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第7話 初体験と救世主

 世の中は仕事納めという浮ついた空気に満ちていた。  祥の動物病院も今日が年内最後の通常診察日だ。  閉院する時、祥は「次の診療は年明け1月4日から」という札を提げた。急患は受け付けるが、それ以外は診ない。のんびりとした時間が流れる年末だ。  暖雅が引き取ると言った4匹の子猫達は特に病気を持っておらず、元気で仲良くはしゃぎ回るようになった。  リビングの隅にケージを置いてあるが、普段は自由に部屋の中を駆け回っている。食べて遊んで寝る。それだけを繰り返す小さな生き物は、そこに居るだけで場を和ませてくれる。しかも大男の暖雅が世話をするから、見ている祥の顔には自然と笑みが浮かんだ。  今日の夕食は和牛のサーロインステーキだった。  ご飯、味噌汁、サラダ、ステーキという食事の後、柚が香るシャーベットとコーヒーが出てくるから文句を付けようがない。  お互いに何とも後味の悪い自慰から数日が経ったが、暖雅の態度は変わらず、それまでと同じ関係が続いていた。  コーヒーを淹れた終えたサイフォンを片付けながら暖雅が思い出したように言った。 「祥は正月におせち料理は食うのか?」 「ん? あぁ。今年も去年と同じものを従路が注文してある」 「お取り寄せ? どんなの?」 「父が懇意にしていた温泉旅館の女将が作ってくれる四段のおせち料理だ。豪華と言えば豪華だな。うまいが、どうも量が多い。3日まで三食全てがおせち料理になる」 「ハハハッ! まぁ、おせち料理ってのは正月にかまどを休めるための料理だから3日間食うのは正しいぞ」 「しかし、なぁ……流石に毎日3食おせちは飽きるぞ」 「確かになぁ」  暖雅が笑っていた。  それを聞きながら遠慮がちに言ってみた。 「……い、一緒に食うか? そうすれば早くなくなる」 「いいね! じゃぁ、2人でおせちを食べて、食べ終わったら俺が色々作ろう!」  快諾の言葉が返ってきた。それを期待していたとはいえ、流石に申し訳なく思う。なんといっても正月だ。実家に帰ったりしないのだろうか。 「……頼んでいいのか? だって……正月だぞ」 「気にするな。俺の親は今、ドイツにいる。向こうで年越しするみてぇだし。混雑する飛行機で飛ぶのは勘弁して欲しいからなぁ」 「ドイツ?」 「あぁ。ドイツで会社やってるんだ」  初めて暖雅の個人的な話を聞いた。  ふぅん、と頷いたが、さらに突っ込んで聞いて良いものか祥は迷った。そして、それ以上は聞かずに溶けかかったシャーベットを口にする。 「初詣はどこへ行くんだ?」  黙々と食べていると暖雅の方から質問が来た。 「初詣?」 「行くだろ?」 「……行かないな」 「へ? 行かねぇのか! 日本人だろ?」 「……日本人でも行かない人は居るだろう。それに時間外診療で急患を受け付けているから外へ出ないことにしている」 「ずっと?」 「あぁ。……初詣は子どもの頃に行ったきりだな」  それがどうした、という表情で答えると、暖雅が「うぅん」と唸っていた。どうやら納得いかないらしい。 「じゃぁ、祥はテキーラ飲んで寒さを忘れながら参道をダラダラと長時間歩いて、途中の屋台で買った肉串囓りながら除夜の鐘聞きつつ初詣……なんて経験ないのか?」 「なんだ、それは。そんな経験はないぞ」 「未経験なのか? じゃぁ、一緒に行こう! そば屋で年越しそば食って、その後、大師に繰り出して屋台回りながら初詣だ! こんな楽しい年越しを経験してねぇなんて、損してるぞ!」 「……損?」  シンクを片付け終えた暖雅がテーブルに戻ってくる。少し冷めたコーヒーを口にしながら「どうよ?」と顔を覗き込んできた。 「……い、行く、のか?」 「行こうぜ」 「……わ、分かった」  暖雅があまりに楽しそうに話すので思わず首を縦に振った。  思い返せば、オメガであることが分かってからは極力外を出歩かないようにしていた。どこでどんな人に会うのか分からなくて怖かったからだ。  だが、今はアルファの暖雅が一緒だ。それなら安心してどこにでも行ける気がした。 「初詣、か……」  オメガであることを気にせず普通に外出できるなんて、どれほど幸せなことだろう。そう思うだけで心が明るくなる気がした。 (暖雅のおかげで……普通が経験できる)  暖雅を見た。  顔だけアルファの木偶の坊なんて言うが、とんでもない。オメガという呪縛から解放してくれる救世主に見えた。 (ずっと一緒に居られたら……)  そんな思いが脳裏をよぎった。だが、すぐに悲しい笑みが浮かんでしまう。 (でも、無理……)  コーヒーを飲み終えるとピアノの前に座った。  しばらく調律していないから音が合っていない気がするが、指を乗せる。そしてゆっくりと曲を奏で始めた。  クラシック音楽を生で聞くのが好きという暖雅のため、家事に対する礼の気持ちを込めてピアノを弾いた。  足元にスピカと4匹の子猫がやってくる。  ペダルを踏む足にじゃれつく姿に目を細めながら、祥は長く指を踊らせていた。

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