男のお前はめちゃくちゃタイプで好みで惹かれて我慢できねぇ」
頭頂にキスされ、額にコツンと顎を当てられた。二十センチ以上の身長差があるのがよく分かる行為だ。それがまた腹立たしい。
「俺、女ダメなんだよ。考えていることとか、求められていることとか、地雷が分かりにくくてダメなんだなぁ。昔っから惚れるのは男ばっか。祥は細くてきゃしゃで奇麗だけど芯が強い。俺が助けてあげる、とかじゃなく、一緒に居ると俺も成長できそうって思えるんだ」
低い声が甘く鼓膜を揺する。
熱心に語られる告白のおかげで頭の中が真っ白になりそうだ。ゾクゾクと背筋を這い上がってくる淀んだ熱に身震いしてしまう。これから仕事だというのになんとふしだらな体だろう。
「俺はお前の体も声も性格も全部好きだ。オメガとかアルファとか、そういうこと関係なくお前に惚れてる」
「なっ!」
まだ会ってから二十四時間も経っていない。なのに、堂々と告白されて祥は硬直した。いわゆるひと目惚れというものだろうか。
「あ、あの……ちょっと、その……」
「今すぐ『私も好きだ、暖雅』なんて言ってくれなくてもいい。でも、俺がお前に惚れているってことは知っておいて欲しい」
「う……」
暖雅の大きな手が背中を撫でた後、頭の後ろや頬を撫でてくる。とても気持ちがよくてうっとりしてしまう。だが、その指がうなじに触れた瞬間、体がビクッと震えた。アルファにうなじを支配されることに対する恐怖が全身を駆け巡る。
「そ、そこは……ダメだ」
慌てて暖雅の手首を掴む。
うなじはオメガの弱点だ。
そこを噛まれたオメガは、噛んだアルファのツガイになる。オメガがツガイになれるのは一生に一度だけ。うなじは生涯を託せる相手にしか許せない、絶対に守るべき場所なのだ。
「いつか、ここを俺に差し出してくれる日が来ると信じている。……その日まで、俺はお前を待ち続けるから」
脳髄まで痺れる告白に、祥は言葉を失って立ち尽くした。
これまで体を求められたことは何度もあったが、心を求められたことはない。皆、体ばかり欲しがって心や意志は無視だった。こんな身も心も蕩けそうな甘ったるい言葉を捧げられたら、この場で陥落してしまいそうだ。
だが――。
「ダメだ……」
祥は拒絶の言葉を吐き、グッと暖雅の体を押しのけた。
「お前がアルファだから……だから、絶対ダメだ」
そう言い残すと先に歩き出し、廊下を進む。
「九時から開院だ。受付に立って患畜が来るのを待て。私は検査室で子猫達の感染症の検査をする」
暖雅の返事を聞かずに動物病院に続くドアを開けた。
ダメなのだ。
祥と深い仲になって本格的に肉体関係を持つと、暖雅は廃人になる。
恋人として肌を重ね合い、祥の楔から溢れる体液を口に含むとアルファは人生が終わる。暖雅をそんな目に遭わせる訳にはいかない。
「ダメだ……絶対、ダメ」
疼く体に歯噛みしながら、祥はひとりでそう繰り返していた。
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