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第3話 お弁当

 仕事の疲れもあって日曜日は泥のように眠った。目が覚めたときは既に夕方で、ぼんやりとした頭のまま寮の食堂に降りていった。 既に冷め始めている定食を機械的に口に運んでいると、同期のFがいた。 「よぉ、瀬島。デートじゃなかったのか?」 「いや・・・さっきまで寝ていたよ。」 特に親しいという訳ではないが食堂は若い社員がほとんどだし、同じテーブルで食事をするのを断る理由はなかった。 他の同期の話やら、仕事についてなど話していると唐突にFが聞いてきた。 「お前、早紀ちゃんとうまくいっているのか?」 「なんでだ?」 「いや、同期のHが早紀ちゃんと同じ部署だろ?この間昼食っている時になんだかお前がヘンだってボヤいていたらしいぞ。」 「そうか。別に何もない。昨日もデートしたし。」 「それにな、これは俺が直接聞いたわけじゃないんだが・・・お前が年増の女性とPホテルのロビーを歩いていたのを見たっていう話があるんだよ。」 その言葉に瀬島は箸を落さないようにするのが精一杯だった。同伴のためにPのロビーで待ち合わせをした時だ。 かなり気を使っていたつもりだったのに、誰が見ていたのだろう?背中を冷や汗が落ちた。 「世の中には似ている人間が3人いるそうだからな。あ、俺もFそっくりのヤツを見たぞ。」 「野球選手のAな、はいはい。」 なんとか冗談でかわせたようだが、気をつけないといけないな。なんでこんなことで苦労するんだろうと思うともう食事をする気力もなかった。  部屋に戻ると、スマートフォンに早紀からのメッセージが入っていた。折り返しかけると、少し怒ったような声が聞こえた。「何度もかけたのよ。どこ行っていたの?」 「寝てた。」 「んもぅ・・・ねぇ、明日お弁当一緒に食べない?私作るわ。」 「会社でか?」 「そうよ。天気が良いみたいだから公園にでましょうよ。今日の夕食は私が作って、パパにも好評だったのよ。」 「いや、明日の昼は忙しいから。」 そう言って電話を切ってしまった。一食浮くけれど餌付けされるみたいでごめんだ。料理でてなずけられて、ひっこみつかないところまで絡めとられたくない。自分の未来なんて、考える余裕もないのだから。 でも・・・。 ふと、雄介の笑顔とメモを見たときのサムズアップを思いだした。彼の未来は、潰したくない。自分の分も明るいものにしたい。なにも気負いすることなく一緒にいられる雄介のことがいつまでも頭から離れなかった。無性に声が聞きたくなった。 あのちょっと掠れたような声で「あれぇ、どうしたんですかぁ?」なんて言われたら、寝すぎて重たい頭もスッキリしそうだ。  だが、彼だってプライベートの時間があるのだから、だいたい番号を知らないではないかと押しとどまり、そのまま休んだ。  昼休みは、もっぱら残業できない分の仕事をする時間に当てている。今日も誰も居ないオフィスで昼抜きだな、と十一時四十五分を指した時計を見ていると、内線電話が鳴った。 「はい、瀬島。」 受話器を置くと、瀬島は受付へ走っていった。 そこには、受付嬢と楽しそうに会話をしている青木雄介がいた。 「あ、瀬島さん!」 「どうした、雄介?」 「この辺り、桜が綺麗だから、お弁当持って来ましたぁ~。」  くすっ、と笑う瀬島を見て、なんて優しく微笑むのだろうと、雄介は一瞬見とれてしまった。突然来て、普通なら「昼間の自分には関わらないでくれ」と怒られてもおかしくない状況なのに、瀬島はカウンタの隅で見せるあの綺麗な微笑みで返したくれたのだ。 「じゃあ、公園まで行こう。」 そう言って雄介をエスコートするようにオフィスを出た。 「これ、雄介が全部作ったのか?」 そこには、おにぎりと色とりどりのおかずが並んでいた。「あ、でもね、いくつかはお店で出す試作品ですよ。」 「おいしそうだ。喜んで実験台になるよ。」 そう言ってつまむとなかなか旨い。 「おいしい。」 「よかったぁ。気に入ってもらえて。ここ本当に桜が綺麗ですね。いいなぁ・・・。」  朝、テレビを見たら皇居のお濠端の桜が匂い立つように綺麗で、刹那瀬島の柔らかな物腰が桜の華やかな咲きっぷりと重なるともう居ても立ってもいられなかった。前に会社の名前は聞いていたから、あわててお弁当を作ると大久保からバイクを飛ばしてきたのだ。 どうしてこんな気分になるのかわからない。 他のホストの人達はみんなもっとぎすぎすしているからなのか、瀬島があまり水商売擦れしていないところが新鮮なのか、ヒマな時間など瀬島はどうしているだろうとつい考えてしまう。 あの穏やかな瞳・・・あの瞳を曇らせるようなことは、したくない。何ができるというのではないのに、そんなことを考えてしまう自分がいた。 春の陽だまりの下で、桜に囲まれて昼を過ごしたい人は多く、サラリーマンやOLでにぎわっていた。 やっとよちよち歩きをはじめたばかりの子どもが、瀬島の目の前で転んで泣きだした。 「大丈夫か?」 抱き起こして、膝などはらってやると母親が恐縮したように駆けて来て、頭をぺこりと下げると向こうへ去っていった。 「可愛いな。」 「・・・・・・。」 雄介は、黙ってその後ろ姿を見ていた。  「今日は、お店来るんですか?」 昼食を終えて、公園を散歩していると雄介が聞いた。 「行くよ。あ、そうだ。週末給料日だから、約束通りご馳走するよ。何が食べたいか、考えておいてくれよ。」 「そんな、いいですよぉ。約束なんて。」 「そう言うな。高級フレンチ、といわれるとちょっと困るがな。」 「じゃあ、それ。」 そう言って、デヘッと笑った。 「ウソ。オレ、ナイフとフォーク使えないし。」 「何か考えておいてくれよ。」 そう言って会社に戻ると、受付嬢が聞いてきた。 「あのー、瀬島さん。さっきの方は、お友達ですか?」 「まぁ、そう。・・・後輩とでもいおうか。」 「なんだか凄く格好イイですね。また来ますか?」 少し頬を染めて興奮して聞いている。 いつも黒服を着ているところしか見ていないが、今日はストリート系のカジュアルスタイルで、迷彩色のパンツをあわせて、帽子をかぶった様子などはいつもと違って彼の年齢らしい雰囲気だった。まるでファッション雑誌から抜け出したかのようにキマっていて、一緒に歩くとOLたちが振り返ってみていたことに本人は気づいていたのだろうか。 「言っておくよ。」 そうは言ったが、本音は自分が一番来て欲しいのかもしれない。昼休みを少し回っていたが、たまにはこんなデートも悪くない。 (いや、デートとは言わないな。じゃあ、何だろう?) そう思って、くすっと笑った。あの青年といると、なんでこんなに素直に微笑むことができるのだろう。 あと数時間ここでがんばれば、雄介に会える。そう思うと妙に心が弾んだ。  夜は店があるので、日曜日の昼に雄介と待ち合わせた。 朝方まで店にいたというのに、こんどはきっちり目が覚めて、雄介と会うまでの時間が以上に長く感じられた。 新宿のコーヒーショップで待ち合わせると、赤いシャツにジーンズを履いた雄介がやってきた。 「おはようございまーす。」 「夜以外の時間に雄介からおはようの言葉を聞くのも悪くないな。」 「じゃあ、今度朝まで二人で一緒に過ごしますか?」 「お、おい・・・。」 必要以上に動揺している自分がいて、なんだか困ってしまった。 「で、何が食べたいんだ?」 瀬島も今日はボタンダウンにチノだから、あまり高級店には入れない。 「んふふっ。笑わないで下さいね。」  そう言って瀬島の手を引いて向かったところはデパートの大食堂だった。 「こんなところでイイのか?」 「はいっ!」 そうして席に案内され、注文をとりにきたウェイトレスに雄介は大きな声で一言言い放った。 「おこさまランチ下さい」 「申し訳ございません、お客様。おこさまランチは十二歳以下のお子様のみとなっておりますが。」 「えーっ、でも俺、どうしてもあれが食べたい。」 雄介には珍しく頬を膨らませてねばっている。 「わかりました。じゃあ、大人用の食事2人前頼むから。五目麺と、寿司定食Aにおこさまランチでいいでしょう?」 そう瀬島が返すと、ウェイトレスはしぶしぶ下がっていった。  「どうしたんだ、急におこさまランチなんて。でも、懐かしいなぁ。」 チキンライスをむしゃむしゃ食べる雄介に瀬島が呆れたように聞く。 「瀬島さんなら、笑ったりしないかなと思って。一度、食べてみたかったんです。」 一瞬瞳が翳ったような気がした。 子どもだと笑おうかと思ったが、それ以上余計なことを聞いてはいけないと咄嗟に感じた。 「え?」 そう聞き返したときは既にいつもの雄介の顔に戻っていた。「ゲーセン行きませんか?エアホッケーしましょうよ。」 「そうだな、せっかくのデートだし。」 そういう瀬島に雄介は太陽みたいな微笑みを返してくれた。「デート、そう、デート。うん。」

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